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京都大学大学院医学研究科今中雄一教授とのMonthly IHEP 有識者インタビュー「医療の質・安全と経済性をめぐる実践的な医療経済研究について」

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話し手:京都大学大学院医学研究科 教授 今中雄一氏

聞き手:医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二

 今回は、京都大学大学院医学研究科の今中雄一教授に、医療の質・安全と経済性をめぐる実践的な医療経済研究についての最近の研究成果を中心にお伺いしました。今中先生は京都大学大学院医学研究科の「社会健康医学系専攻・医療経済学分野」で、医療政策・マネジメント、医療評価と社会実践的研究などを担当され、「医療の質と経済性」をめぐる社会的・学術的課題の解決に向けての実践的な医療経済学の確立を目指しておられます。

 社会健康医学系専攻は高度専門職業人養成のためのわが国初の「専門職大学院」として、2000年に京都大学医学部・大学院医学研究科に新設された新しい領域です。社会健康医学修士(M.P.H.: Master of Public Health)の専門職学位課程、ならびに研究者養成の博士(社会健康医学)(Doctor of Public Health)と博士(医学)(Doctor of Medical Science)の博士課程を設けています。修士課程では各専門領域の出身者計30名を受け容れるという学際的な試みが実践されています。

 今中先生は1986年に東京大学医学部を卒業、河北総合病院、日本医科大学、九州大学、亀田総合病院の勤務を経て、2000年4 月より現職に就いておられます。その間に日本内科学会認定医、死体解剖資格、東京大学で医学博士、ミシガン大学でM.P.H.とPh.D.を取得しておられます。現在、(財)日本医療機能評価機構執行理事(2000年度~)、日本医療経営機構理事(2008年度~)、また、複数の自治体立病院の経営改革等委員会座長などを務められてきました。

 著書には「医療の原価計算:患者別・診断群分類別コスティングマニュアルと理論・実例」(社会保険研究所)、「医療安全のエビデンス:患者を守る実践方策」(医学書院)など、英文原著論文も多数あります。


〇医療経済学を志した動機と研究の目的意識

岡部 医学部を卒業された先生が臨床医学や基礎医学研究の道へは進まれず、医療の経済性とか医療経営の人材育成といった医療経済・医療経営の分野に入られたのには、何か動機がありましたのでしょうか。

今中 私は、そもそも大学に入るときから、制度、政策や経営といった医療の社会面に興味があって、医学部を出たら医療の仕組みの研究をしたいと思っていました。臨床活動は、本質的にすばらしい営みですので、しっかりと行いたい、続けていきたいという思いで取り組み、両方は追求できませんでしたが、小生にとって重要な礎となっています。

岡部 なるほど、医学部に入るところから、医療と社会の関わり合いについて真剣に考えておられたというのは、珍しくないですか。

今中 医療は、患者さんのためにという使命が明確で揺らぐことがありません。技術も日進月歩です。しかし医療のしくみにはいろいろな課題が残されていてその解決や改善こそ世の中に重要なのではないかと強い興味を抱いていました。そこで医療の制度とかシステムの研究を仕事にしたいと考えていました。一方で、臨床医療教育のあり方に疑問を感じる学生同士で勉強会を始めていましたものが、大学の枠を超えて拡大していきました。ちょうど医学教育学会関係の新しい教育方法を試みようという先生方のご支援のもと、聖路加国際病院の日野原重明先生、当時阪大におられました中川米造先生、さらには九州大学で心身医学を興された池見酉次郎先生の三人の先生方に、それぞれのルートで勉強会をご支援いただくことになり、大学を越えた学生仲間で「全人的医療を考える会」という会を立ち上げました。全人的医療の実践はできないけれども、考えるのは学生でもできるだろうという発想で、「考える会」という名称にしたのです。

岡部 学生だけで、高名な先生を三人も引っ張り出されたのは凄いことでしたね。

今中 この「考える会」は初めのうちは関東圏で集まりやすい人間達でやっていたのですが、阪大の中川先生が中心となって医学教育の体験学習を試みたいというお話があり、全国から医学生が100名ほど集まって軽井沢で合宿をしたのが契機となって全国に広がりました。日野原先生も手弁当でいらしてくださり、普段以上にダイナミックなご講演に私達が興奮したのを覚えています。中川先生からも、自分の大学の学生はまったく乗り気ではないけれども、この「考える会」だとみんなやる気があって非常にやりやすいと評価していただきました。

