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石には顔がある

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 「石には顔がある。それに石の顔も人間と同様に一つ一つ異なっており、それぞれに個性がある。だから眺めていて飽きない」と私。
 「その通り、しかも石は A ONE TIME HARVEST だ。生物は必ず死に絶え、生まれ変わるが、石は地球の続く限り永遠に存在し、変わることがない」とジュリオ。
 「かつてボストン近郊のコンコルドにアメリカの代表的詩人エマソンの生家を訪ね、帰途近くの趣味の店で光のあて具合で七色に怪しく輝く奇跡の石<ラブラドライト>を買った。ところが、偶然にもこの大詩人が「人生は一片のラブラドライトの如し、その人の大光輝はある角度に至りて、初めて発揮される」と詠っているのを後で知って、感激したことがある」と私。
 「そのような輝きを内に秘めた美しい結晶鉱物を世界中の人々に届けるのが、私の使命と心得ている」とジュリオ。

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 これはロンドン在住時の三年前にリオデジャネイロを訪ねてアムステルダム・サワー宝石店主のジュリオ・ロジャー・サワー氏と懇談したときの一齣である。この会談は私の鉱物収集癖も病膏肓に達して、アメジストやアクアマリンといった宝石・貴石の宝庫であるブラジルへまで足を伸ばした際に当時のブラジル住友銀行頭取植田氏のお骨折りで実現したもので、終生忘れ難い思い出となった。
 サワー氏は前大戦中にブラジルへ亡命してきたフランス系のユダヤ人で、ブラジル産エメラルドを分析してコロンビア産との違いを解明、この研究で博士号をとった鉱物鑑定専門の学者でもあるが、次々とミナス・ジェライス州の宝石鉱山開発を手掛けて財を成した立志伝中の人物。リオには同氏のコレクションを一般公開した眩いばかりの宝石博物館があるが、昼食をご馳走になっている間に意気投合。この博物館には出していない世界最大のトルマリンの結晶をはじめ同氏秘蔵のコレクションを自宅に飾ってあるので、見に来ないかということになって、お宅まで押しかける羽目となった。
 その後、同氏の事業もバンコックなどへ拡大、日本への原石売り込みも進めているが、私とは商売抜きの石の好事家の同志として裸のお付き合いをお願いしている。 

 私の鉱物収集歴は遡れば相当古く、中学三年の時に京都薬大教授の益富寿之助先生という方が主宰されていた「日本鉱物趣味の会」に参加したのが始まり。  益富先生は先年亡くなられたが、正倉院御物に納められている石薬の分析研究で薬学博士になられた学者としてよりもアマチュアの鉱物収集家として有名で、三度の飯よりも石を眺めている方がお好きといった感じの大先生であった。
 偶々一万数千点の学術標本を蔵するこの先生の標本館が当時通っていた中学の近くにあったのが機縁で、鑑定会や採集会に毎週末出掛けるようになり、地質鉱物学の専門書も読んで、鉱物・岩石の肉眼鑑定では理学部鉱物学教室の大学生にも負けない位強くなった。
 最初に採集したのは確か京都の比叡山に産する桜石という非常に優美な花形をした日本独特の石であった。京都近郊から次第に採集地域を拡げ、東は岐阜県から西は秋芳洞辺りまでリュックサックを背負い、ハンマー・鏨(たがね)とルーペを両手に石を求めて彷徨い歩いたものである。

 社会人になってからは採集に出掛ける時間的余裕もなく、コレクションのごく一部を手許に残しただけで、石の世界から永らく遠ざかっていた。ところが、1984年から二度目のロンドン勤務でヨーロッパ各地をしばしば訪れるようになると、パリやフランクフルトといった大都会だけではなく片田舎の小さな町でも「ミネラル・ショップ」とか「ロック・ショップ」とか称してきれいな鉱物や化石類を売っている趣味の店がよく目につくようになった。
 そのうちに暇を見付けてはこのような石の専門店を探し、私のポートフォリオにない種類の石を少しずつ買い集めていった。幸い鉱物の種類は比較的少なく、全世界で約3,000種、そのうち日本で産出するのは600種くらいしかない。さらに貴石・宝石として愛好家の間で通常収集されているのは300種ほどの石に限られている。収集家の目的は少しでも多くの種類を揃えることにあるが、私は眺めて美しいもの、磨いたり彫ったりした加工品も時には良いが、なるべく原石に近いものを主体に増やしていった。
 その結果、ロンドン在勤中に大小取り混ぜて400個ばかりの石を集めることが出来た。石を求めてヨーロッパで訪ねた土地の中では、何といってもドイツの西端に位しカール・マルクスが生まれたトリアの町に程近いイデール・オーベルシュタインという谷間の町が最も印象的であった。ここでは何百軒という石の加工業者がブラジル・南アをはじめ全世界から輸入した原石を宝飾品に加工して各地へ卸している。

 ヨーロッパでは、家屋一つをとって見ても石作りが基本で、屋内の装飾にも原石や石の彫刻を多用、女性が宝石で身を飾るのもそもそもは西洋人の風習である。したがって、欧米では趣味の貴石類の消費高が各国の文化水準のバロメーターと見られているのも故なしとしない。
 一方、日本では昔から鉱物に対する関心は至って低く、つい先頃まで鉱物の専門店は京都に二軒あったのみ。ところが、最近数年の間に東京でもかなりの数の専門店が店開きし、年に何回かのフェアも開かれるようになって来た。
 愛好家にとっては大変嬉しいことであるが、欧米と比べると他の輸入品同様まだまだ値が高いのが問題。そこで私としては、ロンドンでは集められなかった日本の特産品に的を絞って、ぼつぼつながら収集を続けている。
 先月は東寺の骨董市へ出掛けたところ産地の岐阜県根尾谷でも既に採り尽くされて絶滅寸前の「菊花石」の見事な原石を求めることができ、大いに満足している。この菊花石では真白い霰石の花形が深緑の輝緑凝灰岩に鮮やかに浮き出ている。石でもやはり顔がはっきり見えないとよくない。 (明光証券会長) 

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 (2004年7月26日発行、日本証券経済倶楽部機関誌「しょうけんくらぶ」第56号所収)

 

 

 

 

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