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キャプテン・クックのエンデバー号による大航海(Captain Cook Endeeavour Voyage)~英国切手の魅力シリーズ(53)~


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 1768年8月、英国の海軍士官・キャプテン・クック(本名;ジェームス・クック、James Cook、1728年10月27日ー1778年2月14日)は、94名の研究者・乗組員を統率して、タヒチ・ニュージーランド・オーストラリアへ向かっての最初の大航海にプリマス港から出航した。この出航日起算での250周年を記念して、2018年8月16日に、記念切手6枚(上掲)と切手4枚のシート(下掲)が発行された。

 上段2枚(2nd);左:研究者グループのキーパーソンであった自然博物学者のジョセフ・バンクス(Joseph Banks)と赤いトケイソウ(Passion Flower、キリスト受難の花)。これは、バンクスの植物研究への熱意(Passion)に懸けた選択であろう。右:タヒチの祈祷師とカヌー。

 中段2枚(1st);左:キャプテン・クックとエンデバー号、右:南太平洋での金星の太陽面通過を観測するための装置。

 英国の王立協会は、1769年6月3日に起こったきわめて稀な金星の太陽面通過現象を観測する名目でクックを南太平洋のタヒチに派遣した。エンデバー号はウィトピーで建造された石炭運搬船で、大きな積載量、強度、浅い喫水など暗礁の多い海洋や多島海を長期航海するのに適していた。

 下段2枚(£1.45);左:自然史学者のシドニー・パーキンソン(Sydney Parkinson)が描いた顔に入れ墨をしたマオリ族の酋長。右:パーキンソンと暗青色のオーストラリア産クサインコ。

 パーキンソンは、1771年にマラリアと赤痢に罹って航海中に亡くなるまでに、現地で観察した動植物を細部まで緻密に描写した絵画やスケッチ作品を約1,300点も残している。

 4枚の切手シートには、左上から右へ順に①キャプテン・クックが辿った航海の経路図、②ライアテア島(Raiatea、タヒチ島に次いで大きいポリネシア諸島の島)に造営した艇庫とカヌー、③ニュージーランドにあるアーチ状の巨岩の上に造られたマオリ族の要塞、④オーストラリアのエンデバー川で改修中のエンデバー号の写真が並んでいる。

 クックはオーストラリア大陸に西欧人としては初めて上陸、その後オーストラリア大陸沿岸を測量したが、グレート・バリア・リーフ内のサンゴ礁に座礁、懸命の離礁活動を経て沈没を免れ、1770年6月13日にクックが「エンデバー川」と命名した川に辿り着いて改修を行なった。


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 ジェームズ・クックは、英国の海軍士官、海洋探検家、海図製作者。一介の水兵から、英国海軍の勅任船長にまで昇りつめた。

 クックは多数の地域を正確に測量し、いくつかの島や海岸線をヨーロッパに初めて報告した。なかでも、太平洋へは3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し、ニュージーランド島とニュージーランドの海図を作製した。

 これらの優れた幾多の偉大な功績は、彼の卓越した航海術、すぐれた調査と地図作成技術、真実を確かめるためには危険な地域も探検する勇気、海軍省の指令の枠に納まらない探検範囲と気宇の壮大さによってもたらされたものと高く評価されている。第3回の航海途上、彼はハワイ島で先住民との争いによって1779年に落命した。







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