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25 大英博物館 ──ジャパン・ギャラリー募金に貢献 


 一九八八年(昭和六十三年)十一月十六日に大英博物館で開かれた「大英博物館法制定二百三十五周年」の記念行事出席も忘れられない思い出である。

 エリザベス女王ご臨席の下、大英博物館の中心に位置するパルテノン神殿の破風彫刻を展示している「エルギン・マーブルの間」で開かれた晩餐会に招待されたのは、駐英日本大使のほか日本人は二、三人だけ。女王夫妻の真横のメイン・テーブルで陪席の栄に浴した。

 この晴れがましい席に私どもが招かれたのは、大英博物館のキュレターを務めていたロバート・ノックス博士に募金方法のアドバイスをしたプライベートな協力への返礼であった。

 博士はケンブリッジ大学出身の俊英で、専門はインド美術ながら、当時は東洋部門の主任で、同館に「ジャパン・ギャラリー(日本館)」を新設する計画を担当していた。ところが、お金のことには疎いのでギャラリー建設資金の募金方法について相談に乗ってほしい、と同氏とケンブリッジ大学留学中に知り合った私の同僚を通じて頼んできたのであった。

 大英博物館の日本美術コレクションは、浮世絵版画二千点、掛け軸一千点を中心に、陶器、刀剣類、根付など広範囲にわたり、日本国外では最大級の規模として有名であった。これらは、明治時代に日本海軍に招かれた医師のウィリアム・アンダーソンと作家のアーサー・モリソン両氏が収集したコレクションとしても著名である。

 ところが、これらの収蔵品を展示する常設スペースがなく、博物館の北側に位置する東洋館三階の一部で展示物を入れ替えながら細々と公開されていた。この不便さを解消するため、東洋館の上部に二層の日本美術館専門ギャラリーを増築するプロジェクトが立案され、ノックス博士が募金担当の重責を担うことになったのである。

 博士の求めに応じて募金計画のアドバイザーに参画した私ではあるが、私の助言は特別なものではなく、至極常識的なものであったと思う。例えば、①募金の対象を英国への進出日系企業に絞るのではなく、日本経済団体連合会(経団連)を通じて広く日本企業の本社に呼び掛けたほうが良いこと。また、②当時経団連の副会長であった平岩外四東電会長が英国から爵位を授けられていたので、まず同氏に頼むのがベストであること、③日本企業の意思決定はボトムアップ方式のところが多いので、企業トップに依頼すると同時に事務局へもきちんと説明すること、④極めて良好な日英間の外交ルートをフルに活用すること──などもアドバイスした。

 この募金活動は大英博物館史上、最大級の規模であったが、今から振り返るとバブル絶頂期という絶好のタイミングであったこともあり、短期間のうちに極めて成功裡に完了することができた。

 総額五百万ポンド(約十二億円)のうち、四百万ポンドが日本からの送金、残り百万ポンドの過半も在英日本企業が拠出した。金額の大きさだけでなく、寄付慣れしている大英博物館関係者をいたく感激させたのが、小学生たちの一人五百円という寄付を含め幅広い日本人が募金に応じたことであった。

 この「ジャパン・ギャラリー」は、一九九〇年(平成二年)四月に開館し、翌年九月にはジャパン・フェスティバルの一環として、鎌倉期の仏像展が開催された。日本でもこれだけの数がまとまった鎌倉期の彫像展は開かれたことがないと大好評であった。

 このように大英博物館の歴史に一ページを加え、日本との関係を一段と深めることとなった「ジャパン・ギャラリー」の新設に思いがけずも関与でき、感謝されたことは、英国好きの私にとって無上の喜びであった。


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 ロンドン駐在の十三年間を通じて、大英博物館へは何十回も足を運んだ。一時間ほどの短時間でポイントの展示箇所だけを見たいという日本からのお客には、アッシリア回廊、エルギン・マーブルに加えて、エジプトのミイラとロゼッタストーン、マグナ・カルタを五点セットとして案内することに決めていた。

 また、休みの日にはふらりと出掛けて、世界一との折り紙がついている切手コレクションをじっくり見たり、英国でも発見されたミイラの解説を聞いたりしたが、なかでも印象に残っているのは、正門を入ったところにある図書室であった。

 この図書室は広大なドームを持つ円形の大広間であったが、一九九七年にセント・パンクラスの新館に移された。現在はドームの上にさらに透明な屋根を付けた中庭となっている。

 この図書室を利用した有名人は多く、なかでもカール・マルクスはロンドンに滞在した後半生の三十年以上にわたり、ほとんど毎日この図書室に通ってG7の指定席で「資本論」を初めとする著作を書き上げた。

 カール・マルクスと言えば、ロンドン北郊のハイゲート墓地にある彼の墓碑もよく訪ねた。戦後の一九五六年に有志の手で建てられたスウェーデン産の黒御影石に胸像を載せた見上げるばかりの立派な石碑である。碑の最上部には「万国の労働者よ、団結せよ」と彫られており、その下に「哲学者は世界をさまざまに解釈したに過ぎないが、大切なことはそれを変えることである」という含蓄に富んだ警句が刻まれている。







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