岡部 学生時代から医学教育のあり方についてのご関心が強かったわけですか。

今中 そのころ、多くの学生の間で「病気は診るけど、人は診ない医療」をどうすれば改められるかといった問題意識があり、日野原先生や中川先生のお話に魅かれたのです。

岡部 今年98歳になられる日野原先生は104歳までは生きられると聞きました。なんとなれば、104歳までスケジュールがいっぱい詰まっているからだそうです。

今中 当時もかなりのお年でしたが、いまも矍鑠としてご活躍していらっしゃいます。大きな影響を受けました。この「考える会」での先生方からのお話やお互いの間の議論を通じ、医療のありようにさらに強い関心を抱くようになりました。
 初めの合宿では全国の大学にポスターを送り、40大学から100人ほど集まりました。「考える会」に集まったのは熱心で活動的な学生ばかりで、各大学に戻って自発的な勉強会が始まりました。その後、名医も多く生まれていますが、社会医学系に進んで教授になっている人が結構多いのです。

岡部 医学の基礎を身につけた人が社会医学系に進まれるのはよいことですね。理科系の考え方をあとから習得するのは難しく、経済理論や経営学の専門家があとから医療を勉強するのは大変な努力が要るのではないかと思います。逆に、医師が経済とか経営とかを勉強するのは、そんなに難しいことではなく、順序としては、そのほうがよほど合理的ではないでしょうか。

今中 そうかも知れませんが、逆も有意義な展開ができると信じています。

岡部 今中先生の医療経済学分野では、医療経済学の一分野として、「医療の質・安全と経済性」をめぐる社会的・学術的課題の解決に向けての研究・開発を行なうと同時に、その過程と成果を通じて専門職の人材育成も併せ行なっておられます。
 医療経済の研究成果から政策提言を行なうだけではなく、それをさらに一歩進めて、毎年30名の専門職育成や病院での実践というところまで踏み込んだカリキュラムを揃えている大学はきわめて少ないと思うのですが、医療経済学分野はどういうお考えで創設されたのでしょうか。

今中 私が担当している医療経済学分野は2000年4月に京大に新設されたポジションであって、それに声が掛ったもので、分野創設の着想は私ではありません。一方で、私自身は、病院組織とか医療制度など医療の仕組みをよくするための実践活動、それを支える研究開発に取り組みたいという強い希望は、大変僭越な言い方ですが持っていました。

岡部 先生のご希望にマッチした分野が京大に新設されたのはよかったですね。医療の分野でも制度論とか組織論を論じられている先生は増えてきましたが、そこから一歩突っ込んで医療経営者を再教育するとか、病院の経営をよくするためにインディケーターを開発するとかいうところまで突っ込んだ実践的な社会貢献を目指している大学は少ないのではないでしょうか。

今中 はい、そういうことを、私達も「目指して」います。貢献できているとは到底言えませんが、初めからそういう世の中に直接役に立つことをやろうという思いだけは持ってスタートしました。 

岡部 アカデミックな研究だけではなく、医療の分野でも専門職の養成や病院の経営指導といった実務のプラクティスもやっておられる国立大学があること自体、先生にお会いするまで知りませんでした。経営大学院とか法科大学院は知っていますが。 

今中 私の研究室では、実践活動とアカデミックな研究とを同時に、統合的に成し遂げていこうという思いは、強く持って取組んでいます。目標達成までは、まだまだ遠い道のりがあります。

岡部 そのような目的意識はやはりアメリカで勉強されたりした影響が非常に強いのでしょうか。 

今中 アメリカで学んだこともいろいろ役に立っているとは思いますが、実践的・学際的な研究への思いは、ミシガン大学へ留学する以前から持っていました。もっとも、学部卒業後は、留学中を含め、真剣に勉強しました。学生時代は遊んでばかりで、勉強はあまりしなかったので、その反動もあるかもしれません。
 医学部の授業は受動的でかつ自らの勉強不足のため、他にエネルギーが向かってしまいましたが、留学したときは、自分の勉強したい領域を自ら創り出して興味のあることを選べたので、とてもやりがいがありました。ミシガン大学では、School of Public Healthに籍はありましたが、医学部や病院のみならず、同じキャンパスにあった経済学や工学の研究科や政策研究所、社会調査研究所など、興味深いところ全部に顔を出して議論することができ、融合的な場になっていました。そういう点で自分のやりたいことをいろいろ勉強するには、私にとってちょうどよい環境でした。 


〇医療の質指標(
Quality Indicator / Improvement ProjectQIP)の開発

岡部 先生の研究室では、DPCデータを利用して診療のプロセス・成果や経済性を反映する客観的な「診療の質」のパフォーマンス指標を測定し、その情報を参加病院にフィードバックして、参加病院における医療の質向上を図るというプロジェクトを始められました。その狙いと具体的なQIPの内容などについてお聞かせください。

