個別記事

ロチェスター大学医学部 助教授 兪 炳匡氏とのIHEP有識者インタビュー
「医療経済学は医療改革にどう貢献できるか」

070117.jpg  

話し手: ロチェスター大学医学部 地域・予防医学科 助教授
兪 炳匡
聞き手: 医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二

 今回は、米国から一時ご帰国中の兪炳匡先生から、米国における医療経済学の現状と医療政策評価の実態などを中心に、わが国への示唆を念頭にお伺いしました。兪先生は、当医療経済研究機構と医療経済学会との共催により1月10日に東大で開催されました特別シンポジウムでの基講演者を務められ、その後のパネルディスカッションでも活発な討議に参加頂きました。
 兪先生は1993年に北海道大学医学部を卒業後渡米、ハーバード大学にて医療政策・管理学の修士号、ジョンズ・ホプキンス大学にて医療経済学の博士号を取得の後、スタンフォード大学医療政策センター研究員、米国厚生省疾病管理予防センター(CDC)エコノミストを経て、昨年よりニューヨーク州ロチェスター大学医学部助教授としてインフルエンザ予防接種の経済評価など地域・予防医学の研究に携わっておられます。
 昨年8月に出版されました「改革のための医療経済学」(メディカ出版刊)は、わが国の医療改革を考える上で不可欠な視点を提示された画期的な提言として高い評価を得ています。先生は、大胆な改革は往々にして意図せざる結果を生むことを国際的な実例や分析で示されています。
 このご著書はわが国の医療改革を国際的な視点で再点検された労作です。本書では、わが国の改革はむしろ大胆に過ぎる、改革論争を深めるには、諸提案の妥当性を科学的に議論しうるようなデータの収集と公開が前提とならねばならないと訴えておられます。

〇 医療経済学の研究を志された動機と米国での研究成果

岡部 先生が医療経済学研究を目指されました動機と米国でのご経験をお聞かせください。医学部へ入られた時には、当然臨床医を目指しておられたと思うのですが、その臨床を卒業時に擲って、医療経済の研究を志されたのは異色ですね。

兪 もともと両親が大阪で開業医をしていたので、私も阪大の医局に入りました。いずれは病院を継ぐつもりであったので、いろいろ病院の経営は苦しいという話を両親から繰り返し聞かされていました。その当時から、診療報酬制度を初めとする医療システムに満足している医師がいないのは、そのシステムのどこかがやっぱり何かおかしいと思い始めたのです。

岡部 それで経営学を勉強するというのは分りますが、経営とは直接は関係のない理論経済学を目指されたのは。

 というのは、北大卒業の前に、厚労省の方の話を聞きに行ったのです。お話を聞いて、診療報酬制度のあり方を客観的に研究するには、医療経済学という分野があることを知りました。病院経営というのは、経済運営のフレームが決まったなかで、病院がどう対応していくかということですが、どちらかというと、診療報酬の決り方といったマクロの問題に興味を抱きました。

岡部 医療政策面の方に興味を持たれたわけですね。

 そうです。さらに、厚労省の方の話を聞いて、日本の医師でエコノミストときちんと議論ができる人がほとんどおられないという実情を知りました。経済学で博士課程まで行くには、さらに長期間の勉強が必要で医師のキャリアをかなり潰してしまうので、そういう志を持つ人は少ないことを知って、それでは、それに挑 戦しようかという興味を持った次第です。
 そこで、医療政策についてもうすこし勉強するためにとりあえず修士だけと考えて、運良くハーバード大学大学院の公衆衛生学科に入ることができました。ハーバードでも日本の厚労省からも留学されている方とも会って、やはり医師出身で経済学を博士課程まで勉強すれば、大いに日本に貢献できるという話を聞いて、その気になったのです。

岡部 ハーバードでは、MBAではなく、パブリック・ヘルス(公衆衛生大学院)の方へ行かれたわけですね。

 そこで、私の指導教官であったウイリアム・シャオ教授の謦咳に接することが出来たのは幸せでした。シャオ先生は米国のメディケアの診療報酬制度改革を中心に研究を進めておられた医療経済学者ですが、先生からミクロ経済の基本から教えていただきました。
 シャオ先生は学部レベルであっても、医療政策のかなりの問題は十分分析ができるような高いレベルの経済学のフレームワークを教えておられました。その後、運良くすぐにジョンズ・ホプキンス大学大学院の博士課程に進めたので、2002年に医療経済学のPh.Dも取得しました。研究者になる方向で腹を括って、丸5年この大学にいたのです。

