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医療サービス・システムの国際比較

 
 子供の頃から何とはなしにラグビーは英国に古くからある荒々しいゲームで、サッカーは近代になって考案されたスマートなゲームだとばかり思い込んでいた。ところが、サッカーはルーツが中世に遡るゲームである一方、ラグビーはサッカーの試合中にウイリアム・エリスというラグビー校の一生徒が夢中のあまりボールを持って走り出したところ、それも結構面白いということで、1823年に始まった比較的新しいスポーツである。この新しいルールのスポーツが誕生したラグビーの地名がそのままゲームの名称になった訳である。この事実を今から20年ばかり前のロンドン在勤中に知ったので、早速夫婦でラグビー発祥のいわれを刻んだ石碑を見物に出掛けた。

 その時、家内が路上でつまずいて額に怪我をするという事態が起きた。幸いすぐ近くに大きな病院があり、駆け込んで手当てをして貰ったが、治療費をとってくれない。当時の英国では病院は国営、医療はすべて税金で賄われており、外国人を含め一切無料。したがって、病院に治療費支払窓口も存在しないのであった。これこそまさに、「揺りかごから墓場まで」国が面倒を看てくれる福祉先進国のあるべき姿と感心して、日本からの来訪者にも吹聴したものである。

 ところが、広島国際大学に職を奉じ、医療システムの国際比較を試みる段になって、まず住み慣れた英国のナショナル・ヘルス・システムを調べてみると、これは私の思い違いであることが分かった。このシステムには問題点ばかり目につき、反面教師としてはともかく、学ぶべき点は少ない。ことに、英国の入院順番待ちの長さは有名である。ブレアー首相は一昨年就任早々に入院待ち日数が18カ月を超える待機患者を零にすると公約したが、思惑通りには進まず、苦慮しているようである。

 民営化で産業全般に亙っての活性化に驚異的な成功を収めた鉄の女サッチャー首相は、全面的に税金で賄う国営の従前の配給制医療システムを温存したまま、民間の営利病院と医療保険の導入を自由化した。その結果、シティーで稼ぎまくっている金融機関やハイテク企業が二重払いを承知のうえで保険料企業負担の医療保険に加入し、サービスのよい民間営利病院での受診が急増した。これは一見成功に見えるが、すぐに手術をして貰える民間医療保険加入者と、重症でも後回しにする国営システムでしか受診できない人々との間の不公平感が拡大し、由々しい社会問題に発展している。

 一方、米国に目を転じると、米国の医療費はべらぼうに高く、その原因は病院や医師の営利主義と、公的保険がないことにあり、あまりわが国の参考にならないと一般には思われている。ところが、統計数字を拾ってみると、このような通説は、いわば思い込みであって、客観的な根拠はないことがすぐに分かる。むしろ、意外にわが国の医療システムと似通っており、学ぶべき点が極めて多い。

 まず、一昨年末現在で米国に約6,000、わが国に約9,200ある病院の経営形態をみると、そのうち両国ともに3割弱を国公立が占めるが、残りの7割強のうち、米国では営利企業の所有は一割強で、残りの六割余はすべて教会や慈善団体が経営し、税金も課せられない非営利法人である。これに対し、わが国ではそのほとんどが民間の経営で、非営利が建前であるものの、法人税が課せられている。実体的には、どうも米国の病院の方が総じて非営利に徹している感が強い。

 次に、医療保険では米国でも総人口の25%を占める高齢者と低所得者については、各々医療費全額を税金で賄うメディケアとメディケイドという制度が確立している。それ以外の国民については、保険料全額が企業や団体組織負担の民間医療保険でカバーされており、個人負担は5%程度と低い。米国は民間保険主体ながら、約4,000万人の無保険者を含めても、個人の負担は全体で精々2割程度内に留まっている。一方、わが国の医療保険では公的負担が医療費全体の約3割、自己負担が1割強、残り6割は保険料で、これは企業等と個人の原則折半負担になっている。すなわち、わが国の国民皆保険は公的保険と称されているものの、財源の4割強を個人が負担することによって支えられている。

 このような国際比較を模索している矢先に、米国で2年前に出版されたハーバード大学院レジナ・E・ヘルツリンガー教授著の「医療サービス市場の勝者」が2年間続けて七万部を超える売行きの時事問題書のベストセラーとなり、医療関係者以外でも広く一般の人々にも読まれていることを知った。著者の主張は、先入観を排した客観的な根拠に基づいて従来の通説に真正面から挑戦する姿勢で貫かれている。

 本書は米国でも医療分野の生産性は低く、改革が遅れていることに警鐘を鳴らしており、わが国の医療制度改革を考えるうえにおいて大いに役立つ文献と考え、このほど私の監訳で出版に漕ぎつけた。予想に違わず、著者の主張するマネジドケア不要論や、「患者も強く賢くなれ」との自助論、さらには「神は細部に宿る」といった経営哲学に共鳴される読者も多く、大方の好評を博している。皆様方にもご一読願って、ご批判をお寄せ頂きたい。

(広島国際大学医療福祉学部医療経営学科教授 岡部陽二)

(2000年8月10日付け大阪工大攝南大学「学園新報」第4面「サイエン・アンド・アーツ」欄所収)

 

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