今中 有力な病院同士でデータを比較し、医療の質と効率をさらに高めることを目標に、1995年に民間の約10病院でスタートさせていただく機会を得ました。現在はDPCのデータを持っている全国から二百数十病院が、北海道から沖縄まで参加してくださっていますが、初めは少数の熱心な病院の先生方と話し合い支えられながら進み、DPC時代になって徐々に拡大してきたものです。今は民間病院だけではなく、公的病院、自治体病院も数多く参加してくださっています。 

岡部 それにしても、DPCが導入される前から、それを前提としたインディケーターを考案されたのは、先見性がありましたね。 

今中 先見性を持っておられた人々に囲まれていたということです。1992年にDPCの前身である日本版DRG/PPSといわれている、在院日数にかかわらず入院費用が丸ごと定額支払いとなる支払い方式が試行されました。その準備に向けて、DRG(診断群分類)はどんなものか、どうやって作るかといったことから、厚労省の人ともいろいろやりとりをさせていただきました。一方、このQIP自体が、もともとそういうケースミックス分類に基づく支払方式を視野に入れてのインディケーター作成と結果のフィードバックということでスタートしたものです。日本版DRG/PPSはこの目的に適っていましたので、いろいろと関係させていただく機会を得たのが、DRGやDPCとのつながりの始まりです。

岡部 このプロジェクトを始めた結果、参加病院のパフォーマンスに変化がみられているのでしょうか。診療パフォーマンス指標を活用しての多施設比較は欧米ではかなり幅広く行なわれていますが、わが国ではなかなか広がらないと思っていたのですが。 

今中 たとえば、急性心筋梗塞の死亡率は、病院によって大きく違います。1~2%ぐらいの病院もあれば、10%を超えている病院もあります。もちろん、患者さんのリスクもかなり違いますので、そういうものをリスク調整するために死亡予測モデルを作って、そのモデルを使ってリスク調整してお返ししたりするようなこともやっています。スライド1は、死亡率とその予測範囲を示したものですが、結構大きな差があります。

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岡部 このグラフの縦の棒線が、患者リスクから予測した入院中の死亡率なのでしょうか。 

今中 そうです。黒の点がリスクを考慮しない実際の粗死亡率で、縦の棒線は患者重症度などのリスクから予測した死亡率の範囲を示しています。
 そういうデータ共有をする中でスライド2に見られるように、ある病院では毎年死亡率が下がる実例も出てきました。こういうデータに対しては初めの高い時点で「データや計算がおかしいのではないか」と言われることがありますが、そういう時は、実際に双方で確認できるまでやりとりします。しかし、改善が見られるときは、これらのデータ提示は影響が無く、医療チームのご努力の成果をデータで後追いしたという感じです。

 

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岡部 それにしても、参加病院が死亡率を競って下げれば、全体としても大きく下がり、医療の質改善に繋がりますね。

今中 そうなるとすばらしいですね。重ねて申しますと、参加病院からは「われわれはそんなに高いはずはない」とか「どこか計算の仕方がおかしいのではないか」とか「症例の選び方がおかしいのではないか」という疑問が提起されることがあります。そういうケースでは、お互いに納得がいくまで、徹底的に議論をするようにしています。

岡部 手術の技術進歩もあるでしょうが、それだけではこんなに急速に入院中の死亡率が減少することはありませんね。主にどういう要因で改善したのでしょうか。

今中 ひとつの重要な要因は、医療チームの人員体制です。急性心筋梗塞は、1人の専門医では常時、診療はできません。いくら優秀な専門医でも一人で24時間対応はできないからです。看護師、コメディカルスタッフも極めて重要です。患者さんが来られたら、24時間いつでもすぐにカテーテルの検査や治療をするということになると、本来それなりの専門医が数人揃ったチームでないと対応できないのです。それが、実際には医師1人で、しかもその医師が循環器以外のほかの診療もしなければならないという状況の病院がたくさんあります。そういった場合十分に力を発揮することは難しいですが、その点について病院ぐるみで資源投資すれば一挙に成績がよくなることもありえます。

岡部 要するに入院中の死亡率というものに焦点を合わせて、病院の経営者が関心を持てば、何らかの対応がされて効果が挙がるということですね。

今中 はい、そうです。関心を持たねば始まりません。それから、改善に向けての医師の増員やチーム作りに取組み、それにCCUを作ったりする設備投資が必要です。その前に、その地域で自院にそういう医療が求められているか判断しなければなりませんが。

岡部 病院内の組織を変えることも時には有効でしょうね。 

今中 はい。専門医のリーダーとなって技術を引っ張る人は同じでも、初めのうちは力を発揮できず、コメディカルなどの人員体制が整うと急に力を発揮できるような例もあります。
 もっとも、このような顕著な改善はわれわれがデータをフィードバックしたから実現したのではなく、もともと病院が頑張られたからよくなったものです。われわれの評価データ・フィードバックがどれだけ影響しているのかはさっぱり分かりません。病院が努力された結果が数字に表れるのを見ているというのが正直なところです。

