残菊やだんまり夫(ツマ)と永らへり
これは、岡部イサ刀自(トジ)の句集『三味線草』(83ページ)の秀句の一つかとかと思われますが、この秀句の原風景といっていい一つの出来事をのべて、在りし日の先生ご夫妻を偲び、そのご冥福をお祈りしたいと思う。
平成3年10月12日(土)の夜であった。関大の植野郁太教授のご母堂が他界されたので、先生からの弔電をおお願いしていたので、電話でその御礼を申し上げたのであった。
先生「君,植野君のお母さん(植野秋子さん)は、何か特別の方なのかね。今日の朝日新聞の訃報欄に載っていたね。」
酒井「先生、それは関大の野球部長は、学長よりも社会的評価(スポーツの分野での)ランクが高いのですよ。それに、関大野球部と朝日の間には、特別の人脈があるんです。」
先生「ソウカ、ソウカ。そういうことか。成る程、それで分かったよ。」
こんな応答があって、先生との電話は終わったのだが、話し終えた直後に、今度は奥様から電話が入った。
奥様「酒井さん、主人とどんな話をしてはったんです。主人に、酒井さんとどんな話をしていたのかと聞いても、あんたには関係が無い、というもんですから。」
酒井「関大の植野教授のご母堂が他界されて、先生からの弔電をお願していましたので、そのお心こもる弔電(それは、「ご母堂様のご逝去、痛惜に絶えず、謹んでご哀悼申し上げます。岡部利良」というものであった。)への御礼を申し上げていたのですよ。」
奥様「酒井さんに、ソウカ、ソウカ、そういうことか。成る程、それで分かったよと、いうていたのに、酒井さんとどんな話をしていたのかと主人に聞いても、教えてくれないものですから。」
一徹の老学究の先生と老いてなお新妻(ニイヅマ)のようなたおやかな奥様とのほほえましいひとこまの原風景ではないだろうか。そして、先生はそれから一ヶ月後の平成3年11月27日(水)に、ご他界された。 合掌
(平成10年11月8日付けの書状で酒井文雄先生から小生宛てに頂戴しました父への追悼文。「冠省 学部学生の時代から五十年近く長年月ににわたり公私ともに大変お世話に相成り心から御礼と感謝を申し上げたく存じます。ご冥福を念じ、ご遺族皆様の一層の御健勝をお祈りいたします。頓首再拝 酒井文雄」と記されていました。)
