個別記事

<投資教室>米国金融崩壊の構図~金融再建には何が必要か?

  090106ToushikyoushitsuReginaherzlingerLogo.jpg  

  昨年末にハーバード大学経営大学院レジナ・ヘルツリンガー教授著の「米国医療崩壊の構図~ジャック・モーガンを殺したのは誰か?」という大部の本を私の監訳で刊行した。

 この本の原題は、"Who Killed Health Care"、タイトルからして、まことに挑発的で、実際にも殺人ものミステリーのスタイルで書かれている。「ジャック・モーガンを殺したのは誰か?」という謎を解いていく物語である。

 ジャックは、カイザー・パーマネンテという大手の民間医療保険に加入していたのもかかわらず、腎臓移植を待っている間に命を落としてしまった犠牲者である。「オリエント急行殺人事件」と同様に、殺人者は一人ではなく、多数の殺人者が絡んでいて、その謎を解くのは難事であるが、医療システムの障害となって立ちはだかっているのは、五人の殺人者である。

 第一の殺人者は、「医療保険会社」である。彼らは患者の満足度には無関心で、医療費の支払についても、専門医の紹介についても、入院の承認についても、とにかくノーというだけの存在になり下がっている。

 第二は、「非営利の大病院」で、非営利と称しながら儲け重視で、政治献金による政府・議会への影響力と合併による寡占化を通じて巨大な帝国を築き、規模の拡大に伴って非効率化し、患者にとってのリスクも大きな存在になっている。

 第三は、「雇用主企業」である。彼らは、本来であれば従業員に配分されるべき医療保険料に対して税制上の恩典を得て、給料から保険料を差し引いて支払っている。また、人事部のスタッフが画一的な医療保険の選択に走り、給付内容を狭めるだけではなく、従業員の選択の自由を奪っている。

 第四の殺人者は、「議会と連邦政府」である。議会は医師の仕事である医療の内容についてまで細かく口を挟み、市場を無視したお仕着せの医療プランを作って、患者の自由を抑圧している。

 最後に、五人目の殺人者は、「専門家集団」である。彼らは、医療費高騰の責任を、不必要な医療を患者に押しつける儲け主義の医師のせいにし、さらに、彼らは消費者の能力をまったく評価せず、消費者は複雑な医療情報を使いこなして、賢い選択をすることはできないと主張している。

 五人の殺人者の告発は、米国の医療が今後どの方向に向かうべきかの理念とそれに必要な議論のたたき台を提供している。消費者が無理なく支払える価格で、高い質の医療サービスを提供するにはどうすればよいか。著者は、さきに挙げた五人の殺人者を排除して、消費者と医師との直接交渉を重視することが出発点になると考えている。これを軸に、消費者が動かす医療システムへ向けての新しい大胆な改革案が本書で提示されている。それは、端的に言えば、医師と患者の間に介在する中間の存在を排除して、消費者と医師にこのシステムを機能させる力を与えることである。

 本書の翻訳がほぼ完了した昨年9月に百年に一度と言われる「リーマン・ショック」に端を発する米国発の金融危機が勃発、米国の金融システムは、まさに崩壊した。この金融崩壊に加担した告発されるべき五人の殺人者は誰であろうか。「米国医療崩壊の構図」のアナロジーで考えてみた。

 第一の殺人者は、文句なしに「投資銀行」である。本来、投資銀行は証券の引受とかM&Aの仲介など金融取引の仲介手数料収益を稼ぐビジネスであったが、今世紀に入ってSECに圧力を掛けて規制を緩和させ、市場からの巨額の借入で証券化商品などへの自己勘定での投資資産を膨らませた。この高レバレッジ経営の咎で、保有証券の流動性欠如と市場価格の急落に耐え切れず、リーマン・ブラザーズとベアー・スターンズは壊滅し、他の大手は業態転換や政府の支援で何とか凌いでいる。

