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ニュー・サウス・ウェールズ大学教授 ジェフリー・ブライスウェイト氏とのMonthly IHEP有識者インタビュー「オーストラリアの医療システムについて」

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話し手: ニュー・サウス・ウェールズ大学 教授
ジェフリー・ブライスウェイト氏

聞き手: 医療経済研究機構 副所長 岡部陽二ほか

 今回は、昨年9月下旬にキヤノングローバル戦略研究所の招きで来日されましたオーストラリアニュー・サウス・ウェールズ大学・オーストラリア医療イノベーション研究所教授兼財団理事長のジェフリー・ブライスウェイト氏(Professor Jeffrey Braithwaite, Professor & Foundation Director, Australian Institute of Health Innovation, AIHI)にオーストラリアの医療システムにおける組織マネジメントや医療の質と安全管理などを中心にお伺いしました。

 ジェフリー・ブライスウェイト教授の研究活動領域は、急性期病院のカルチャーや構造、医療事業体の経営管理とその変遷、医療の質と安全の研究、医療サービスの構造改革に関する提言など多岐にわたっており、医療サービス組織研究の第一人者として国際的名声を博しておられます。

 研究所の理事長として手腕を発揮される一方、研究者個人としても過去5年間に34件、27百万ドル(約22億円)のグラントなどの外部資金を獲得されました。ランセット誌など著名な研究誌への発表論文数は400件におよび、国内外での会議、シンポジウムなどでの講演回数も400回を超えておられます。

 このインタビューは、ブライスウェイト教授を囲んで、当機構の岩井勝弘研究主幹、新野由子研究副部長、片岡寛典企画調査部長、下田康次事業推進担当部長に、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の松山幸弘氏と前当機構研究主幹で豪州駐在ご経験をお持ちの厚生労働省統計情報部社会統計課長の西村淳氏に加わっていただき、懇談会形式で行なったものです。

〇 Australian Institute of Health Innovation (AIHI)の役割

機構; 本日は、このような寛いだ懇談方式で、オーストラリアと日本のヘルスケアの状況についてディスカッションできる機会をいただき、ありがとうございます。先生が理事長を務めておられますAIHIは2007年に既存の3研究所を統合して設立され、その役割・使命は医療システムにおけるガバナンスのあり方を横断的・統合的に研究することと承知しております。AIHIではITなどの先端技術を駆使して、医療の安全や効率性の向上など、臨床面だけではなく、組織運営全般にわたる医療提供機能の整備・強化を目指しておられるものと理解しております。スタッフは何人くらいいらっしゃるのでしょうか。

教授; そのとおりです。現在AIHIの研究スタッフは総勢100名、うち研究員は70名です。現在取組んでいる医療システムの問題に関わる大きなテーマ数が21あり、グラントの総額は13百万豪ドル(約11億円)となっています。このような医療ガバナンスに的を絞った研究機関は少なく、国際的に見ても最大規模の組織です。

機構; 研究活動をもう少し具体的にご説明いただけますでしょうか。また、どのような専門分野の研究者が多いのでしょうか。

教授; 研究には、医師、看護師、医療専門家が大勢関わっていますが、博士課程の学生も研究員になっています。また、人類学者、経済学者、社会学者、心理学者なども加わっております。たとえば新薬や新しい技術などについての輪唱研究では、それが医療現場でどのように使われているかを、それぞれの専門家が研究しています。
 現場重視で医療システムを改善する潜在能力について研究し、医療現場での改革実行を促します。監督省庁が机上で考えて「これが政策だ、これが規則だ」と言うのは構いませんが、実際の医療システムでは、医師や看護師やその他の医療従事者が患者を治療しながら、システムを運営しているのです。そこが改革の行なわれる場所です。その現場の実践で医療の質を改善することができます。ですから、私たちの研究はその医療現場に焦点を当てているのです。

機構; 倫理面などを含めた病院の管理についての研究も行なっておられますね。

教授; はい、政策、倫理、管理、リーダーシップ、システムの改善など、さまざまな分野の研究を行なっています。臨床研究のスタッフとも協力して医療ガバナンス問題を中心に研究を進めています。

