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狂牛病騒動に思う


 
 脳が海綿状になる狂牛病(BSE)にかかった牛が英国で初めて発見されたのは、丁度今から10年前の1986年のことであるが、今年の3月20日、議会での閣僚答弁をキッカケに火のついたような大騒ぎになった。ドレル保健相が、これまで「BSEと人間の痴呆症の一種、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)とは無関係」としてきた見解を覆して、「関係がないとは断定出来ない」と述べたからである。

 大衆紙でマッド(狂った)ナルドと揶揄されたマクドナルドがハンバーグの材料を外国産牛肉に切り替えるや、欧州委員会(EU)は英国産牛の全面禁輸措置に踏み切り、これに反発した英国との確執が益々深まって、EC経済統合の行く手にも暗雲が広がっている。学者の説明では、BSEに感染する惧れがあるのは脳や骨髄に近い部分であって、ビーフ・ステーキとなる筋肉部分は安全とされているが、大衆心理とは恐ろしいもので、欧州各国はもとより、英国牛は輸入していない我が国でも牛肉の消費量が減少した。 

 ところで、英国と云えばロースト・ビーフを連想するほど牛肉は英国人にとって毎日の生活に欠かせない栄養源であり、観光客に親しまれているロンドン塔を護っている衛兵の愛称はビーフィーター(BEEFEATER)、日本語に訳せばさしずめ「大飯喰らい」というところか。しかしながら、今回の狂牛病騒動以前から健康志向ブームの高まりで、英国人の牛肉離れは急速に進んでおり、一人当たりの年間牛肉消費量は日本人の五KGよりは多いものの、10年前の20KGから1995年には15KGに減少、代わって鶏肉と魚の消費量が漸増している。また、英国人はかってはサラダをラビット・フード(兎の餌)と軽蔑して野菜類を余り食べなかったが、野菜不足が英国に多い脚気や骨の病気の原因と判ったことから、昨今ではサラダ・バーが若年層を中心に大人気である。英国の畜産業者は牛肉の国内消費減を欧州各国への輸出でカバーして来たので、今回は狂牛病騒動が全欧州に波及したのである。経済の英国病がサッチャー首相の登場で略々完治した矢先に、牛の英国病が保守党政権の基盤を揺るがす大問題にまで発展したのは皮肉である。

 英国政府は事態の沈静化に向けて必死に対応しているが、何故、英国で狂牛病が大量発生したのか、この原因解明が事態改善のポイントとなっている。野党労働党はBSEの科学的な解明の遅れと畜産業に対する規制緩和の行き過ぎを指摘しているが、英国より多くの牛を飼育しているにも拘らず、狂牛病の発生が際立って少ない欧州各国の対応との違いに原因究明の手掛かりが求められよう。英国エコノミスト誌は「MADE IN BRITAIN」をもじった「MAD IN BRITAIN」のタイトルで、この問題に対する英国畜産業界の意識の低さと政府の対応の拙さを告発しているので、その要旨を紹介したい。 

 CJDとBSEの関連性は科学的には未だ解明されていないが、両者とも細菌やヴィールスではなく、突然変異で出来た異常プリオンという蛋白質の病原体を通して感染する。潜伏期間が数年から20年と長いうえ、発症するまで感染の有無を確認出来ず、免疫力も働かないので、治療法が見当たらないという難病である。既にスクラピーという羊の病気が飼料を介して牛に感染した経路は立証されているので、更にBSEが食肉を介して人体へ伝播しないという保証はない。最近確認された20歳代のCJD患者十人は発病地域がBSE汚染地域と重なっている点からも、この新型CJDはBSEから感染した可能性が類推される訳である。 

 牛は世界中で飼育されているが、この10年間に確認されたBSE感染牛16万頭の99%以上が英国に集中しているという事実が問題の焦点である。この理由として英国と欧州大陸諸国との飼育方法等の違いがある。その一つは飼育効率を重視する余り、英国では羊や牛の骨などから作った配合飼料を多用し、極端なケースでは動物性の人工飼料しか与えていないことである。この配合飼料に混入した羊肉のスクラピーが、BSEを引き起こしたのである。本来草食動物である牛に獣肉を食べさせるという自然の摂理に反した行為自体がそもそも問題との指摘もある。欧州大陸各国ではこの配合飼料の使用割合を飼料全体の5%以内に抑えてきたが、1988年にはその使用を全面禁止した。英国も略々同時に禁止措置をとったものの、在庫品の回収は行われず、罰則規定もないので、その後も密売が横行しているという。

 もう一つの違いは、大陸諸国では一頭でもBSE牛が見つかれば、その群れの牛全部を焼却処分するのに対し、英国では発病した牛しか処分しない。更に問題は英国では1992年までは処分した狂牛は市場価格の半額しか補償されなかったので、畜牛にBSEの兆候が出ると、畜産農家はすぐに屠殺場へ持ち込んだといわれている。屠殺場の検査も杜撰で、危険な内蔵や神経が付着した汚染品も食肉として出荷されて来た。

 このような英国畜産農家の仕振りと管理の甘さを知ったフランス人は、「すべては典型的なアングロサクソン流自由放任主義の悪癖」と手厳しい。英国人が効率化と当面の利益追求に走って、将来自らに降り掛かってくる大きな潜在リスクに目を覆ってきたのは紛れもない事実である。非は、畜産農家の怠慢と将来恐るべき結果を招来しかねない潜在リスクの回避に真面目に取り組もうとしなかった行政の双方に求められる。米国資本主義の育ての親として百弗紙幣の肖像にもなっているベンジャミン・フランクリンが「難儀は怠情から生まれ、大きな労苦は無用の安逸から生まれる」との警句を残している通り、英国が難儀と大きな労苦を背負い込んだのは、自業自得としか評しようがない。 

 翻って、資本市場では複雑なデリバティブなどを組み込んだ新しい金融商品が近年急増している。これらの新商品には金利や為替の変動リスク等に加えて、金融のプロにも難解な複雑な仕組みに内在するストラクチャー・リスクともいうべき潜在リスクが残っているのではなかろうか。金融商品のリスクは人命に係わることはなくとも、可能性は小さいものであっても零ではないリスクには常日頃から細心の注意と冷静な分析が肝要であろう。                             

 (明光証券㈱代表取締役会長 岡部陽二)
 

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(平成8年9月12日付け発行、日本証券経済倶楽部機関誌「しょうけんくらぶ」第60号所収)






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