 第二は、「ヘッジ・ファンド」である。通常、私募によって機関投資家や富裕層等から私的に大規模な資金を集め、金融派生商品などを活用したさまざまな手法で投機的な運用をするタックス・ヘブンに本拠を置いて税金を免れているファンドのことである。ヘッジ・ファンドも高レバレッジで収益の極大化を図り、200兆円を超える規模に拡大して、コモディティー・ファンドなどを通じて石油価格暴騰・暴落の元凶ともなった。

 第三は「格付け会社」である。彼らは、投資銀行と共謀して、サブプライム・ローンなどから成るリスクの高い証券化商品にAAAなどの高格付けを与えて、米国だけではなく、全世界の投資家を欺いた。その罪は大きい。

 第四の殺人者は、「SEC(証券管理委員会)」である。SECは放漫な投資銀行経営の監督を怠り、デリバティブなど高リスク金融取引の情報開示徹底や規制を行わず、米国の資本市場に信を置いていた世界中の投資家に巨額の損失を蒙らせた。

 最後に、五人目の殺人者は、やはり「FRB(連邦準備理事会)とOCC(通貨監督庁)」であろう。金融政策の是非はともかくとして、グリーン・スパン議長がCDS(クレジット・デット・スワップ)を優れた金融イノベーションと称賛し、規制の意図をまったく持っていなかったのは、問題のごく一部である。金融監督庁が、銀行や傘下の住宅金融会社が担保掛け目を無視して行なった放漫なノン・リーコースの住宅ローンを無規制のまま放置してきた罪も大きい。

 医療が本来は医師と患者の間で成立するサービス取引であるのと同様に、金融は資金を必要とする企業に余裕資金を有する個人や団体が融通するサービス取引である。その仲介者として、預金と貸金業務を手掛ける銀行と証券の引受や売捌きを行う証券会社は不可欠である。しかしながら、自己勘定で高レバレッジの巨額投資を行なって収益の極大化を図る「今日の儲けは僕のもの、明日の損は君のもの」といった自己中心主義の権化ともいえる投資銀行や最低一億円を超える資産家のみが利益を享受できるヘッジ・ファンドなどの社会的存在意義は、そもそも奈辺にあるのであろうか。

 円滑な金融取引を進めるためには、金利・為替・取引条件などは自由にして、効率的な市場の価格形成機能に委ねるべきである。しかし、同時に詐欺・不正・情報の隠ぺいなど市場に害をもたらす行為は、規制当局の手で厳重に取り締まられなければならない。

 今こそ、投資銀行やヘッジ・ファンドを中心とする金融権力の跳梁跋扈を許した結果、金融市場を大恐慌に追い込み、全世界規模で実体経済をも崩壊させた強欲資本主義の現実を直視して、金融取引のあるべき姿を再検討すべきときではなかろうか。

 その基本は、資金提供者である個人投資家がより強く、より賢くなって、金融商品に内在するリスクを見極め、自分で理解のできない金融商品には手を出さないという万古不変の原理原則を再確認することである。自分の利益極大化だけを念頭にマネー・ゲームに狂奔している金融マンの言辞を信用することはできない。

 もちろん、投資収益とリスクは裏腹であるから、リスクを懼れていては何もできないが、投資の対象は、金融取引の仕組みを100%理解できて、リスクの所在と限度が明確に認識できるケースに限定するのが鉄則であるという当たり前のことを実践するだけのことである。

 なお、「米国医療崩壊の構図~ジャック・モーガンを殺したのは誰か?」(一灯舎刊、オーム社発売、定価;税別2,200円)は、私のHP http://www.y-okabe.org/ からのご注文時には、価格を2,000円(税込、送料・送金手数料出版社負担)とさせて頂きます。ぜひ、ご購読ください。

(2009年1月5日、日本個人投資家協会発行月刊紙「きらめき」2009年1月号所収)

コメント

※コメントは表示されません。

コメント:

ページトップへ戻る