機構; 現在手掛けておられます大きなテーマは何でしょうか。

教授; 研究は四つの研究センターに分けて行なっていますが、Eヘルスに関する研究が最大です。電子カルテや情報技術を医療システムに応用して効率化を図り、さらには医療の質を改善することに関する研究で、これが大きな部分を占めています。オーストラリアは、電子カルテの分野に数十億ドルの規模で資金をつぎ込んでいます。

機構; AIHIはサウスウェールズ大学に属しておられますが、先生の活動はオーストラリア政府の機能とはどのように関連しておられるのでしょうか。

教授; 私たちは競争的研究資金をベースに研究資金を受け取ります。政府の研究助成機関であるNational Health and Medical Research CouncilやAustralian Research Councilなどの研究資金に入札します。競争は非常に激しく、獲得するのは大変です。政府のほうから私たちに専門知識を生かしてコンサルティングをして欲しいとか、一緒に研究プロジェクトをやって欲しいと言ってアプローチしてくるケースもあります。ですから、多数の研究プロジェクトが同時進行しています。

機構; 先生の研究所に類似した研究を手掛けている競争相手は、オーストラリアにどのくらいあるのでしょうか。

教授; 数はたくさんありますが、私たちに匹敵するような本格的な規模の研究機関は一つもありません。ニュー・サウス・ウェールズ大学は、オーストラリアの4大大学のひとつで、国際的にも大きな存在です。今回、東京へ来る前に三日間にわたり香港で開催されましたInternational Society for Quality Conference in Health Care(ISQua、イスクァ)の第28回年次総会会議に参加してきたのですが、この会議に世界66ヵ国から集まった出席者1,900人の中で、私の研究所グループが出した論文の数がいちばん多かったです。ですから、私たちは医療スシステムに関する研究を行う組織としては、国際的にも最大規模になっています。日本からの参加者もおられましたが、この分野に特化した研究組織の代表は見受けられませんでした。

機構; 日本にもこの分野の研究者は増えてきておりますが、残念ながら、医療経済や医療経営を専門に研究する大規模な組織はありません。東京大学のような大きな大学でも、そのような研究に携わっている研究者の数は限られています。私たちの機構がそのような研究所になりたいと思いますが、現状では研究者は12人ほどです。それでも、医療経済の研究機関としては、大学を除くと日本で最大の規模です。

教授; オーストラリアで同じような研究をしているパートナーが欲しいということであれば、喜んで協力します。キヤノングローバル戦略研究所との関係で、おそらく毎年日本に来ることになりますので、何かお手伝いできることがあれば、ぜひご協力したいと思います。

機構; ありがとうございます。日本での医療経済や医療経営組織の研究体制はかなり立ち遅れており、先進諸国との共同研究や研究機関間の提携も活発ではありません。この分野では、日本はオーストラリアからたくさんのことを学ばなければならないと思っています。

教授; 私たちは、外国の研究者と一緒に研究を行なっています。主にヨーロッパ、イギリス、アメリカ、カナダの研究者です。ヨーロッパ諸国との交流は盛んで、11月にはフランス、オランダへも行く予定です。イギリスへも行って、一緒に行なっている研究についての討議をします。
 私たちはさきに申し上げましたイスクァのメンバーです。イスクァは、70カ国の医療機関などの会員に支えられて、医療の質と患者の安全に高い関心を持っています。たとえば、医療機関でのチームワークのあり方とか、医療政策をより効果的に実現する方策などに関する研究を一緒に行なっています。

機構; 当機構にも医療安全を専門に研究している優秀な若手研究者がいますが、残念ながら、日本にはヘルスケアの質や医療の安全問題を研究している独立した研究機関はありません。

教授; 世界中で、病院に入院する患者10人につき1人が、何かがうまく行かないことが原因で苦しんでいます。世界中のデータはないので、正確ではありませんが、これはたいへん重要な問題です。この問題に関して私たちと協力して研究しようとしている研究者が大勢おられます。ご関心があれば、どなたとでも喜んでお話したいと思います。