岡部 それはそうでしょうが、平均値と自院との乖離が分かれば、平均値より劣るところは何らかの努力をするのが当たり前でしょうね。 

今中 そうなっていることを期待します。もう一つ例を挙げますと、胃切除術の周術期の抗生剤の使い方と絡めて、術後感染率を割り出そうとした試みです。この例でも、スライド3のとおり感染率は、病院間でかなり違いが見られます。術後感染を見出すには、周術期の予防的抗生剤投与と感染に対する抗生剤の投与とを区別して把握することが不可欠です。そこに工夫を重ねて術後の感染症をより正しく拾い出すアルゴリズムを作り、術後の感染率を出しました。別途、診療録レビューと照合してその正確さを検証しました。

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岡部 この感染症というのは、胃の術創に発症したものだけでしょうか。肺炎とか、尿路感染なども含んでいるのでしょうか。

今中 術創感染ほか、高齢者の肺炎、尿路感染や敗血症なども含んでいます。ちなみに、スライド4は、術後の予防的抗生剤投与をやめて、抗生剤の投与日数をそれまでの4~5日から手術日一日までに減らした病院の例です。

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岡部 そういう「診療の質」を測るインディケーターの数はいくつくらいあるのでしょうか。 

今中 われわれのところでも100以上あります。ほかにも、いろいろな領域でいくつかの病院や団体がインディケーターを作っていますので、総数は勘定できません。 

岡部 先生の研究室のQIPに参加した病院は、そういうインディケーターに該当する診療をやっている病院は、すべてDPCデータを出してくるわけですね。

今中 そうです。われわれが一定のフォーマットの上で、匿名化された詳しいDPCデータを、厚労省に提出するのと同時に全部もらいます。その中から症例を選んで、たとえば急性心筋梗塞の患者さんだけを抜き出してきて、そのインディケーターを用いた評価をフィードバックする仕組みです。 

岡部 DPCデータは匿名化されていても、使用目的の規制とか、個人情報保護の問題とかをクリアするのにはご苦労されたと思われますが、いまのところ何の支障もないのでしょうか。 

今中 京大の研究倫理委員会はけっこう厳しいので、その審査をきちんと通したうえでやっています。その上でデータを保護する仕組みをわれわれのほうでしっかり持っていないといけませんので、必須ではないのですが、われわれの研究室は例のISO27001を取得して維持し、システムの強化に努めています。

岡部 ISO27001は3年ほど前に情報セキュリティ・マネジメントの世界標準として規格化された新しい方式で、進んでいますね。 

今中 その通りです。参加病院も厚労省へ送るのと同時にデータをわれわれの方に伝送するだけで、研究支援ができ、かつ評価比較データのフィードバックが得られるという状況になっています。

岡部 参加病院の名前は、出そうと思えば出せるわけですね。今は匿名でも、病院名を公表してほしいという要望はないのでしょうか。また、このような診療パフォーマンス指標は、参加病院に還元するだけではなく、患者が病院を選択する際の参考情報として公開されることに意味があると思われますが、この点はどうお考えでしょうか。 

今中 はい、そうおっしゃる病院の方もおられます。今後は病院名を出していくことも重要になってきますので、長らく検討は続けてきました。フィードバックする病院だけに他院の名前を出すのもひとつのステップですが、まだ、そこに至っておりません。一般公表については、メリット・デメリット両方ありますので、患者側や参加病院とのやりとりを通じて納得していただける手法を見出してからになります。  

岡部 米国では、院内死亡率などの診療成績を病院ごとに明らかにしようという動きが1980年代に始まり各領域の診療の質を測る指標の開発に取組むなど、学会単位や保険者主導で多施設間の成績を比較する事業が進んでいます。わが国でも、この方向に進むのでしょうか。

今中 米国でも、それなりのリスク調整はやっていますが、それでも重症患者の多い大学病院の数値成績がものすごく悪く出たりしている例もあります。リスク調整に完璧はありません。また、成績の公開情報は、一般の患者はあまり見なくて、医療者のほうが影響を受けやすいという研究結果も出ています。もう一つは、公表される数字というのは、いろいろな大事な要素のうちの一側面を示す指標に過ぎないという点にも留意しなければなりません。

