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あとがき


 二〇一七年(平成二十九年)七月に「一満州難民の体験記」と題して小学校五、六年生の頃の経験録を日本工業倶楽部の会報に寄稿した。

 驚いたのは、このエッセーを読んだ娘が、父親が体験したこのような苦難をまったく知らず、初耳であったという事実である。小学生の頃の出来事を子供たちに話したことはなかったので、知らないのは当然であるが、これではいけないのではと思い直した。

 この反省を踏まえて、満州時代だけではなく生涯にわたっての自分史を、終活の手始めとして、まとめようと思い立った次第である。

 自分史の名著である『フランクリン自伝』で、著者はなぜ自伝を書き残すのか、三つの理由を挙げている。第一は「私が用いた有益な手段を子孫に伝える」ため、第二は「老人によくある身の上話や手柄話ばかりしたがる癖を満足させる」ため、第三は「自分の自惚れをも満足させる」ためであるという。余裕たっぷりのユーモアで、自分史の本質を突いている。

 自分史とはこのようなものと割り切ってはみたものの、書籍として出版し、ネット上でも公開するとなると、社会的な責任も感ぜざるを得ない。少なくとも生涯の過半を傾注した国際金融については、その生き証人として見聞・実践した出来事を記述するように努めた。客観的な史実に絞った情報としての価値が多少は認められる同時代史的な彩りを添えたいものと考えたからである。

 ところが、書きたいことは山ほどあり、取捨選択が難しい。そこで、編集を日本経済新聞出版社にお願いし、日本経済新聞で日銀記者クラブキャップなどを務められた杉本哲也氏より延べ十時間を超えるインタビューを受け、日経事業出版センター山本優子氏に協力を頂いた。両氏に厚く御礼申し上げたい。

     自分史にひらく一輪梅の花     陽二

岡部陽二

 二〇一八年二月十七日


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岡部 陽二 略歴

1934年8月16日 東京都中野区生まれ

1941年4月 京都師範学校附属小学校入学(45年4月、新京・東光小学校へ転校、終戦後46年12月帰国)

1947年3月 兵庫県美方郡諸寄小学校卒業

1947年4月 大阪市立住吉第三中学校入学(48年4月、京都学芸大附属中へ転校)

1950年3月 京都学芸大学附属中学校卒業

1953年3月 京都府立洛北高等学校卒業

1957年3月 京都大学法学部卒業

1957年4月 (株)住友銀行入行

1965年9月 同行連携銀行 加州住友銀行ロサンゼルス支店勤務(68年帰国)

1976年8月 同行在ロンドン子会社 住友ファイナンス・インターナショナル社社長

1980年11月 住友銀行 国際投融資部長

1982年6月 同行取締役就任

1984年1月 同行取締役ロンドン支店長(ゴッタルド銀行取締役兼務)

1985年10月 同行常務取締役就任(欧州駐在)

1988年4月 同行専務取締役就任

1993年4月 同行退職、明光証券(株)代表取締役会長就任

1997年6月 同社会長辞任、住銀インターナショナル・ビジネス・サービス⑭代表取締役会長就任、98年4月より非常勤

1998年4月 広島国際大学医療福祉学部医療経営学科教授就任

2001年4月 医療経済研究機構専務理事(2011年4月以降、副所長)

2005年3月 広島国際大学停年退職

2013年6月 医療経済研究機構退職

著書・監訳書

『為替リスク回避とは? やさしい外為講座』(1972年11月、自由経済社)

『米国証券市場調査団報告書』(1996年、山一証券⑭)

『医療・福祉の諸問題(岡部ゼミ卒業論文集)』(2005年2月、青木印刷所)

『岡部陽二・著作集~1998、一国際金融人の軌跡』(1999年3月、帆風出版)

『医療サービス市場の勝者』レジナ・E・ヘルツリンガー著、岡部陽二監訳、竹田悦子訳(2000年4月、シュブリンガー・フェアラーク東京)

『消費者が動かす医療サービス市場』レジナ・E・ヘルツリンガー著、岡部陽二監訳、竹田悦子訳 (2003年11月、シュプリンガー・フェアラーク東京)

『米国医療崩壊の構図』レジナ・E・ヘルツリンガー著、岡部陽二監訳、竹田悦子訳(2009年1月、一灯舎)

主な学術論文

「邦銀現法の主幹事遂行能力に遜色なし」(1979年9月、金融財政事情研究会)

「海外資金調達の新手段─変動利付CDのすべて」(1980年8月、東洋経済新報社)

「急成長を遂げる金利スワップ取引」(1983年8月、金融財政事情研究会)

「新通貨ユーロの教訓」(1998年11月、外国為替貿易研究会)

「ユーロ誕生後に円の進むべき道」(1999年3月、時事通信社「金融財政」)

「世界遺産・石見銀山の真価 前・後編」(2008年3・4月、アグネ技術センター「金属」)

「病院経営への株式会社参入の是非を問う」(2002年12月、時事通信社「金融財政」)

「オバマ政権の医療改革1~4」(2009年8月~2010年5月、医療経済研究機構レター178号ほか)

「医療改革を成長戦略の柱に~株式会社参入規制の全廃を」(2014年1月、時事通信社「金融財政ビジネス」)

「機能していない病床規制の全廃を」(2014年2月、時事通信社「金融財政ビジネス」)

「混合診療の自由化を」(2014年4月、時事通信社「金融財政ビジネス」)

社外役員就任歴

クレトイシ⑭ 社外取締役(1995年1月~2004年3月)

⑭ハークスレイ 社外取締役(1999年12月~2004年6月)

⑭省電舎 社外取締役(2006年3月~2007年6月)

フューチャーベンチャーキャピタル⑭ 監査役、取締役監査等委員(1998年9月~2018年6月)

⑭アルファクト 社外取締役(2007年3月~2018年6月)

医療法人ジーメディコ(東京バスキュラー クリニック) 監事(2008年6月~2016年11月)

⑭プチファーマシスト 社外取締役(2000年4月~)

ファシリティパートナーズ⑭ 社外監査役(2010年4月~)

主な社会活動など

英国ビジネス・イン・ザ・コミュニティー会員(1985年~1992年)

日本証券業協会評議員(1993年~1997年)

東京日本橋西ロータリークラブ会員(1993年~1998年)

経団連金融制度委員会常任委員(1993年~1980年)

東京地方裁判所 民事調停委員(1993年~2004年)

浦安市 財政顧問(2005年~2008年)

日本個人投資家協会理事、副理事長(1997年~)

日本コーポレート・ガバナンス・ネットワーク会員(2003年~)

日本工業倶楽部会員(2004年~)

東証ペンクラブ会員(2013年~)

自由企業研究会会員(2014年~)


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