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ポンペウ・ファブラ大学教授 ギレム・ロペス‐カサノヴァス氏とのMonthly IHEP 有識者インタビュー「国際医療経済学会の国際貢献活動について」

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                            話し手: ポンペウ・ファブラ大学
                        教授 
ギレム・ロペス‐カサノヴァス
                        聞き手: 医療経済研究機構
                専務理事  岡部 陽二 

 今回は、1月14~15日に開催された法政大学大学院エイジング総合研究所及び一橋大学主催の研究プロジェクト「世代間問題の経済分析~高齢者の医療費と介護費に関する主要国の政策と規制」国際会議に、招待スピーカーとして参加のため来日中のポンペウ・ファブラ(Pompeu Fabra)大学教授、ギレム・ロペス‐カサノヴァス(Guillem Lopez-Casasnovas)氏に、医療経済学の国際的な展開の動向を中心にお伺いしました。

 ロペス教授は本年から2年間国際医療経済学会(International Health Economics Association、iHEA)の会長を務められております。

 また、スペイン国内では、中央銀行の社外理事6名の一人に選ばれて、毎月の政策決定会合に出席されています。

 ロペス教授は、バルセロナ大学卒、1978年に同大学経済学博士,1984年に英国のヨーク大学から博士号を取得、1990年の創設時からポンペウ・ファブラ大学の中心的な存在として、国内外でご活躍中です。

 著書には,"Health and Economic Growth"(The MIT Press,2005),"Reference Pricing and Pharmaceutical Policy"(Springer,2001)ほか論文多数があります。

 このインタビューは法政大学経済学部小椋正立教授のお骨折りにより、実現したものです。

〇ポンペウ・ファブラ大学の医療経済学コースについて

岡部 まず、先生がお勤めのポンペウ・ファブラ大学は、わが国ではあまり知られておりません。どんな大学かご紹介願えませんでしょうか。

ロペス 「ポンペウ・ファブラ」というのは、カタルーニャ州で生まれた20世紀初頭の天才的なエンジニアの名前で、その大学者に敬意を表して大学の名称としたものです。この大学は20年前にカタルーニャ州立で設立された新しい大学で、学生数は全部で約8,000人です。

 スペインでは国立大学の地方移管が進んできました。そこで、カタルーニャ州政府は、国から移管された古くからの大学だけではなく、独自に新しい大学を設立したいと考え、先進科学分野に特化した大学の新設を決定したのです。

岡部 ロペス先生は、ポンペウ・ファブラ大学の創設時から、大学創設者の一人として意欲的な大学作りに関わってこられたのですね。

ロペス そうです。この大学はバイオテクノロジー分野が最も優れています。大学がバルセロナにある五つの大病院、製薬会社などと連携してバイオテクノロジーやバイオ医学の研究開発にかかわっていて、この地域の重要な産業分野になっています。大学には医学部があり、付属病院もあります。

 ほかの学部は、バイオテク専攻と情報工学の学部、法学部、経済学部などです。経済学部は国際経済学に優れていることが有名です。医療経済については経済学部を通じて他の学部と連携していて、学際的な組織になっています。

岡部 カタルーニャ州では、スペインだけでなく近隣のフランスなどでも話されているカタロニア語が使われていると伺っていますが、この大学の教育は何語で行われているのでしょうか。 

ロペス 大学での授業は英語、カタロニア語、スペイン語の3種類で行います。1ヶ国語だけしかできないのではだめで、英語とカタロニア語とか、英語とスペイン語など、最低限英語を含むバイリンガルであることが、入学の必須条件です。

岡部 それは、素晴らしいことですね。日本でも、もっと多くの大学がバイリンガルを必須にすべきですね。

ロペス スペインの出生率は年々低下傾向にあり、外国からの移民が増えているという現状があり、移民への対応も重要です。

岡部 医療経済の授業は学際科目として扱われているというお話ですが、具体的にはどのような形で行われているのでしょうか。 

ロペス ポンペウ・ファブラ大学には医療経済学専門の教授はいません。他の分野で実績があって、それに加えて医療経済学も担当するという考え方です。医療経済学グループは、経営管理学、金融論、ミクロ経済学といったような分野ですでに教授になっている教員で構成されており、それぞれが医療経済にも貢献するという形になっています。バックグラウンドが違う人たちを集めてセンターを作ったものです。私は本来は財政学の教授でしたが、今は医療経済学に重点的に取り組んでいます。