岡部 その後、スタンフォード大学で研究を続けられたのですね。

兪 やはり、ポスドクを経験しないと、研究者としてのキャリアに磨きがかからないので、いくつかの大学にアプライして、運よくスタンフォード大学のアラン・ガーバー先生の研究室へ入ることができました。たまたま、アラン・ガーバー先生は、OECDのデータを使って医療費の費用対効果分析の国際比較をやっておられ、日本のミクロデータを集めるのに私が適していると思われたようです。
 私も、先生の期待に応えるべくずいぶん走り回ったのですが、結局ローカルのデータしか取れませんでした。ただ、これがきっかけで日本の医療問題にも研究対象が広がりました。

岡部 日本のデータ公開は相当遅れていたのですね。

 それでも、いずれは日本の情報公開制度も進んで、データもとれるのではないかと期待していたのですが、現実はそうでもありません。日本に帰っても、私がやりたい生のデータに基づいた実証分析は難しいので、とりあえずもう少しアメリカにいようと思いました。
 そこで、一度政府機関で働いてみたいという気もあって、私の卒論のテーマが「インフルエンザの経済評価」であったので、CDC(米国厚生省疾病管理予防センター)にアプライして、そこで2年間研究に従事しました。CDCでちょっとがっかりしたのは、意外と縦割りの組織で、このセンターにはいろいろな部署があるのですが、その間の共同研究というのは難しかったことです。
 CDCでは、与えられた研究課題が院内感染対策で、それを外れた共同研究ができないことに非常に抵抗があったので、アカデミアに出ようと思って、いくつかの大学にアプライして、昨年ロチェスター大学に決めたのです。

〇 米国の医療システムと医療政策の評価

岡部 医療経済学を活用した実証分析は、まさに先生が実体験しておられるように、米国の方が日本より遥かに進んでいますね。にもかかわらず、その成果として出てきている米国の医療システムや医療政策は、あまり高く評価しておられないようですが、それはどこに原因があるのでしょうか。お金をかけている割には、非効率なシステムになっている原因はどこにあるのでしょうか。

兪 どこの社会でもそうだと思うのですが、二つの競合する概念があります。一つは効率とか合理性を追求する個人主義的な主張に由来する能力が高い人ほど高い医療を受けるべきだという考えと、もうひとつは博愛精神です。米国では、特にキリスト教的な博愛精神です。

岡部 米国には、とりわけ医療分野では教会が設立したNPOが多く、どちらかというと博愛精神が強いのではと思っているのですが。

 いや、どちらも強いと思います。米国は、博愛精神というブレーキが強く働くので、安心して個人主義のアクセルを踏んでいるという感じですね。ですから、落ちこぼれたとしても、米国の圧倒的多数の人たちは、いわゆる新古典派の経済学者の人たちも含め、とにかく低所得層になった人には公的部門が全面的に面倒を看ればよいと考えているようです。どうせ落ちこぼれは少数派だから、という感じで見ています。

岡部 その感じはよく分かります。

 しかし、現実には、低所得の人たちにも、それほど極端に見劣りする医療を提供することはできないわけで、やはり多額の医療費を使います。もちろん、民間保険でのサービスの方が優れていて、いろいろな研究でも、無保険者の治療は非常に薄くなっているという差は明らかにされています。それでも、無保険者を放置するわけにいかないですから、その分の医療費は民間保険の被保険者に押し付けられて、さらに富   裕層は無保険者の医療費を支払うためにかなり大きな税負担をしているわけです。
 もっと言うと、医療機関の中でコストシフトが行われ、いまだに赤ひげみたいなことをやっているわけですね。