岡部 インディケーターは医療のすべての側面を評価するものではないということですね。 

今中 一側面だけの評価で、しかも数字になりやすいところだけが、浮き彫りされてしまう嫌いがあります。たとえば、周術期の予防的な抗生剤投与については、もともと日本は抗生剤を使いすぎる傾向があったのですが、かなり明確なエビデンスがあったので、この数年間で急速によくなりました。こういう事例は非常に数字にし易いのです。ただ、胃がんであれば、切除手術自体の善し悪しによる生存率や合併症、QOLへの影響など、予防的抗生剤投与よりももっと患者に大きなインパクトを及ぼす指標を重視すべきです。えすが、比較可能な数値にするのは難しいです。

岡部 事後の成績よりも、手術そのものがうまくできたかどうかのほうが大事な指標であることは間違いありませんね。

今中 ですから、数字になり易いところだけ拾って単純に出すのは、結果的には、害や副作用が大きくなると考えます。一般に公開する場合には、わかりやすい注釈を付けたり、事前に数量的表現の限界を認識してもらったり、多軸的な指標を出したりすなど、かなりの工夫が必要です。 

岡部 なるほど。インディケーターの出し方一つにしても、いろいろな課題があることがよく分かりました。


〇医療の質・安全のためのコスト、経済性の分析研究

岡部 先生の研究室では、医療の質、医療安全と経済性の実証研究をやっておられますが、これまで医療の安全性はおもに倫理面の問題として捉えられていました。それを経済性とドッキングして考えるというのは、必要なことは間違いありませんが、実際問題としては、これはほんとに難しいと思うのですが。 

今中 限られた同じ資源の中でいかに医療の質をよくするかということを考えなければいけないのですが、もう一方では、きちんとした医療を提供するにはどれだけの人なり仕組みなりが必要かということを、はっきりと世の中には出していかないといけません。医療の質と安全は、人間が努力したらそれだけでよいといった倫理の問題だけではなく、これを担保するために必要な資源量を数量的に出していく必要があると思っています。 

岡部 そういうことになりますと、先生が監訳された「医療安全のエビデンス~患者を守る実践方策」(AHRQの研究報告書)には、たとえば「薬害有害事象を減らすためには、臨床薬剤師の役割が重要である」と指摘されています。事実その通りと思いますが、わが国では診療報酬も付かないため、臨床薬剤師を置いている病院は稀です。安全のためのコストを支払うことが、長期的には病院の経営強化に繋がることを実証する研究は、どのような考え方・手法で進められているのでしょうか。

今中 そうですね。アメリカのような形での臨床薬剤師の配置にはまだ遠いですが、日本でも臨床薬剤師が病棟に入ってくるインセンティブが診療報酬でも付いてきましたし、服薬指導をしたり、薬の管理をしたり、看護師がしていた調剤を臨床薬剤師がしっかりとするようになったりという変化は、どんどん進んでいます。臨床医療に薬剤師が関与する量は、もうこの十数年間でかなり増えてきていて、医療の安全と質の向上にかなり貢献してきているという印象です。 

岡部 医療安全の基本は、とくに病院の場合は、医師の過重労働をなくすことに尽きるのではないかと思いますが。航空機業界の場合はよく言われていることですが、1日何時間以上フライトしてはいけないとか厳密に定められていて労務管理が行き届いているわけですね。医師が過重労働すれば事故が増えるといったことを経済性との関連で解明できないのでしょうか。

今中 海外では、大規模な資金を投入した研究結果として、関連性が実証されています。日本では、過重労働の実態を数字で出すのがなかなか難しい点がありますが、私たちも調査票調査で医師の業務時間を調べて、実態の一部を発表しています。この手の調査でひとつネックになるのが、本当の超過勤務時間を報告すると労働基準法に反し、労基署の管理が厳しくなることなどが想定されて、なかなか正しいデータを出しにくいという問題です。 

岡部 そうすると、やはり病院の風土を、安全重視の方向に変えるしかないということでしょうか。

今中 そうですね。しかし、実態データを何とか出せるようにしたいものです。そして風土を確立した上で、医療もより効率化し、それでもなお医療に投入される労働資源量を増やさないといけません。

岡部 それしかないということですね。労働資源量を増やし、人員体制を強化するのはとても大事です。アメリカのこういう研究でよく出てくるのは、エラーとか有害事象とかを人間の努力で減らすだけでは安全に繋がらない。やはりプロセスとか、組織の構造とかいったシステム的なアプローチが重要という指摘です。要するに、個人の責任を問うのではなくて、組織の責任というか、組織のあり方が大事であるといことです。これに対して、どうしても個人責任で解決しようというのがわが国の古い風土ではないかと思いますが。 