岡部 ロペス先生が、財政学から医療経済へ専門を移されたのは、何が動機となったのでしょうか。

ロペス 留学したヨーク大学で書いたPhDの学位論文の内容は、予算配分など国家財政についてでした。その後、財政支出面でのインセンティブ・スキームを実験的に病院に応用してみたのが医療経済分野に入るきっかけとなりました。もちろん、その当時からヨーク大学は医療経済分野が非常に優れていた大学ですが、ヨーク大学ではその方面へ進んだのではなく、公共経済学を専門にしていたのです。

岡部 四年制大学の学部でも、医療経済学を教える授業があるのでしょうか。

ロペス 私は学部の学生ではなく大学院生に医療経済学を教えていて、学部の学生には財政学を教えています。医療経済学は、学位をとって修士課程に入ってきた学生が学びますが、学部でも選択科目として医療経済学を教えている講師が一人います。彼は経営学が専門ですが、視野を広げるための手段の一つとして医療経済を教えています。

岡部 大学院で医療経済学を専攻している学生の数は多いのでしょうか。

ロペス 経済学系の大学院には世界中から学生が集まってきていて、約80人の大学院生がいます。そのうち、私の講義に出席して医療経済学を専門に学んでいるのは毎年18~20人ほどで、さらに博士課程に進んで博士論文を書くのは5~6人です。残りの大学院生は、病院などへ就職する前のトレーニングとして修士課程で学んでいます。

岡部 大学院の修士課程カリキュラムは、米国のMBAコースのような実務的な内容が主体でしょうか。

ロペス そうです。MBAコースのようなプログラムです。医療経済学を専門に勉強したい人は、2年目に専門のコースを取ります。

 大学院のプログラムは、大学がお金を稼げる仕組みになっていて、稼いだお金をうまく配分することによって競争力を得て、スペイン中から優秀な人材を確保することができます。外国からの教授の採用も重要です。先週はサンフランシスコで米国の医療経済学会の会合があったのですが、そこで新しい教授の人材リクルートをしてきました。他の大学と競争するには、教授陣に十分な報酬を支払うための資金が必要なので、大学院のプログラムがとても大切です。

 大学院の授業料は2年で2万ユーロ(約3百万円)ほどです。もちろん、授業料だけでは賄えず、公立の大学なので、州政府からの助成金が出ています。

〇International Health Economics Association(iHEA)の会長職について

 

岡部 International Health Economics Association(iHEA)の国際会議(World Congress)は、第1回が1996年にバンクーバーで開かれ、2005年にバルセロナで開かれた第5回の大会長(Conference Chair)をロペス先生が務められております。一昨年は第6回大会がコペンハーゲンにて開催され、今年の7月には、第7回大会がアジアでは初めての北京開催と伺っております。

 今年度からロペス先生がiHEA会長(President)に就かれますが、初のアジアでの大会開催は大きなイベントとなりますね。  

ロペス iHEAは13年前の1995年に設立されました。会員数は、現在2,800名で、2年ごとに国際会議を開催、その間に地域会議を開いています。今年から2年間私がiHEAの正会長を務めますが、iHEAは非常によくまとまった組織で、カナダに置かれている事務局には事務局長(General Director)のもとに3名のスタッフがいます。

 会長としての私の仕事は、この国際学会をどのように率いていけばよいかについての考えをアドバイスすることです。今週はサンフランシスコにいて、その前の週にはフィラデルフィアで、今年7月の北京での総会をどうするかということについての会議に出席しました。北京は非常に複雑な国際会議になると思われます。

 私の会長としての任期は、2009年の北京から2011年のトロントの準備までですが、その後は前会長としてアドバイスをするので、合わせて6年間、iHEAの運営に関わります。

岡部 先生はiHEAをどのような使命(Mission)を果たすべき国際学会にしようとお考えでしょうか。

ロペス
 私の任務がiHEAへ移ったのは、2005年のバルセロナ会議をまとめて欲しいという要請を受けたからですが、この大会開催は大成功でした。iHEAのためというだけではなく、バルセロナを医療経済分野の中心にするのに、とてもよい機会になりました。そういった経緯があって、iHEAの責任を担うことになったわけです。