岡部 その状況はよく理解できます。ですが、それを否定的に捉えるか、そうではなくて、むしろそれが米国の優れたところと考えるかです。私は、むしろ後者の方ではないかと思っているのですが。
 アメリカの病院経営統計には、グロス・レベニュー(総収入)とネット・レベニュー(純収入)が公表されています。グロス・レベニューは、徴収すべきであった医療費の額で要するに実際にはレベニュー(収入)ではないわけですが、その「取りはぐれ」の額が実に年間6,000億ドル(70兆円)とか、途方もなく大きいのに驚きます。このような慈善医療でもって、貧しい人にも、十分な医療ではないかも知れないけれども、かなりのレベルの医療を提供しているわけですね。
 日本でこれだけの医療費の不払いがあったら、病院は全部潰れてしまいますね。このような米国の病院システムというか、社会システムというのは、これはすごい社会共助システムではないかと思うのですが、先生はどう評価しておられるのでしょうか。

 いや、病院経理の中で、高所得者から低所得の人たちにシフトされているお金の額というのは、大多数の中産階級の人たちは知らないと思うのです。ところが、実際には医療費の負担感はどんどん大きくなっている。
 さらに、公費の面でも州政府の医療費支出が圧倒的に増えているのです。州政府が面倒を看ているのは低所得の人たちですが、病弱者の人たちをメディケイドに押し込んでいくと、人口で5%であっても、医療費では20%といった大きな負担になってしまうと、増税をしても払いきれなくなります。そこに私は非効率性が潜在しており、かつての70年代ぐらいまでの豊かな米国では可能であった弱者救済も限界に来ているものと見ています。

岡部 それともう一つ4,000万人を超える無保険者をどう見るかです。この事実だけから、アメリカのように悲惨な国はないと結論づけてよいものでしょうか。
 私も民主党が国民皆保険の実現に再挑戦してほしいと思いますが、慈善医療でかなりが救われているということに加えて、無保険者には、不法入国者や日本のように所帯単位ではないために1200万人の子供、転職による無保険期間の短期離職者も多数含まれています。無保険者の存在はたしかに大問題でしょうが、それをカバーして余りある優れた点も米国の医療システムにはあるのではないでしょうか。

兪 その点は、同感です。私も、米国の医療システムが極端に悪いとは思っておりません。ただ、米国でもバランスが崩れつつあるというだけで、単純に日本と比較してどちらの制度がよいかと問わても、トータルでどちらがよいかは判断しかねます。
 ただ、現状では差がつけ難いとしても、日本の医療には急速に悪くなる懸念があり、将来どちらを選ぶかと聞かれたら、私は米国を選びます。なぜかというと、米国のシステムは極端に悪くはならないのです。というのは、ご指摘のようなフィードバック機構がアメリカ社会にはたくさんセットされてあるのです。慈善医療もそうですが、それ以外に、訴訟制度もあります。訴訟社会は非常に悪くいわれていますが、ある意味では訴訟によってブレーキが掛かるわけです。

岡部 医療過誤訴訟にもキャップをつけるとか、いろいろ動きがありますね。

兪 それもありますが、訴訟はある種の米国社会の安全弁の一つで、広い意味での保険を払っているような気がします。80年代に起こったかなりえげつないHMOの医療費不払いや受診制限問題でも、訴訟できちんと修正されました。訴訟費用が掛かるという理由で、保険会社が支払い拒否をやめるのですね。保険会社は経済のロジックでやめているのですが、社会全体としては、あまりにもひどくなる手前で止まるという効果がありました。
 日本の場合、医療保険分野に営利企業を大幅に入れると、支払い拒否が起こっても、おそらく止まらない。ブレーキが利かないのです。もう一つ、米国社会ではデータがいろいろ集められていて、常に事後的に分析され、監視されている点が実は極めて有効に機能しています。

〇 米国における医療の質と医療保険制度

岡部 国際的に見ても、医療費高騰の要因の6~7割は医療技術の進歩であって、高齢化、医療保険の普及、医師数などの要因は少ないと先生はご著書で力説されております。米国の高医療費は高度先進医療の成果を国民が享受している証左であって、医療産業が経済を引っ張って好循環が実現しているのは、その通りと理解できます。
 ところが、DGP比では、日本の二倍も医療費を使っている米国で、平均寿命は日本より短いから、医療の質もよくないというのが、日本での理解ですが、この点はどう見るべきでしょうか。

