母は昭和32年から50年まで、隣家の鈴木ゆりさんに誘われて短歌を詠んでいました。途中で俳句に転向しましたが、月間「アララギ」には6年間投稿し続けていたようです。その一部を二人の妹が書き留めたり、掲出紙のスクラップを保管してくれていましたので、披露します。
「アララギ」誌
我庭に置きたる鑛石手にし居る午のいこひの石積人夫
(昭和32年2月号)
聞こえくる食器の音はわが歩む風上の家か灯火明るし
(昭和32年6月号)
救世観音微笑の像を仰ぎつつ艶めく御膝撫でてゐしかも
(昭和32年8月号)
カール柔らかく影おとし今宵わが娘の美しく見ゆ
(昭和33年1月号、次女、晶子のことを詠む)
まれまれに吾歌載りし時にのみアララギ手にする夫を見るかな
(昭和33年2月号)
病院に運ばるる間をしのこしし正月の煮メを吾子に云ひ居り
(昭和33年3月号)
鍋ごとに熱きスープを賜はりぬ退院して臥す寒き夕べに
(昭和33年4月号)
夫生みし姑と思ひて一途にも心捧げしは幼なかりにき
(昭和33年5月号)
夫のため朝餉の飯汁炊きあげて生を絶ちたる君を思ふも
(昭和37年2月号、隣家に住んでおられた鈴木さんのこと)
亡き母の帯締めてたのし納戸地のさえて美しいまは見ぬ色
(昭和38年5月号、母の母を詠む)
あはあはと子を嫁がせてよりなすなくて庭の根雪のとけず久しき
(昭和38年5月号、長女のことを詠む)
朝日新聞「朝日歌壇・近藤芳美選」
嫁ぎたる吾子と腕くみのぼりたりし想いかえりて登る裏山 岡部イサ子(京都)
(昭和45年5月17日)
朝日新聞「京都短歌・岡崎望久太郎選」
裸木に一つのこせし柿の実は樹木さわぐ風にひそと静まる 岡部以佐子(左京)
(昭和45年12月27日)
敷石の雪掃きおれば陽にとけて高き樹の雪乱れおち来る 岡部以佐子(左京)
(昭和46年2月28日)
沈丁花の香りたつ庭にしろじろと雪は降りつつ木に土に消ゆ 岡部伊佐子(左京)
(昭和47年3月26日)
窓を通る光あまねきに仰ぎみれば月寒空にしずまりかえる 岡部伊佐子(左京)
(昭和46年1月12日)
南風のあがりしあした白菊は落葉の中に倒れ伏しおり 岡部伊佐子(左京)
(昭和48年12月2日)
たち働く厨の窓に枝のばすうめもどきの実の赤きひろがり 岡部伊佐子(左京)
(昭和49年2月5日)
紅色の葉を光らせて南天の実生そだちいし凍てる寒さに 岡部伊佐子(左京)
(昭和49年2月19日)
灰皿にたばこは長き灰と化し知事選開票のテレビ見る夫 岡部伊佐子(左京)
(昭和49年2月19日)
スト突入の決意重たく日に焼けて自動車を背に土に座す人 岡部伊佐子(左京)
(昭和49年5月28日)
緑陰にいこいて見上ぐるプラタナスは汚されいつつ枝葉茂らす 岡部伊佐子(左京)
(昭和49年9月23日)
ベトナムの戦禍おさまりこの日頃心安けしひそやかにして 岡部伊佐子(左京)
(昭和50年6月9日)
指揮棒の動きたしかに受けとめてあまたの奏者一つになりぬ 岡部伊佐子(左京)
(昭和50年7月31日)
印鑑と財布の鈴の鳴る手提げ振りふり歩く人気なき道 岡部伊佐子(左京)
(昭和50年12月22日)
手入れせしいくばくのおもと生々と競いて朱き実を結びたり 岡部伊佐子(左京)
(掲出日;不祥)
毎日歌壇・窪田章一郎選 (掲出日;不祥)
白雲の切れ目にのこる淡き虹惜しみてしばし立ちつくすなり 京都 岡部伊佐子
おもひ深き皆既月食の夜の更けに宇宙飛行士の死をつたえらる 京都 岡部伊佐子
日経歌壇・宮柊二選(掲出日;不祥)
チラホラと土に散りきし雪凍てて一粒一粒の結晶光る 京都 岡部伊佐子
わが家の日照さへぎる老杉の黒き梢(うれ)間に月かかり居り 京都 岡部伊佐子
ゆきずりに比叡のあたりにたつ虹をみとめしことは今日のよろこび 京都 岡部伊佐子