岡部 それにしても、世界中を駆け巡らなければならないiHEAの会長職は大変なお仕事ですね。

ロペス 北京後の今年9月には、アフリカに医療経済学会が設立される予定で、この関連の仕事も忙しくなります。アフリカは今後とても重要になると考えられていて、目が離せない地域です。

 もう一つ、昨年の11月には、ラテン・アメリカン学会も設立されました。ブラジル、アルゼンチン、チリ、ベネズエラなどを取りまとめます。会長はアルゼンチンの元厚生大臣で、在チリのアルゼンチン大使も務めた人です。この学会とiHEAとの提携を深めるために、先日私もブラジルへ行ってきました。ヨーロッパの地域学会もiHEAの傘下に入っています。北京からトロントまでの間に、iHEAが地域学会をとりまとめる傘のような組織を作るという計画を進めるつもりです。

岡部 そうすると、残され地域はアジアだけということになりますね。

ロペス アジアに関しては、どのようにまとまるのか、まだ分からないですね。中国がどう動くかによると思います。

岡部 ロペス先生だけではなく、スペインではほかの医療経済研究者もそのような国際活動に関与しておられるのでしょうか。

ロペス iHEAには現在40人から50人ほどのスペイン人学者が関っています。当初は10~12人ほどでしたが、この問題が関心を集めるようになると、一挙に増えてくるものです。

 私の仕事のサポートは、ポンペウ・ファブラ大学にあるCenter for Health Economicsに15人のスタッフがいて、大学が非常に協力的です。じつのところ、iHEAでは会長の仕事自体はさほど大変ではありませんが、事務局長(Executive Directorは本当に大変です。この役割は、現在フィラデルフィアにあるテンプル大学経済学部教授のThomas E. Getzen先生が引き受けてくれています。彼はこの分野では、よく知られた高名な学者ですが、iHEAの業務でしょっちゅうメールを出していて、超多忙です。

〇iHEAの国際的研究活動の課題

岡部 医療は優れて地域性の強い分野で、各国の採っている医療政策も区々ですが、国際学会としては、どのような課題を中心に議論をされるお積りでしょうか。

ロペス 私の任期中の課題として、私は三つの目標を掲げています。一つは、地域メンバー(regional affiliates)を統合し、iHEAの機能を全世界の統括組織として確立することを目指します。二つ目の目標として、iHEAに運営委員会(Governing Board)を設けます。これにより、組織全体を民主化し、メンバーや提携団体(affiliates)が自由に参加できるようにします。三つ目の目標は、前会長のジェーン・ホール女史(Jane Hall,シドニー工科大学教授兼Centre for Health Economics Research & Evaluation所長)から引き継いだもので、アフリカや南米などの発展途上国に医療経済学会を作るお手伝いをします。これが3つの大きな目標です。

岡部 iHEAのCongressでは、アフリカ諸国のAIDS問題など、発展途上国の医療支援と経済発展との関係の研究発表が多く見られます。先進諸国が持っている医療の先進技術を途上国の医療福祉向上に活用する方策は、大きな国際政策課題ですが、経済学・経済政策の観点からは、何が重要でしょうか。

ロペス これまでのところは、研究課題については各地域の学会事務局にかなり自由に決めてもらっています。iHEAには、発表課題の内容を決める「プログラム委員会」というものはありません。地域学会の事務局が提案してきた課題を検討して、採択が妥当どうかを決定します。たとえば、バルセロナの大会での共通課題は「投資としての医療」でした。北京では、「医療システムをどのように統合し、運営するか」というトピックを検討しています。

岡部 先進諸国が持っている医療の先進技術を途上国の福祉向上に活用することが重要だと思いますが、この点に関しては先進国側からは、どのような政策を提案して行かれるのでしょうか。

ロペス それについては慎重に検討する必要があると思います。それは世界銀行のミッションの一つでもあるからです。世界銀行の一般勧告に基づいて特異性を考えていく必要もあります。たとえば、世界銀行は途上国の民間健康保険導入に非常に積極的です。世界銀行とは、頻繁に意見交換をしています。