〇今回来日の目的と日本の医療機関におけるガバナンスの印象

機構; 今回のご訪日では国際医療福祉大学おはじめ病院や研究機関を精力的に廻られた由ですが、日本についてのおもなご関心はどのあたりにあるのでしょうか。

教授; 昨年キヤノングローバル戦略研究所が主催されました「医療シンポジウウム」にハワード・カーン氏(米センタラ・ヘルスケア社社長)、西澤延宏氏(佐久総合病院副院長)、神野正博氏(全日本病院協会副会長)とともにシンポジストとして招かれ、講演をしました。
 この訪日で、日本の総医療費は比較的低い水準に留まっているものの、患者の医療機関利用率がきわめて高いことを知りました。私の疑問は、このような状況が続いても、日本の国民皆保険制度が持続可能かどうかという点です。日本だけの問題ではありませんが、医療費高騰の一因として病院をはじめとする医療機関に効率的なマネジメントの意識が欠けていることが致命的です。私は長い間、医療経営について大学院で教えてきましたが、病院のガバナンスに必要な知識・経験は、臨床面だけではなく、幹部の指導力、財務力、組織を活性化する力などを併せた多面的な能力です。今回は、この観点から日本の医療機関の実情を知るように努めました。

機構; 日本の研究者と意見交換をされて、日本の病院のガバナンスについては、どのような印象を得られたでしょうか。

教授; 医療機関のリーダー、とくに病院の経営者には強力なトレーニングが必要です。ですから、私の大学院ではMasters of Health Managementという資格取得のための専門職教育を行なっております。これは医療のMBAのようなもので、20年ほど前からやっています。医師や看護師、医療専門家にリーダーシップ、経営戦略、組織的行動、医療経済、医療経営などを教えています。受講生の年齢層は様々です。オーストラリアだけでなく、周辺の東南アジアの医療関係者も私たちから健康管理や公衆衛生に関するトレーニングを受けています。でも、日本からの受講者は稀です。ですから、日本にはすでにそのようなトレーニングが確立されていて、ヘルスマネジメント職の修士号があるものとばかり思っていました。

機構; 残念ながら、日本にはそのような専門職養成のための大学院はやMHAといった資格はまだありません。日本にも国際医療福祉大学や広島国際大学などに4年制の医療経営学科はありますが、大学院レベルの専門職教育機関はなく、アメリカにあるようなMHAの資格もありません。オーストラリアには、そのような資格制度が確立されているのでしょうか。

教授; オーストラリアには、アメリカと同様に大学院にMHAのコースがあります。修士課程を終えて、メディカル・アドミニストレーターか、ノンメディカルの病院経営者として登録する必要があります。これは、アメリカとオーストラリアで確立されたシステムです。ヨーロッパではアメリカとオーストラリアほど確立されていませんが、イギリスでは確立されています。
 病院の経営管理は極めて複雑で、とくに大学病院の経営は非常に複雑なので、臨床医療やヘルスケアサービスを提供するとはどういうことなのか、その本質をよく理解する必要があります。また、ビジネス面、つまり医療の組織的な面についても理解する必要があります。ですから、優秀な病院のリーダーは臨床的に優れた医師であったり、看護師であったり、医療関連のヘルス・プロフェッショナルであったりすることもありますが、いずれにせよビジネスや経営管理、方針決定などの専門的なトレーニングも受けています。

機構; オーストラリアでは、病院やヘルスケア組織のトップになるには、そのような資格が必要だということでしょうか。

教授; 法律で義務付けられているわけではありませんが、これはきわめて一般的です。任意ではありますが、どの病院でもそうしています。病院の経営者や管理職で、この資格を持っていない人はほとんどいません。厚生省で政策を策定するスタッフも同様です。連邦政府だけではなく、州政府のスタッフもその資格を持っています。そのほとんどが私の大学院の卒業生です。