今中 そういう面はあります。以前からシステムづくりが最重要であると考えてきましたが、この10年の間にそういう認識が医療界にもそれなりにはインプットされてきています。まだまだ十分ではありませんが、かなり変わってきたと思います。
 そういう方向に進める一助として、たとえば医療機能評価機構で認定を受けている病院による医療事故の報告、分析、改善の制度があります。医療事故があったときには単にその事実を報告するだけではなく、自院でそれなりの分析をして、組織面での改善策を立てて実行したことも報告しないといけないようになっています。こういうしくみの中で安全を維持し改善を進める病院には、診療報酬でもっと報われるようにすべきではないでしょうか。審査に当っても、事故を個人のせいにするのではなく、より事故が起こりにくいシステムにしないと認定を継続できないようにフィードバックがかかっています。こういった認定病院の努力はまだ世間に認識されていないのではないでしょうか。 

岡部 そういうことはわが国でもかなり広く行われてきているのですね。病院でも、「患者の安全を守るための10カ条」といったものを作ったりしていますが、やはり確立したガイドラインが必要ではないかと思いますが。 

今中 患者の個別性に対応しながら、クリニカル・パスとか、標準化したガイドラインを活用した医療の中で、質の向上とともに安全性も確保されていくことが望ましい形です。安全性に関係するガイドライン一つを作って、それに全部盛り込むという性格の事柄ではありません。
 ただ、ガイドラインの基礎となるエビデンスは、そもそも薬剤や特定の治療法の効果を示すものが多く、これとは別の側面、たとえば、重要視されているシステムとしての組織的な取り組みによる安全性向上・事故防止のエビデンスを出すのは非常に難しいのは事実です。

岡部 医療の質や安全性を確保し保証していくための医学教育用のシミュレータの開発を提唱しておられます。このシミュレータはどのように教育現場で活用されているのでしょうか。

今中 IOMの "To Err is Human"という有名なレポートのなかで、事故の頻度とか経済的な効果などが示されていることはよく引用されていますが、この報告書は、またシミュレータによるトレーニングの導入を強く勧めています。
 患者さんの前に出る前に、相当の技術の習得が必要な時代になってきたので、現実的な作業環境を再現したバーチャルなシミュレータの実用化が望まれます。それが、安全性の向上にも繋がります。アメリカでは広範に普及しており、日本でも手術現場などで使われ始めましたが、シミュレータの技術的要素の多くは日本で開発されているにもかかわらず、そのほとんどが外国製です。機会ある毎にこれを国レベルの産業政策に採り入れるよう訴えていきたいと思っています。

岡部 シミュレータの重要性はますます高まってきますね。


〇日本医療経営機構による「医療経営人材養成プログラム」
 

岡部 「医療経営人材養成プログラム」の実施機関となるNPO法人を設立して、「医療経営人材養成プログラム」を開講されます。現に医療経営に携わっている、もしくは将来携わることを目指す医師など医療職、経営企画職などを対象に想定されたこの職業人向けのプロジェクトは、従来の大学教育の殻を破るものではないかと思います。日本医療経営機構設立のいきさつとこのプログラムの狙い・内容などについて、ご説明ください。

今中 このプログラムは、事例検討や参加者相互の刺激を通じて、実践の上での経営力を向上させようというものです。有力な方々のご支援のもと、今年の5月頃には開始の予定です。

岡部 受講生は、現に医療の実務に携わっている社会人ということですが、何人ぐらい集められる予定でしょうか。 

今中 だんだんと大きくなっていけばと思いますが、初年度は比較的少人数で始めることになろうと思います。 

岡部 1年程度で完結する、ケース・スタディを中心としたMBAコースのような実践的なプログラムで、半年単位のコースがあって、それぞれでワークショップが行なわれる計画ということすが、場所はどこでおやりになるのでしょうか。 

今中 実施のスタイルとしては、まず1泊2日合宿等で討議を重ねて関係を作り、そのあとの数ヶ月は、自宅や職場など遠隔でインターネットを活用して参加型の学習を進める形式を考えています。すごいE-ラーニングのシステムを使うわけではありませんが、ケース・スタディを主体にお互いにディスカッションをしながら刺激をし合って力を養う方式です。ケース・スタディ中心で、遠隔の環境で、参加者の向学心を刺激し勢いづけるかに工夫を凝らすよう検討してきました。 

岡部 何カ所かに集まって、テレビ会議のような形でやられるのでしょうか。 

今中 いいえ、それは大変なので、無理なく働きながら受講できるように、Webを介した討論やオンデマンドでの視聴覚資料などを見てもらいます。送られてきたケースの資料を読んで、簡単なレポートなり意見書を作って皆で交換し合うとか、インターネットやE-メールを使ってディスカッションをしながら、講師の側からもいろいろな情報を出したり、あるいは頑張っている病院の姿をオンデマンドで見られるようにして、お互いに議論をしたりする、といったスタイルを考えています。 

岡部 全国どこにいても、働きながら医療経営を学び、実力が養えるというこのような実務家養成の教育システムはこれまでにない素晴らしいものです。それにしても、これを教える講師陣の充実は大変ですね。 