岡部 WHO(世界保健機構)との連携はしておられないのでしょうか。

ロペス WHOの活動は、それ自体あまり経済とは関係がありません。WHOは主に公衆衛生に関係した活動を行っています。公衆衛生のトピックスが医療経済に何らかの重要性を持っている場合には、私たちとしてもそれを取り上げます。たとえば、世界銀行は民間健康保険を重視する結果、公衆衛生プログラムの重要性を忘れてしまうことがあります。公衆衛生も経済成長にとっては効果的なプログラムですから、世界銀行が十分に推し進めていない部分を、私たち経済学者が補足します。

 しかし、iHEAとしては、各国の医療システム改革についての提案はすべきではないと考えています。北京の場合も、中国の医療システムが今後どのような方向に向かうべきかについて、iHEAとして何か言うべきかどうか、これまでにも話し合いを行なってきましたが、そこまで言うべきではないと否定的に考えています。

岡部 医療システムは非常に地域的なものですから、たとえ建設的なものであっても、そのようなプロポーザルを部外者が行なうのは難しいでしょうね。

ロペス そうです。でも、世界銀行はそれをしようとしているのです。私たちとしては、特定のプロポーザルを支持したり、提案したり、スポンサーになったりするようなことはしないことにしています。

 そうではなく、各トピックスの討議に十分に対応したセッションを作ることに専念しています。オープン・セッションに加えて、iHEAは専門分野ごとのセッションを運営し、トピックに十分に精通していて幅広い視野を持っていると思われる人を議長に選んで、セッション参加者に意見を出してもらいます。

岡部 iHEAでは、研究の結果を発表するだけでなく、そういったディスカッションを重視しておられるわけですね。

ロペス それに加えて、同じ考え方の参加者だけでグループを作らないようにするというのも私たちオーガナイザーの役割です。あるセッションでは賛成だけ、別のセッションでは反対だけというのではなく、賛否両方の意見が議論し合えるセッションを作るように努力をしています。それが戦略ですね。誰かがある意見を述べると、周りが全部友人のメンバーで、全員がその意見に賛成して拍手するというような学会はよくありません。適任者に各セッションをオーガナイズしてもらい、多元的な見方を取り入れるように考えています。

岡部 今年の7月に開催される北京大会は、どのような規模になるのでしょうか。

ロペス 国際会議は3日間で、コンファレンス前の事前セッションもあります。北京大会にはすでに2,000人ほどが参加登録しています。2,000人は平均的な人数ですが、昨今の経済危機のため、海外からの参加者は少なく、とくに米国とヨーロッパから来る人が少ないのが問題です。中国で2,000人集めるのは簡単ですが、問題は先進国から適任の人物が来てもらえるかどうかという点にかかっています。

〇スペインの医療経済学会について

岡部 ロペス先生はスペインの医療経済学会の仕事もしておられるのでしょうか。

ロペス スペインの医療経済学会も設立当初は大変でしたが、今は仲間がうまく運営してくれており、私の仕事はあまりありません。会員数は800人で、当初は半分が医師、半分が経済系の研究者でしたが、最近では会員の大半がヘルスビジネスの経営管理に携わっている実務家になっています。

岡部 スペイン医療経済学会の事務局はポンペウ・ファブラ大学が担当されているのでしょうか。

ロペス そうです。この学会の前身となったRoyal Collage of Economicsに私が関わったのは、28年前の1980年で、その中にCommission of Health Economicsという名称の下部組織を作りました。その後、Spanish Association of Health Economics として独立したのですが、事務局はずっとポンペウ・ファブラ大学が務めています。

岡部 スペインでの医療経済学会の中心が、首都のマドリッドではなく、バルセロナになっているというのも、日本の常識からは意外です。

ロペス 医療経済についてはバルセロナが中心になっていて、マドリッドの人たちも資源がここに集中しているという点を認めています。マドリッドにすべてを集中させることはできないし、よいことでもありませんからね。

岡部 教育や研究についても、地域分散が進んでいるスペインは研究環境としても、また文化的な部分と政治的権力を分けるという観点からも、理想的な構造ですね。

 ところで、ロペス先生はマドリッドにあるスペイン中央銀行の理事も兼ねておられるということですが、これも大変なお仕事と思いますが。

ロペス 中銀の理事は2005年から始めた新しい仕事で、私は政府から任命を受けた6人の大学教授の一人ですが、仕事の内容は医療経済にはまったく関係ありません。名誉職のようなもので、最初の3年間は少々退屈でしたが、世界金融危機の昨今は結構問題山積で、楽しんでやっています。