機構; その分野では、日本はまだまだ遅れていますね。そのような資格はありませんし、習慣もありません。もちろん、徐々に改善されてはいますが。もちろん、日本にも有能な病院経営者は大勢います。でも、みなご自分で研修を積んだ人たちで、大学などで専門教育を受けた方はわずかです。

教授; 確かに日本にはビジネスや組織化で優れたリーダーが大勢いることで知られています。でも、経験したことを正式なトレーニングで補足することも役立ちます。

3、医療費の財源

機構; オーストラリアと日本の医療関連指標を表 1~3で比較して見ました。両国の総医療費の水準や健康指標はきわめて似通っていますが、①医療費の財源構成と②医師数・病床数・医療機器数などの医療資源についてはかなり大きな違いがあります。
 医療費の面では、オーストラリアの医療システムは、財源を原則税で賄う英国方式で発足しましたが、その後米国流の市場競争原理導入を進め、混合診療の容認や民間医療保険の積極的な育成などの方策で、政策的に公的負担増を抑えてきたものと見られます。その結果、オーストラリアは公的財源の比率が69%と7割を切っており、公的財源が増加傾向にはあるものの、総医療費の抑制には、成功しているように見られます。
 その結果、オーストラリアの方が日本に比して医療費財源に占める自己負担と民間保険の比率がかなり高くなっていますが、このような状況を先生はどう評価しておられますか。

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教授
; そうですね、オーストラリアの人口は日本の約6分の1です。経済規模では、オーストラリアは世界の44位、日本は4位です。一人当たりのGDPは近年大幅に増えていますが、これは諸外国が直面しているような深刻な経済問題がオーストラリアにはないからです。諸外国がオーストラリアの資源を買ってサポートしてくれているからかも知れませんが。

機構; 一人当りのGDPでは、3~4年前にオーストラリアが日本を抜いています。GDPに対する医療費の比率は、両国ともOECDの平均を少し上回る水準で似ていますね。大きな違いは、オーストラリアでは公的財源の比率が70%を切っているという点ですね。日本はそれより少し高く80%を維持しています。

教授; オーストラリアの医療財源は3分の2が公的で、3分の1が民間です。オーストラリアはイギリスの医療制度に似ていますが、イギリスでは90%が公的で、民間は10%程度に過ぎません。ヨーロッパの多くの国では、公的財源の比率が民間より高くなっていますが、アメリカは民間医療保険の比率が他国より相対的に高くなっています。
 ただ、最近日本は公的保険から民間負担増のほうへ向かい、オーストラリアは民間負担から公的財源に比重を移しつつあると見ています。
 他にも違いがあります。オーストラリアでは家庭医制度(General Practitioner System, GP)を導入しています。患者は直接病院へは行きません。ゲート・キーパーの家庭医がいて、軽い病気はここで対応します。患者が病院へ直接行くとコストが掛り過ぎるからです。日本でも何度も導入を検討されたとのことですが、医師会の反対で実現しなかったということですね。

機構; 先生がご指摘の最近の変化は、表1の2000年と2008年の年次比較からも明らかです。オーストラリアでは公的財源の比率が高まってきています。でも、民間保険を含む民間財源も30%強とまだ高いですね。日本では20%くらいです。オーストラリアはイギリスの状況とはかなり異なり、アメリカ的な状況に近いとは言えませんでしょうか。

教授; 私の妻は大学の教授で、子供が3人いて、私は民間の健康保険に入っています。公的サービスもいつでも受けられますが、あえて民間の医療保険に入っています。民間保険も政府からの支援を受けており、税制上の優遇措置があります。私や家族が病気になったら、民間の病院に行くこともできるし、公立病院に行くこともできます。民間の病院ではできないことが公立の大学病院ならできるということもあります。