 それも、実は社会構造と非常に密接にリンクしているのです。白人はだいたい医療保険を持っているのですが、保険を持っている人だけをとると、平均寿命にしても日本とほとんど同じです。要するに、日本と米国はどこで差がついているかというと、ボトム20%とか30%の層です。そこで米国が非常に悪いのです。その原因の一つは教育問題です。

岡部 それは医療とはあまり関係のないことですね。

 いや、実は教育レベルと医療は大いに関係があるのです。一つは薬をもらった時に「これを飲みなさい」という指示を理解できない人が、かなりたくさんいるのですね。薬の用量を理解するには、最低限小学校5年生レベルの能力がいるといわれていますが、そのレベルに達していない人が米国には30%もいるのです。

岡部 なるほど。

 ですから、この底辺の人たちが、たとえば乳児死亡率ひとつとっても、赤ちゃんにいきなりコーラを飲ませるとか、母乳を飲ませないとか、ある程度の知識レベルがあれば、そんなことは絶対にしないようなことを、かなりやっているわけですね。その結果、乳児死亡率が日本の三倍も高いのですが、そういう階層に関していえば、母子教育を実施すると、死亡率は劇的に下がるのです。

岡部 そういう現状であれば、民主党が政権をとって再度国民皆保険を提案して、それが実現したとしても医療の実態はよくならないですね。

 いわゆるギャップというのは残ります。これも有名な研究で、国民皆保険の英国でも、100年前と比べて社会階層間の医療ギャップが広がっているのです。乳児死亡率がいちばん上と下の階層では拡大しているのです。

岡部 それは、もっと根源的な問題で、新しいハイテク医療技術が生まれれば生まれるほど、教育レベルが高い人ほど、それを正しく使うことができて、ベネフィットを享受できるので、必ずしも 保険制度の問題ではないわけですね。
 それにしても、国民皆保険にすれば、ギャップは残るにしても、国民全体が享受できる医療の平均レベルは上がると思うのですが、米国では皆保険がどうして実現しないのでしょうか。

 それは、一言で言って、現在民間保険で稼いでいるいわゆる圧力団体の力が非常に強いからです。もうすこし正確にいえば、テレビを通じた世論形成が米国では非常に発達していて、お金を持っておれば世論を動かすことができるのです。
 有名な研究があるのですが、クリントンが92年に当選した当初には、世論が非常に盛り上がって、とにかく皆保険をやってほしいという世論が圧倒的に強かったのです。その状況を見て、皆保険に反対している比較的中小規模の医療保険会社が、クリントンの医療保険になると、極端に国民の選択肢が減るとかいったネガティブ・キャンペーンを展開したのです。
 じつは、クリントンの提案にはそういうことは書かれてなく、この批判はほとんどが間違っていたのですが、「あなたの保険は極端に悪くなって、医者に掛かれなくなる」というネガティブ・キャンペーンをものすごく流した結果、世論がガラッと変わったのです。
 さらに面白いのは、そのキャンペーンの前後に、米国の政策研究者が同じ回答者を対象にして、サーベイをしたのです。その結果は、キャンペーン前にはクリントン提案を支持していた同じ人が、キャンペーン後には見事に提案反対に転向していたのです。世論がテレビの影響でこんなに大きくぶれるのは恐ろしいことです。

岡部 まさに兪先生のおっしゃるような現象が、日本でも起こっているのではないか思うのですが。医師や病院を悪者に仕立てた病院性悪説が、圧倒的にメディアを支配しています。もちろん、病院に問題はたくさんありますが、テレビでも新聞でも「病院がよくやってくれて地域の健康状態が大幅に改善された」というようなニュースは少なく、悪いことしか大きくは報道しないですね。

兪 そうですね。米国でも、ものすごく小さなエピソードを褒める記事たまにはあっても、医療システム自体を評価して褒めるような記事は出ないですね。

岡部 そういう業界団体の圧力は分りますが、実証研究が盛んな米国で、保険システムについても、皆保険のほうが優れているという論拠があれば、そちらの方向に政策誘導する学者の主張は出てこないのでしょうか。