〇スペインの医療保険制度とその改革策について

岡部 スペインの医療保障制度は、かつては拠出制の社会保険方式であったものが、1982年に成立した社会労働党政権による改革で、1986年に全額税金による英国のNHSに倣った国営方式に移行したものと伺っております。欧州大陸では例外的な方式ですが、英国のように全国統一の徹底したものではなく、人口の6割以上を占めるカタルーニャ州など7州では、民間の病院も保険医療を提供しています。その結果、OECD Health Dataでは、スペインの総医療費を賄う公的財源の比率は71.2%(2006年実績値、以下同じ)と日本の81.3%と比べてもかなり低い水準に留まっております。ロペス先生は、NHS方式には批判的で、ドイツやフランスなど欧州大陸諸国が採用している社会保険方式主体に戻すべきと主張されておられますが、現行方式のどこに問題があるのでしょうか。

ロペス 今回、日本のコンファレンスでの私のプレゼンテーションは、まさにその点について論じたものです。公的医療費の財源として、税金がよいのか、社会保険料の方が優れているのかについては、それぞれ一長一短があり、一概に割り切れません。社会保険方式には、国民の選択肢を増やすことが容易というメリットはありますが、どちらの方式も運用次第でよくも悪くもなります。したがって、最終的には政治的な決断の問題に帰するわけですが、少子高齢化の進展に伴い、実際問題として医療保険の財源を税金だけに依存するのは困難になってきています。高齢化の結果、公共支出の大きな部分が、高齢者の年金や介護などに使われてしまい、困ったことに若年者の教育や労働政策に回されるべき財源なども削られてきているのが現状です。

岡部 スペインでは、社会保険方式に戻すという議論が深まっているのでしょうか。

ロペス 議論は進んでいますが、最終的には政治問題です。スペインが英国のNHS方式を導入したのは、私がイギリスにいた1986年のことで、スペインの社会主義政府はイギリスのNHSをそのまま真似しようとしました。その当時、イギリスは従来の制度から、内部競争を重視するなど新しい制度へ移行する途中だったのですが、スペインはその新しい制度ではなく、50年代の古い制度を真似してしまったのです。そのため、私たちの制度はイギリスのものより非常に旧式で、欠点が目立ちます。

 この欠点を是正するには、現行制度のつぎはぎではなく、再び社会医療保険制度の考え方を導入すべきであると考えています。NHSの代わりに導入するとすれば、オランダのシステムが最善ではないかと思っています。

岡部 医療費の財源を全面的に税金に依存することへの反対は、主にどのような階層から出ているのでしょうか。

ロペス 反対は法人企業から出ています。連邦税の増税を医療支出の増加と結び付けられるのは困るという主張です。雇用創出に不利益をもたらすとも主張されています。自分たちが支払う給与税は年金や失業手当に充当されるべきだという考えです。労働組合も企業と同意見で、医療は社会保険方式にした方が、年金制度にとってもよいという考えです。

岡部 OECD Health Dataでは、スペインの総医療費は対GDP比8.4%で、日本の8.1%と先進国では低い水準で並んでいます。ところが、無料医療が原則のNHS方式を採っているスペインの自己負担が総医療費の28.8%と、三割負担が原則の日本の18.7%より大きいのは、どういう事情からでしょうか。

ロペス 医療費の21.7%を占める薬剤費の自己負担が大きいのです。また、国民には、前立腺切除術やマンモグラフィーといったような医療技術の恩恵を受ける権利がありますが、現行の保険ではこれらの治療や検査はカバーされていません。このような部分が自己負担となり、一部は民間保険でカバーされています。

岡部 高齢者の医療費が高いことは、スペインでは問題視されていないのでしょうか。

ロペス 集中治療でも急性期治療でも、終末期の治療に医療費が無駄に使われているという点は、大きな問題です。人生の終末期治療の主体は、緩和ケアにすべきだと私は思います。緩和ケアは、QOLの質を高める一方で、集中治療にかかる費用の3分の1ほどで済みます。そうすれば、税金を上げる必要はありません。緩和ケアを導入することで節約した資金で、ほかに必要な医療費を十分賄えると思っています。