機構; 公的と民間の2つの医療保険に入っておられるということですね。

教授; はい、そうです。私は税金を支払っている納税者なので、国の保険に入っていて、いつでも公立病院で治療を受けることができます。また、GPのところで治療を受けることもできますが、公的病院には待ち時間が長いとか、希望する医師に掛れないとかいったサービス面の問題があります。そこで、すぐに手術を受けたい、待ち時間なく面倒な手続きもなく治療を受けたいという時には、民間病院を選びます。
 このように、オーストラリアでは公的制度と民間サービスの両方にアクセスでき、どちらかを選ぶことができます。私の場合は、仕事の関係で同僚のドクターや友人にいつでも相談することができるので、病気になったら彼らと話をして、その病気にはどこで治療を受けるのがベストかをアドバイスしてもらうことができます。ですから、オーストラリアでは民間保険に入っている人が大勢います。入らなければならないというわけではありませんが、大勢の人がそうすることを選ぶのです。その理由として、第一に税制上の優遇措置を受けることができる点、第二には選択肢が増える利点が挙げられます。日本人にとっては、あまりなじみのない制度かも知れませんね。

機構; 最近のオーストラリアでは、総人口の60%の人が民間保険に入っていると聞きています。オーストラリアの民間保険大手は非営利の医療保険専業であり、しかも税制上の手厚い保護を受けているということもあり、民間とは言えかなり公的色彩が強いということですね。
 民間保険なら患者が希望する医師を選ぶことができ、公的保険適用の公立病院では選べないということに抵抗感はないのでしょうか。

教授; でも、面白いトリックがあるのですよ。医療政策に精通しているとわかるのですが、オーストラリアの大学の大半には、公的資金で賄われている付属の教育病院があります。そして、その大学病院に隣接して民間病院があります。渡り廊下で繋がっているところもあります。その2つの病院間を同じ医師が行き来しているのです。ですから、公立の医療機関へ治療を受けに行っても、そこにいるのは、民間病院にいるのと同じ医師というわけです。ただ、公立病院では医師を選べず、そこにいる医師に診てもらう以外に選択肢はありません。

機構; 治療の仕方や医療の質には、公立と民間であまり違いはないと理解してもよいのでしょうか。

教授; そうです。そんなに違いはありません。お金を払って民間病院のドクターに診てもらえば、公立病院より診察時間が多少は長いかも知れません。でも、治療の内容自体にあまり違いはありません。

機構; 治療の内容ではなく、サービスの質は民間のほうがかなりよいというわけですね。オーストラリアの国民の多数はそのような制度に同意していても、中には平等性が損なわれると批判的な人もおられるのではないでしょうか。

教授: はい、まったくその通りですね。その点については、私も懸念しています。オーストラリアの国民は、日本と同様に平等性に重きを置いています。しかし、それが今のオーストラリアの制度であり、紆余曲折を経て、そういう制度が生まれたということです。この制度は、かつてのイギリスのように公的保険しかないという制度よりははるかによいと思っています。民間保険主体で無保険者がたくさんいるアメリカと比べるのは論外です。

機構; 民間保険や民間病院にはいろいろなレベルのサービスの中から選べる選択の自由があり、それを公的医療とミックスできるのはよいことだというお考えですね。

教授; はい。公的と民間の医療サービスがミックスされていて、選べるというのは、とてもよいことだと思います。消費者への選択肢が増え、サービスの範囲も広がります。
 でも、私自身を例に使うべきではないかもしれません。オーストラリアの医療政策をすべて理解している立場にいるからです。研究所に入る前に、大学病院でマネジャーとして働いたこともありますから、どの病院で治療を受ければよいか決めるのに必要な知識が他の人よりは豊富です。

機構; 私は10年ほど前にメルボルンに住んでいたのですが、公立病院のウェイティングリストはかなり長かったですね。その辺は変わりましたでしょうか。

教授; ウェイティングリストは短くなりました。システムが以前より効率的になったからです。でも、公立病院はウェイティングリストという手段を通じてコストをコントロールしています。そのため、ところによっては待ち時間が長くなることもあります。
 公立病院でもがんなど重篤なケースの場合には待ち時間をなくそうという取り組みを行なっています。これは、医療サービスの供給と需要をマッチさせようという取り組みで、ほとんどの病院が10年前よりは改善されてきています。