 いや、学者は主張しています。けれども、影響力は日本より若干強いかも知れませんが、やはり米国でも学者の力は非常に小さいですね。頓挫したものの、クリントンの改革があれだけ盛り上がったのは、医療費高騰を何とかしなければならないという世論が高まったからであって、学者の力では政策はなかなか動かせません。

岡部 米国の医療制度にはいろいろ問題があるにしても、日本の二倍も使っている医療費が、無駄とか社会格差の拡大とかいったネガティブな面だけではなくて、広い意味での医療産業を強力に引っ張って、製薬産業や医療機器産業において世界のリーダーになって、輸出にも貢献している面での評価はできるのでは。

 ええ、もうそれは十分評価できると思いますね。

岡部 そういう医療産業政策については、日本はどう対応すればよいのでしょうか。 産業育成と医療費の抑制には、完全に矛盾する面もあるわけですね。公平な国民皆保険を維持するということ高度先進医療の積極推進とをどうすれば、両立させることができるのでしょうか。

 それには、やはりGDP対比とかの尺度で、欧米先進国並みの9%から10%くらいのそう医療費を使うというコンセンサスの形成が必要です。米国の15%は行き過ぎだと思いますが。米国では、税金投入だけでもGDPの7%ぐらい、日本の総医療費に近い額を使っています。

岡部 そうですね。

 広義の医療産業が雇用機会を提供できて、なおかつ社会の経済厚生というのも向上できるという意味では、先進国ではGDPの10%ぐらいという医療費の水準が妥当であるという気がします。日本の医療費は絶対額が少な過ぎると思っています。

岡部 米国の医療費は過大というのは分りますが、米国ではIT不況を乗り切って好況になる過程で、200万人以上も雇用が増えたのですが、そのうち130万人は医療関係で吸収したということです。国民にとってはどのサービス産業にお金を払おうが同じことで、国民が医療や介護サービスを望むのであれば、それでよいのではないかと議論もあるようですが。

 古典派経済学の教科書的な言い方をすると、雇用を確保するというだけでは、公共投資を正当化できないのです。エコノミストとしては、医療介護によるサービス、公共事業によるサービスで、付随的な価値がどれだけ創出されたかを計算して提示すべきだと思います。
 公共投資にも、細かく見れば、いまだに必要なのはかなり残っており、公共投資か医療かといった大ざっぱな議論ではなく、個々のプロジェクトについて検証をして波及効果の大きいものを残すといった政策が必要です。日本ではそういう政策評価の体制がなく、過去の惰性で続けているといった印象を持っています。

〇 医療政策に対する事後評価システムの重要性

岡部 わが国で欠けているのは、政策の形成・執行の各過程での評価を行なうチェック・アンド・バランスの機構であり、これを強化しないといけない。政策の成果を点検して、将来の政策に反映させるには、個票データベースでの研究体制を確立する必要があるとの先生のご指摘ですが、そのためにはどうすればよいのでしょうか。

兪 一つは、まず研究費の財源です。米国では医療費の1%を政策の事後評価を中心とする研究に使っています。日本の医療費30兆円の0.1%でもすごい額になります。この研究費を利害の対立を防いだ中立的な研究機関に配分して、研究成果については政府がそれを審査することです。
 もっと一般的な話になれば、釈迦に説法という感じですが、日本には、あまりにも議員立法が少ないのですね。米国では国会議員の名前をつけた医療改革法案とか、いろいろな分野で国会議員自身が与野党を問わず法案提出の競争をしているのです。

岡部 そのバックにシンクタンクがついているわけですね。

 シンクタンクもありますが、PhDをとった医療経済学者も兼任で国会議員の下で働いているのです。米国では、50人とか100人ぐらいスタッフを抱えている議員もいます。彼らスタッフにとっても、データは集まりますし、実際の政策立案に関われるというのは、研究者にとっても非常に興味深いので、人材が集まるのです。日本にはまだそういう政策議員というのも非常に数が少ないのが問題です。若干は増えているようですが、 日本の場合、議員が学者や研究者をスタッフに抱えるという例は全然ないですね。
 米国では国会議員はウェブサイト上であれ、どこであれ、今年出した法案を並べて数を競っています。特に一年生議員にとっては名前を売る絶好の機会ですから。予算がつけば、仮にスタッフが5人でも、その5人が政策に専念すれば、かなりのよい仕事ができます。大学教授でも5人ものスタッフを使って先生はいないですから、医療だけに特化すればかなりのことができるのです。国民からも政策評価に予算をつけることには、文句が出ません。