今中 はい。教材作りは大変です。まず、しっかりしたケース教材を作って、それを基にしてディスカッションをしながら、応用を検討して行くといった感じで考えています。
 ちょうど先週、合宿のトライアルを行っていて、石川県七尾市にある恵寿総合病院理事長の神野正博先生に講演に来ていただいたのですが、さっそくご自身のブログ神野正博のよもやま話にそのワークショップの模様を載せてくださいました。

岡部 ほかにも、正木義博さんなど病院の立て直しに成功された経営の専門家が加わっておられますね。
 ところで、仕事に忙しい医療現場の社会人再教育には、これは非常に有効な方式ですね。一方、新卒の大学生ないしは大学院生にもこういった医療経営の専門職教育が必要ではないかと思うのですが。米国にはMBAだけではなく、MHA(Master of Healthcare Administration)といった医療経営の専門職が何万人もいるわけですが、京大でそういう専門職大学院を作る構想はないのでしょうか。 

今中 すでにいくつかの大学や大学院があります。私達も分野内で少数精鋭で進めています。ただ、そういう学位取得者を大量に養成しても、わが国の現状では、受け皿とキャリアパスがあるのか、という現実的な課題に直面します。 

岡部 私も広島国際大学の医療経営学科で教授を7年やっていましたので、それはよくわかります。学部レベルの卒業生で、診療情報管理士の資格をとっても、病院では専門職として遇してくれないのが現状です。

今中 それは、病院の事務部門のレベルもどんどんと高くなってきていますので、いずれ変わってくることを期待しています。ただ、現状では医療経営の現場で働いている人材のレベルアップを求める需要のほうが大きいのではないかと思っています。病院団体などもいろいろな研修コースを用意していますが、そういうところではまだまだカバーできていない領域や要望もたくさんありますので、そういうところに力を入れたいと考えています。

岡部 自治体病院にも専門の病院管理者が増えてきていますし、大学病院なども独法化した以上、ますますそういう有能な経営者が必要になってきますね。 

今中 そうです。今回の合宿トライアルでは、検討対象となったケースの病院の方々にも来ていただき、情報提供やコメントをいただきました。一つのケースでは、地域での4病院競合の状態を数字で示しながら、今後どのような領域で、どのような戦略で頑張っていくべきかを参加者全員で議論し検討しました。 

岡部 やはり実際のそういったケース・スタディで議論しながら学ぶ方式が一番よいのでしょうね。

今中 はい、そう考えます。もちろん、ケース・スタディに基づく現場体験や応用力養成を核に、教科書的な講義や考え方のツールやフレームワークもしっかりと学んでいけるようにしていく方針です。 

岡部 経営理論の基礎とか会計の知識とかいうのはもちろん必要でしょうけれども、経営者の資質としては、それ以外で何がいちばん大事と先生は見ておられますか。 

今中 いくつかありますが、まずは組織が進むべき方向性をきちんと持っているということ、方針をしっかりと伝え、人々をまとめる力を持っていること、そして、この病院では医療をこういうふうにやっていくのだという強い意志とエネルギーが必須だと思います。

岡部 それはそうですね。経営者が病院に所属する医師を完全に把握して、十分に働かせるという、そこのモチベーションがいちばん大きいのではないかと思います。先生のお考えでは、MBA資格のような専門の経営理論だけを身につけた人ではなくて、やはりたたき上げの医師の方が経営者としても相応しいとお考えでしょうか。 

今中 例外もありますが、一般論で言えば、経営は医師だけではダメだと思います。また、経営のリーダーは、一人である必要はないかも知れません。リーダーシップにはいろいろな形と組み合わせがあると思います。また、医師をリードするには医師のリーダーの方が自然なので、医師も経営陣に入っていることが必須だと思っています。
 実際には、医師が経営している病院が多いのが現状ですが、うまくいっている病院は、必ずしも医師が一人で経営しているのではないと思います。医師と一緒になって医師以外の人が実際には経営しているというケースも増えているのではないでしょうか。 

岡部 確かに、実業界から病院に転じて立派な経営をしている方も増えてきましたね。

今中 はい。医療の現場で経営リーダーシップを発揮できる方は、医師であったり、医師でなかったりで、日本においても両方がいま伸びていると思います。 


〇公衆衛生大学院について
 

岡部 京大では初の公衆衛生大学院とも言うべき専門大学院を2000年に新設され、先生の研究室では、専門職学位課程での「社会健康医学修士(Master of Public Health )」の養成もしておられます。従来、おもに保健所などの行政分野で働く保健師は、看護師に追加講習を施して、医師の指導の下で仕事をしてきましたが、この公衆衛生分野に大学院レベルの専門職を養成して投入する意義には大きいものがあると考えられます。