○高齢者の医療・介護・福祉対策について

岡部 スペインの平均寿命(2006年)は、男女総合で81.1歳と日本の82.4歳に近い高齢社会に入っています。2008年の合計特殊出生率もスペイン1.38人、日本1.35人と両国ともきわめて低位にあります。この結果、両国とも高齢者の医療・介護費用の急速な増加が、若年層の負担増となり、世代間の負担調整が大きな問題となっているものと思われます。これは、高齢者の住宅問題などとも大きく絡んでいますが、ロペス先生はどのような政策提言をしておられるのでしょうか。

ロペス スペインの高齢者はかなり裕福で、もはや貧困層ではありません。持ち家率も高く、高齢年金受給者の90%が、家を少なくとも1軒は持っています。これらの資産を体が弱くなったお年寄りのケアに使うべきで、そのための環境整備を提言しています。

 スペインの租税負担率は38%ですが、そのうちの消費税率は17%です。17%でもEUの平均よりは低いので、まだ引上げの余地があると主張する人もいますが、消費税率を上げるのは非常に逆進的で、アンフェアな形で消費者に不利益をもたらします。高齢者の負担増は構いませんが、貧しい人が納めた消費税で裕福な高齢者のケアを賄うというのは筋が通りません。

岡部 スペインの人たちは、定年後はあまり働きたがらないというイメージがありますが、定年が60歳であれば、問題は日本より深刻かもしれません。その点についてはどのようにお考えでしょうか。

ロペス スペイン政府は定年年齢を65歳まで引き上げようとしています。もっとも、強制力はないので、まだあまり成功していませんが、おそらく年金減額システムに移行します。現行制度でも、長く働けば働くほど、もらえる年金が多くなるというインセンティブはあります。今後は、早くから受給すると年金額が減らされ、満額をもらえない可能性が増えます。スペインでもより多くの年金をもらうためにもう少し長く働くことを考えている人が多くなるでしょう。

岡部 日本ではご存知のように、高齢者を対象とした介護保険が2000年に導入されましたが、スペインでもそのようなスキームをお考えでしょうか。

ロペス スペインでも、2005年に、かなり気前よく高齢者に介護サービスを提供するという法案ができましたが、サービスの開始時期はまだ決まっていません。最近の経済危機が原因で大幅に遅れています。

岡部 時期が悪かったということですね。

ロペス それについて昨日もジョークを言っていたのですが、医療・介護政策を決定する人の多くは、サービス支出の数字をGDP比で出して、EUの平均と比較したりしています。スペインは、現在GDPの0.5%に過ぎない高齢者介護費用を2015年にはGDPの1.5%にすると公言しているのですが、分母のGDPが下がってきているために、2015年より前にこの数字を改定しなければならないことになるかも知れないのです。

岡部 スペインでは高齢者介護の責任は誰が負う仕組みとなっているのでしょうか。

ロペス 現在は、一次的には家族です。二次的には州や市町村といた地方自治体が負います。地方自治体は数年前から高齢者を対象としたセーフティ・ネットワークを作り始めましたが、組織的なアプローチではなく、十分にカバーできている自治体もあれば、そうではないところもあり、大きな地域格差があります。

岡部 スペインのよい点は、日本と違って一極集中ではないという点ですね。

ロペス スペインが直面している課題にとっては、地方分権はよい点だと思います。すべての地域、すべての地方自治体で、中央政府が統一した政策を強行するのは、非常に難しいことです。逆に、最善の革新的な動きというものは、地方から生み出されます。マドリッドには中心的な政党があり、右翼もリベラルもあり、さまざまな実験的試みを行なっています。それはとても大切なことだと思います。これらのシステムがうまくいけば、他の地域もそれを真似するからです。たとえば、バレンシアでは医療にPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)を導入しました。これこそが医療制度を民営化するよい方法だと言う人もありますが、私の研究室では、まず実験させてみるほうがよいのではないかと考えています。

岡部 本日は、わずか一泊の東京ご滞在中にインタビューに応じていただきまして、ありがとうございました。 

(2009年4月10日、医療経済研究機構発行「医療経済研究機構レター(Monthly IHEP)」No.174、p1~9所収) 

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