個別記事

26 ロンドンの伝統文化──オペラやミュージカルに通って


 ロンドン生活について、もう少し触れておきたい。生来は音痴で、音楽にはほとんど興味もないという私であった。ところが、ロンドンに住み始めると、極めて身近にコンサートホールや劇場が数多く存在し、社交上もオペラやミュージカルは必要不可欠なものとなってしまった。

 ロンドン赴任二度目の一九八五年(昭和六十年)、伊部恭之助会長から旧制東京高校で親交があった元西独・オーストリア大使の内田藤雄氏の令嬢、光子さんの支援を頼まれ、ピアノコンサート付きのパーティーなどをしばしば開いた。

 光子さんが、髪を振り乱して鍵盤をたたき壊さんばかりに強烈に演奏する姿を初めて見た時は驚嘆した。今ではピアノ界の頂点に君臨する光子さんだが、私が「ウィーンでは高名な巨匠の下で鍛えられたそうですね」と称賛のつもりで尋ねると、「その大先生に長い間師事し過ぎたために、自前の独創性の開花が遅れたのです」と切り返され、恐れ入ったのをいまだに覚えている。

 これが機縁となって、彼女と共演するロンドン室内楽団を支援していた英国一の富豪、エドモンド・ロスチャイルド卿とも親しくなることができ、バラ、シャクナゲ、椿の咲き誇る英国庭園として有名な私邸に招待されたりもした。

 オペラといえば、毎夏、何回か訪れたグラインドボーン音楽祭が忘れられない。ロンドンの南方六十五キロメートル、車で二時間ほどのところにあり、ブラックタイの正装で出掛け、幕間には周囲の庭園でピクニックを楽しむ優雅なイベントであった。

 帰国後の二〇〇〇年(平成十二年)のことに話が飛ぶが、当時ロンドンに住んでいた娘夫婦にもグラインドボーンを見せてやりたいと一緒に訪れたところ、樋口廣太郎、三枝成彰両ご夫妻と偶然出会った。両ご夫妻から、ロンドンへ来る前に見てこられたミュンヘン南方にあるオーバーアマガウでのキリスト受難オペラが、これまでにご覧になったオペラのなかでも最高に感動的であったというお話を伺った。

「パッション・プレイ」と呼ばれる、このキリスト受難オペラは十年に一回の催しで、「ぜひ今年見ておいたほうがよい」と強く勧められたので、インターネットで交渉して幸運にもチケットを入手できた。

 イタリアの古都ヴェローナの夏の風物詩である紀元一世紀に建設された古代ローマ円形闘技場をそのまま使った野外オペラも印象に残っている。雨が降って開演が夜九時と遅い時間になったこともあった。

 オペラ座はヨーロッパのどの大都会でも中心部にあって威容を誇っている。ミラノのスカラ座、ベルリンやウィーンのオペラ座にもよく行った。なかでも戦後再興されたドレスデンのゼンパーオーパーは壮麗を極めていた。

 一方、ミュージカルは欧州のオペラに対抗して米国で勃興したものであるが、一九八〇年代には英国の作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーの出現で、ロンドンがお株を奪ってしまった。「ジーザス・クライスト・スーパースター」「エビータ」「キャッツ」「オペラ座の怪人」など、彼の代表作はそれぞれ何回も観に行った。

 ウェバーに触発されて、ミュージカルが妙に性に合い、「フォーティーセカンド・ストリート」「雨に歌えば」「南太平洋」など米国本場の伝統作も片っ端から見て回った。

 シェクスピア劇もロンドンだけでなく、彼の生地シュトラットフォード・アッポン・エイボンの劇場を時々訪ねた。シェクスピア劇を一通り見た私の解釈では、「リチャード三世」が史劇と悲劇の原点とも言える作品であり、歴史を動かす宿命を背負った英雄の生々しい生きざまが集約されている。難しい台詞はほとんどわからなかったが、名優の熱演には感動を覚えた。


180816146-911201ロンドン・チェスター・テラスIMG_0001.jpg






コメント

※コメントは表示されません。

コメント:

ページトップへ戻る