今中 この専門職学位課程では、たくさんの学際的分野の知識を習得しなければなりません。医学の基礎に加えて、統計、教育、国際保健、環境衛生、倫理、医療経済、そのほかいろいろあります。コア科目以外は自らの方向性で選択するので、全科目を修得する必要はもちろんありませんが、扱う領域が広いこともあって、就職先も幅が広いのです。

岡部 社会健康医学修士(MPH)の需要は、厚労省や保健所などの行政だけではなく、ほかの領域にもあるのでしょうか。

今中 もともとMaster of Public Healthは、アメリカ的な概念だと思いますが、アメリカではMBAを取った人はそれなりにMBAの立場を認められた形で仕事をしているように、MPHも保健行政なり医療保健の組織で働くときに要求されるように、重要な価値を持っています。日本では、そういう社会的仕組みがまだないので、それぞれのMPHが頑張って就職先を開拓しています。一旦行政に入った方がブラッシュアップのために入学してこられるケースもあります。 

岡部 そうでしょうね。でも、そういう困難を承知のうえで、京大に第一号の修士課程を作られたというのは、大変進んだ発想ですね。 

今中 はい、そうだと思います。もともと多くの医学部に衛生学と公衆衛生学の講座はありましたが、それに純増分を加えて「社会健康医学専攻」の専門職大学院(開設当時は専門大学院)が開設されたものです。

岡部 そうすると、「社会健康医学専攻コース」の理由づけは、この公衆衛生修士(社会健康医学修士)という専門職養成にあり、それに研究職のための博士課程コースも加わっているわけですね。

今中 そうです。一橋大学大学院にできた国際企業戦略科というMBAコースの専門職大学院と同時に、京大にはSchool of Public Healthを新設しようと構想されたものです。MPHはMBAに相当する専門職の資格となります。 

岡部 公衆衛生の重点対象は、昔は結核とか伝染病が中心でしたが、いまは成人病とか新しい感染症に変わってきています。そういう分野の専門家を養成するというのは、大変なことですね。医学部以外の学部を出て入ってくる学生が多く、基礎知識はバラバラでしょうから。 

今中 はい。医学部出身者以外には基礎医学とか臨床医学の基礎も講義があります。ただ、公衆衛生大学院の幅は大変広いのです。協力分野もあわせると、研究室が20近くあり、ゲノムや環境医学に係わる実験に強いコース、統計や疫学、倫理、健康増進、国際保健、医療経営、政策などに関係する各コースなどの選択ができます。世の流れの後押しもあり、私達のところにはとても優秀な人々がかなりたくさん院生として来てくれます。医師もいれば、経済学、商学、法学、理学、工学の出身など、幅広い分野の人が来てくれるので、お互いがmultidisciplinaryに影響し合えるところもよい点です。医療関係者は医療には強いですが、やはり医療以外のところではほかの学部からの学生の方が強いのは当然ですが、それぞれの強み弱みを自覚したうえで、自分の強みを活かして行くことができるのです。  

岡部 先生の研究室の研究員の陣容は何人くらいでやっておられるのでしょうか。 

今中 私のほかに、講師が2人、助教が2人で、今はたまたま多くなっています。院生は、博士と修士と合わせて、いま20人ぐらいで、半数が医師で各診療科に及びます。 

岡部 そうすると、25人ぐらいの研究室(分野)が、社会健康医学専攻に十数もあるのはすごい規模ですね。

今中 分野によって人数が違い、全体で100数十人だと思います。院生は、専門職修士課程は1学年定員30人で、2年間で約60人、それに博士課程が各学年10数人です。 

岡部 それは医学部の中でも大勢力ですね。 

今中 大勢力とは言えませんが、昔の医学部にはなかったのは確かです。もともとの医学部には、基礎医学、臨床医学、社会医学の3領域があって、社会医学には従来の衛生学、公衆衛生学、場合によっては法医学もそこに入っていたのですが、京都大学では、社会医学を発展的に改組、増員して、大学院医学研究科の中にこのSchool of Public Health(社会健康医学系専攻)が作られました。 

岡部 国立大学で、そういう体制になっているのは、ほかに東大と九大があるだけですね。 

今中 はい。専門職大学院は、現在、医学ではその三つです。京大が先鞭をつけることになり、九大、そして東大にも出来ました。複数校あることは重要です。それぞれの特色がありますので、お互いに刺激しあって発展することができ、とてもよい環境になっていると思います。 

岡部 ありがとうござました。ますますのご活躍を期待しております。

(2010年5月10日、医療経済研究機構発行"Monthly IHEP"No.186,p1~13所収)

 

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