岡部 先生はご著書で、改革の進め方は通説とは逆に米国よりもわが国の方が大胆である。加えて、外部の第三者がこれを評価するシステムもわが国では未整備であると指摘しておられます。具体的には、どのようにして、このチェック・アンド・バランスの機能を強化すればよいのでしょうか。そういう政策評価をきちんとするには、中立性は不可欠ですが、日本では政治主導ではなく、やはりそれは政府主導で行うしかないでは。

 そうですね。まず、国が最初にイニシアティブをとるべきです。でも、役所の外郭団体で、全員出向者みたいになってしまうと、中立性が疑われるという懸念も起きます。

岡部 でも、医療経済研究機構にしても、出資は100%厚労省ですが、研究員は100%民間からの採用ですから。

 そうですか。そういう形であれば、全然問題はないと思います。米国でも、人選が完全にニュートラルとは言い難いですが、でも、やはり分母というか、予算がかなり多ければ、いろいろな立場からの研究ができます。やはり民主党と共和党は医療政策では基本的に対立していますから、対立軸があれば、どちらが正しいかをお互いに吟味できるという大きなメリットがあります。

岡部 日本でも、対立軸を提示して、その是非を議論するような研究成果に基づいた審議会のようなものを設ければよいわけですね。

兪 そうですね。もう一つは、政党間で、たとえば医療費をGDPの7%に抑えるという主張の党と9%まで高めるべしと主張する党が、それをマニフェストに掲げて議論をすると、国民の意識というのも医療のあり方を真剣に考える方向に向いてくると思います。でも、私が知っているかぎりでは、日本ではそういう議論をしませんね。

岡部 そういう議論を政党間では、全然しないですね。ただ、大きく変わってきたのは、今までは、国民医療費という概念しかなかったのですが、OECDの国際比較が普及してきて総医療費でも議論をするようになりました。さらに、これまでは総医療費抑制であったのが、ここ2~3年の議論は、経済諮問会議でも公的医療費の抑制に変わってきています。公費支出は抑えるが、民間は自由にやってもよいという考えで、民間保険をもっと増やそうという方向ですが、この議論を先生はどう考えられますか。

 米国でも高齢者はメディケアという公的皆保険でカバーされているのですが、その点については議論の分かれるところです。ハーバード大学のカトラー教授がかねてよりこの分野の研究しているのですが、民間保険を拡大すれば、財政負担が軽減されるかどうかは、実ははっきりとは分っていないのです。
 メディケアの給付率をどんどん引き下げた場合、高齢者の中でも比較的所得の高い人たちはメディギャップという補足的な民間保険に入るわけです。その結果、同じ病気に罹っても異なる治療を受けられるということが起こるのですが、給付率が下がると低所得の高齢者は自己負担に耐えられず破産してしまうのです。破産して生活扶助を受ける高齢者が100%税金丸抱えになってしまって、自己負担がゼロになると、これは猛烈なモラルハザードが起こり、結局、医療費も増えてしまうのです。
 カトラー教授の実証研究では、下手をすると給付率を引下げて民間保険を増やせば増やすほど、メディケイドによる生活扶助に頼らざるを得ないような高齢者が増えて、かえってトータルの公的医療費も総医療費も増えるという結果が出ています。

岡部 そうすると、せっかく公的保険制度があるからには、そのパイを可能なかぎり大きくするほうが公的医療費の節減にもなるということですね。

 そうです。米国では、メディケア(高齢者医療保険)を削っても、メディケイド(医療を含む生活扶助)が大きくなってしまうのです。ですから、自己負担はどのレベルよいかというのも、少しずつ民間保険を入れていって、データをきちんととって検証していかないと、かえって医療費が嵩みます。

岡部 高齢者や低所得者の自己負担を増やしても、それほど医療費の抑制にはならないことは分りましたが、必要最低限の医療は公的保険でカバーするとして、それを超えた高度先進医療や快適なアメニティーを享受しようと思えば、民間保険もある程度増さなないといけないのではという意見もありますが、この点はどうでしょうか。