機構; 繰り返しになりますが、オーストラリアの人の多くが公的保険に加えて、なぜ民間保険に入っているのでしょうか。それは、よりよい治療を受けるためで、公的保険の補足的なものなのですか。それとも、民間保険に入っていないと、最低限の治療を受けられないということでしょうか。また、民間保険は基本的な治療パッケージをカバーしているのでしょうか。

教授; 税金による公的財源が基本的な部分については国民全員をカバーしています。がんとか心臓病とか糖尿病になったら、よい治療を誰でも受けることができます。民間保険での医療では、選択肢が増えます。たとえば、待ち時間なくすぐに治療を受けることができますね。民間病院へ行けば、アメニティーは快適だし贅沢な雰囲気があります。でも。オーストラリアの国民全員が基本的な医療は公的保険でカバーされています。

機構; では、どのような人がこの民間保険に入るのでしょうか。収入のレベルが高い人がほとんどでしょうか。

教授; そうでもありません。さきにも申し上げましたように、人口の60%が民間保険に入っています。過半数ですね。働いている人なら誰でも、民間保険にも入りたいと思っています。今は必要でなくても、後で必要になるかもしれないと思うから保険に入るわけです。子供のために民間保険に入っていたほうがよいと考える人もいます。一部屋に3人とか4人が入る相部屋の公立病院には入院したくない、個室に入りたいという人もいます。動機はまちまちです。
 税制のインセンティブも大きいです。先ほどお話ししたように、民間保険でも政府が保険料の支払を補助してくれて、後で30%が戻ってきます。政府は国民に公的保険と民間保険の両方に入るよう推奨しているのです。この制度は極めて理にかなっていますが、日本では、政府の政策だけでなく、国民の感情が異なっているという現状があるものと理解しています。
 もう一つ私自身の例で恐縮ですが、私は50代なので、5年ごとに大腸内視鏡検査を受けるよう推奨されています。これは、大腸の内部を内視鏡で見て、大腸がんがないかどうか調べる検査です。初期段階のがんですね。私の父は大腸がんで亡くなり、祖父も大腸がんで亡くなりました。ですから、私はハイリスクで、大腸がんで死ぬ確率がかなり高いと思います。ですから、5年ごとに大腸内視鏡検査を受ける必要があります。では、どこで受ければよいでしょうか。公立病院へ行くと、ウェイティングリストが長く3ヶ月は待たなければなりません。したがって、私は公立病院へは行きません。民間保険に入っているので、日付を選び、病院に電話をかけ、この日に検査を受けたいのですが、予約できますかと聞くわけです。大丈夫ですよ、という返事であれば、その日付を手帳に書き込みます。その便利さが、私が民間保険に加入している理由です。

機構; 予防については、がんの検査や人間ドックは原則自己負担なので、日本も同じような状況にあります。

〇 医療提供体制の日豪比較(公的病院と民間病院、GP制度)

機構;両国の状況が大きく異なるもう一つの点は医療提供体制です。オーストラリアのほう病床数・医療機器数などはかなり少ない反面、医師数は充実しており、効率的に質の高い医療サービスが提供されているのではないかと判断されます。
 病院数、病床数について見ますと、表4のとおり、両国ともに他の先進国に比べると民間病院の比率が高い点は共通しているものの、民間病院の比率は日本の方がかなり高くなっています。先生は、オーストラリアの公的病院は非効率で無駄が多く、医療財源も不足していると見ておられますが、日本に比べると集約化も進み、効率的に運営されているのではないでしょうか。

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教授: オーストラリアでは公立病院が2/3を占めていますが、総じて他の先進諸国に比してきわめて効率的に運営されています。また、薬剤や医療機器の購入価格は連邦政府が一括して厳しく管理しています。
 それでも、政府は満足しておらず、公立病院を継続して充実することを公約しています。税金によって効率的な医療サービスを全国民に提供することを重視しているからです。平等性の問題です。それと同時に、お金に余裕のある人を対象とした民間保険制度にインセンティブを与えて民間病院を育成する方針も明確です。民間保険を拡充すれば、全体として医療財源が増えます。
 この二つの政策間には葛藤がありますが、政府は誰もが医療を受けられるという平等性、効率性を達成する政策と民間からの財源を制度に取り込む政策を並行して進めているのです。

