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Royal Wedding~英国切手の魅力シリーズ(23)~



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 1981722日にチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚記念切手2種が発行され、シートにはPrince of Walesの紋章が加えられた(上掲)。紋章の下部に記されているドイツ語の‟Ich Dien"(私は仕える)は英国皇太子の標語。

 チャールズ皇太子は1948年にエリザベス女王の長男としてバッキンガム宮殿で誕生、1981729日にスペンサー伯爵令嬢のダイアナと結婚してウイリアム王子とヘンリー王子を儲けた。

チャールズとダイアナはもともと性格的にはまったく合わず、結婚当初から趣味や教養面でも共通するものはスキー以外にはなかった。チャールズは結婚後も以前から交際していた人妻のカミラ・パーカー・ボウルスとの不倫関係を続け、つれて同時期に複数の男性との不倫に走ったダイアナとの関係は極度に悪化、4年間別居の後1996年に離婚した。その後、1997年にダイアナはパリで交際相手の実業家とともに事故死した。

 チャールズ皇太子は、①歴史的建造物の保存や都市景観の保全活動、②環境破壊からから世界の自然を護る運動、③‟Business in the Community"という企業に地域社会への貢献を勧奨する運動といった社会活動に熱心で、それぞれに私費を投じたプロジェクト・チームを組成して活発に取り組んでいる。

 皇太子はテーマごとに議論の場を設けて、支援者らの提言に熱心に耳を傾け、最後に自らの見解をまとめるのが常であった。この独特の会議方式でのリーダーシップ振りとユーモアとウイットに富んだ気遣いには感心した。

筆者も国内外で開催されたこれらの運動のイベントにも何回か参画し、チェコのプラハや米国のチャールストンへの海外遠征旅行にも皇太子に同行した。その功により筆者の帰国時には、皇太子自署の感謝状を頂戴した。(HP所収の「https://www.y-okabe.org/memory/post_67.html<交遊抄>英皇太子の思い出」ご参照)。

一方で、皇太子は聡明で自己主張もはっきりしており、行動力にも優れているために、時には政府と衝突して顰蹙を買っている。1999年には遺伝子組み換え食品を認めた政府に対し、自然食以外は認めるべきでないとのキャンペーンを展開し、当時のブレア首相を憤らせた。また、同年10月には、中国の人権問題への抗議を示すべく、女王主催の江沢民主席の歓迎晩餐会を意図的に欠席した。昨年10月に行われた習近平主席訪英時の公式歓迎晩餐会にも出ていない。中国との関係強化にのめり込む政府に対する反骨精神を顕わに示した「チャールズの反乱」である。

チャールズ皇太子はスポーツにも万能で、スキーもうまいが、ポロの腕前はプロ並みである。英国チームの主力選手として国際試合にもしばしば出場、筆者もポロの観戦によく招待された。

 ポロは騎乗のプレーヤー4名が一組となってゴールに向かって相手と球を打ち合うホッケー同様のゲームであるが、優雅さと激しさが同居し、卓越した操馬術と高度な戦略が求められる。‟The Sports of Kings"と称され、永年王室や貴族によって寵愛されてきた狩猟と並ぶ豪勢なスポーツである。

 フィールドの大きさは274米×146米で、サッカー場の2倍以上と広大、試合時間はチャッカと呼ばれる7分間のピリオドを68回繰り返す。競技用の馬はポロ・ポニーと呼ばれ、時速60キロで疾走する。1試合で1人が10頭ほど馬を乗り換えることもある。

 駿馬の巨体と巨体がぶっかり合う衝突音が響き渡る姿はまさに馬上の格闘技であるが、故意に衝突した場合の罰則も厳しい。ポロのルールが、ヨット競技など多くのスポーツ・ルールの原点となっている。

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今年421日に90歳を超えたエリザベス女王にはチャールズ皇太子のほかに3人の子供があるが、そのうち次男のアンドリュー王子と長女のアン王女の2人がそれぞれ子供2人を抱えてすでに離婚している。離婚に至った事情はまちまちながら、基本的には女王が進めた家柄重視の貴族との結婚策が裏目に出た結果である。

エリザベス女王にとって即位以来の最大の危機は、ダイアナ元妃の交通事故死への対応であった。ダイアナはすでに一民間人であったので、女王は葬儀にも出席しない方針であったが、元王妃の死を悼む国民感情を重視したブレア首相が翻意を促し、バッキンガム宮殿に弔旗を掲げさせ、準国葬としたダイアナ元妃の国民葬にも女王を出席させた。これが、開かれた王室を国民に示す転機となり、エリザベス女王の人気も急上昇した。

英国における当時のダイアナ・フィーバーは今年のEU離脱フィーバーにも匹敵する高まりがあったと言えよう。

ダイアナ元妃の死を悼む国民の声に応えて、Royal Mailは急遽199823日に1963年から93年までのポートレート写真5枚を記念切手として発行した(下掲)。

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元妃の死後、チャールズ皇太子とカミラとは事実婚の関係にあったが、200549日に正式に結婚した。ダイアナ元妃との離婚から再婚までに9年の歳月を費やしものの、最近ではカミラがエリザベス女王と一緒に表舞台に登場するシーンも増えている。

英国では国王が英国国教会の最高権威を兼ねてきたため、チャールズ皇太子が再婚すれば王位継承に大きな支障が出てくることが懸念されていた。再婚者が宗教界のトップに立てるかという疑問があり、国教会は当初これに難色を示していたからである。ところが、前キャンタベリー大主教はこれを容認する見解を表明するに至り、いずれは国民もカミラを王妃として受け容れるものと予測される。そもそも、英国国教会の独立は16世紀に国王ヘンリー8世が自らの離婚と再婚の問題をのり越えるべく、ローマ・カトリック教会から分離したという経緯がある。

チャールズ皇太子の長男であるウイリアム王子(28歳)とケイトの愛称で親しまれるキャサリン・ミドルトン(29歳)の婚儀が2011429日にウエストミンスター寺院で行われ、その記念切手4枚シートが発行された(下掲)。

2人のパレードをみるべくロンドン市内の沿道に繰り出した100万人の人出だけではなく、世界で24億人もの人がテレビやインターネット放映を観たというから英王室の動員力は凄まじい。

 ウイリアム王子は空軍士官として勤務、ケイトは王子とセント・アンドリュス大学で学生時代に知り合った同級生で平民の女性である。ケイトの両親はパーティーグッズの通信販売会社を経営する中流家庭であり、非貴族階級の女性が王位継承予定者と結婚するのは実に350年ぶりのことである。

2013722日には長男のジョージ王子、201557日には長女、プリンセス・シャーロットが生まれている。二人ともエリザベス女王の曽孫である。ただ、ケイトとエリザベス女王やチャールズ皇太子との関係はぎくしゃくしていてうまくは行っていないという報道が頻出している。これも開かれた王室への転化の過程では不可避な事態であろうか。

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