 そういうハイテク医療をぜひ受けたいという高額所得の人のニーズを民間保険でカバーするというのは悪くはありません。ただ、それには一つ前提条件があって、混合診療を幅広く認めるといった方向ではなく、英国型のように私的医療はすべて民間保険でカバーし、公的保険料と民間保険料は二重に支払って、医療費の税控除も認めない方式が望ましいものと思います。
 要するに、公的保険でカバーされない医療サービスを望むのであれば、つねに二重払いをする、それぐらいの覚悟があるなら、ぜひおやりなさいということではないかと考えています。実際に英国では行われている方式ですから、日本でも十分検討に値するやり方ではないかと思います。

岡部 日本も、好むと好まざるとにかかわらず、そういう方向に行かざるを得ないのではないでしょうか。

 ええ。それはすでにそうなりつつあります。民間医療保険の拡大も、考え方としては、とにかく保険料の二重払いをしてもらうというのが前提であれば、一向に問題はないと思います。ただし、民間保険に入っているから税控除をしてくれとか、公的保険料は支払わないとかいったことは逆選択につながるので、認めるべきではありません。

岡部 皆保険を維持すると言っても、自己負担率を上げていけば、結局、皆保険の体制が崩れるのではないかという識者の意見が多いのですが、この点はれはどう考えるべきでしょうか。

 そうですね、何割負担かという話ですが、自己負担利率を引上げても、結局、抑制効果はあまり出ないというのが、各国での実証研究の結果です。たしかにゼロから一割への引上げでは劇的に効果が出ます。ただ、だんだんその効果が下がっていきますから、4割から5割負担にしても、生活保護を受ける人が増えるだけになっていまい、それが財政上、トータルではマイナスになる可能性が非常に大きいのです。

岡部 三割負担といっても、日本には高額医療費制度による上限がありますから、全体では最高でも22~23%ぐらいの自己負担ですが、この辺りが引上げの限界でしょうか。

兪 それ以上の引上げは、いろいろな意味で非効率的ですね。医療費の抑制にもならないし、生活保護費が増えれば、財政にも必ずしも貢献できない。二割ぐらいか、三割かも知れないですが、それはやはり実証研究をして、どの辺りがいちばん最適かという水準を検証する必要があります。

岡部 最後に、先生のおっしゃる、どのような政策を主張するにしても、その基礎となる理念がしっかりしていないといけないと言うのは、まさに理念としては分るのですが、具体的には、日本に必要な理念というのは漠としていますね。

 いや、もっと分りやすく言えば、政党がそう理念をはっきりと示すべきだと思うのです。日本ではどの党がどのような主張をしているのか、大雑把でよく分かりません。

岡部 しっかりとしたマニフェストがないといけないということですね。

 そうです。イデオロギーとまでは言わないですが、一貫した主義に基づいた政策を確立することです。米国では、年金であれ、医療であれ、共和党にも民主党にもある種の一貫性があります。日本の場合は、なんとなく世論がこっちに動いたからというので、一斉に与野党ともに同じことを言っている感じで、ほとんど差がないというのが、実感です。

岡部 議論が乏しく、差がないのが、問題であるということですね。

 そうです。政党が国民の支持を得るためにどこをターゲットに定めるのか、アンケートとかサーベイをやって、こういう施策が望まれているという民意をある程度調べたうえで、選択肢を提示し、たとえばわが党は保険料は引き上げても自己負担は増やさないとか、逆に民間保険拡大を目指すといった一貫した政策を示すべきではないかと思います。

岡部 日本の政治には一貫性が欠けているとのご指摘ですね。

 一貫性は米国や欧州主要国の政党はきちんと持っています。日本はそれがないので、国民の政治に対する関心も薄れます。政党が、サーベイの結果に基づいてはっきりと選択肢の幅を示せれば、国民も医療政策に理解を示すようになってきます。

岡部 そうですね。よく分かりました。先生のますますのご研鑽を期待しております。

 (2007年4月発行、医療経済研究機構レター”Monthly IHEP”No.152 p1~10 所収)

コメント

※コメントは表示されません。

コメント:

ページトップへ戻る