機構; 先生は政府がそのような方針を取っていることを評価しておられるのですね。近年、これまでは州政府任せであった公立病院に対する連邦政府の資金支援が強化されたものと聞いておりますが、その点についてはどう見ておられますか。

教授; 2002年に新しい医療政策が導入され、連邦政府は医療制度への資金供給を増やしています。逆に州政府の負担は軽くなってきています。税金を上げるのは連邦政府だからです。もちろん、オーストラリアの政治体制は日本と異なります。オーストラリアでも政権交代は起こっていますが、日本ほど頻繁には変わりません。もう一つの違いは、二大政党のイデオロギーは異なりますが、両方とも公的医療の充実を公約に掲げています。公的医療を減らすべきと主張する政治家はひとりもいません。国民が公的医療制度を支持しているからです。日本には存在しないGP制度についても同様です。

機構; 日本では、GPの問題は制度の問題だけでなく、GPとしての総合的な診療ができるプロフェッショナルが少ないという問題でもあります。オールラウンドな診療ができるGPを育てる教育制度がないからです。

教授; GP制度は多くの国が採用しています。少なくとも理論的には日本でもできると考えます。でも、政治的にはかなり困難ではないかと見ています。医療制度についても国民性というか民族文化の違いに由来するところが大きく、それを尊重すべきという考え方もあり、今年のイスクァの会合でも議論が盛んでしたが、国際的な視点も重要です。

〇 オーストラリアの医療システムの問題点とACATの評価

機構; 先生はオーストラリアの医療には問題点が多いとして、①現行医療制度は将来に備えたものになっていない、②国と州の間で責任のなすり合いが起きている、③人々が必要とする医療サービスとの間にギャップがあり、協力の仕組みを欠いている、④公立病院と医療従事者たちに過重な負担がかかっている、⑤持続が困難な財源モデル、⑥非効率で無駄が多い、⑦不十分な臨床上の取り決めの7点を指摘しておられます。
 いずれも日本にも共通する大きな問題ですが、これらの課題についてのオーストラリア政府や病院の対応や取組み姿勢をどう評価しておられますか。

教授; オーストラリアでは、これらの問題に取り組むための改革が進んでいて、資金を注入しており、問題を解決するための対策を練っています。たとえば、連邦政府はこのほど、医療財源に対してこれまでよりもさらに多くの責任を引き受ける方向で各州と合意しました。もちろん、それで問題が解決したわけではなく、まだまだ問題山積ではありますが。
 この7つの問題については、日本も同じ状況です。昨日もキヤノングローバル戦略研究所と国際福祉大学で、このことについて何人かの人で話をしたのですが、これは日本やオーストラリアに限らず、どの国の医療制度でも直面している共通の問題という点で意見が一致しました。

機構; オーストラリアでは1987年に導入されたACATという仕組みが、高齢の慢性病患者などの退院計画(Discharge Plan)のスムーズな運用に当っても、きわめて有効に機能しているものと聞いております。ACATチームは看護師・老人専門医・ソーシャルワーカーなど数名から成るチームで、全国に121存在し、年間約17万件のケースについて、退院前に直接病院へ出向いて退院後の生活相談に乗り、退院先をその場で決定するということですが、先生はどのように評価しておられますか。

教授; ACATの仕組みはオーストラリアでは大変うまく機能しています。日本ほどではありませんが、オーストラリアでも高齢化が問題となりつつあり、いろいろな試みがなされています。高齢化の政策については、私たちはいつも他の国よりも経験が豊かな日本を参考にしています。ACATのアイディアも日本から得たものとばかり思っていましたが、日本にないのであれば、どこから来たのか調べてみる必要がありますね。

機構; まだまだお伺いしたいことがありますが、この辺で。ありがとうございました。

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(2011年12月20日、医療経済研究機構発行「医療経済研究機構レター(Monthly IHEP)No.204、2011年12月・2012年1月合併号 P1~11所収)

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