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東海大学教授・総合医学研究所所長黒川清氏とのIHEP巻頭インタビュー ~メディカルスクール構想と医学教育


話し手: 東海大学教授・総合医学研究所所長 黒川清氏
聞き手: 医療経済研究機構専務理事 岡部陽二

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 今回は、東海大学教授・総合医学研究所所長の黒川清氏をお招きし、わが国の医学教育のあり方についてお聞きしました。特にメディカルスクールの構想や2004年度から始まる新医師臨床研修制度に焦点を合わせ、米国の教育システムから学ぶべき様々なテーマにつきお考えを伺いました。

〇 メディカルスクール構想について

岡部 米国で4年制大学の卒業生を対象に臨床医を専門に育成する目的でのメディカルスクールが創設されたのには、どのような経緯があったのでしょうか。

黒川 医師を養成する考え方として、ヨーロッパには二つの流れがありました。患者中心で、臨床を重視する教育の英国系の教育と19世紀半ば以降に広がったドイツ式の研究重視の教育という二つの流れです。その当時のドイツは、感染症のコッホなど著名な人材を輩出しております。英国が基本的に臨床重視というスコットランド系の教育をしていた関係で、米国の医学部もスコットランド系の臨床重視をモデルとして作られております。
 日本も当初は、幕末に活躍した英国人医師ウィリアム・ウィリス(現在の鹿児島大学の基礎を作った)との縁で、英国式を取り入れようとしましたが、明治2年に研究重視のドイツ式に変わってしまいました。その当時は、日本の医学は東洋医学でしたし、感染症を克服しなければならなかつたので、臨床重視ではなく、研究志向でよいと考えられていました。

岡部 米国では臨床重視という考え方が一貫して採られてきたのは、どういう事情からでしょうか。

黒川 米国でも戦後、ライフサイエンスの重要性が認識されはじめ、研究を重視する政策をNIH中心に進めてきました。しかし、決して臨床を軽視したことにはなっていません。これは、アングロサクソン伝統のシステムであると私は考えています。アングロサクソンのシステムとは、昔の西洋的なプロフェッショナル・ソサエティーの特徴で、あくまでも自分たちが自律的にクオリティをコントロールして社会に貢献するというシステムです。このシステムを維持するには、医師は臨床ができなければならないという考えが根底にあります。
 また、そもそも米国は歴史が浅いので、どんどん新しいものをつくるというチャレンジ精神がありますし、しかも多国籍民族で移民の国なので、比較的普遍性の高いものを創造していくという風土がありました。ビジネスや金融の方法、医師や弁護士の養成の仕方、そして、共通の価値観のある高等教育の分野では、実験をしながら普遍的なものを創っていき・どんどん修正してよいシステムを創り上げてきました。

岡部 他方で、わが国の場合、医学ばかりでなく、法律・経営など他の分野でも大学や大学院は研究・教育の場であって、実践的な専門職養成の場ではないという現状があります。

黒川 いわゆるプロといわれるような人たちを養成するシステムでは、歴史的に、やはり米国が一番普遍的な価値観を持っています。わが国においても、医師や弁護士などの専門職は、いわゆる職業訓練所で養成するべきであり、プロフェッショナル・スクールという概念を導入しなければならないと思います。しかしながら、わが国の現状は、明治維新以来から続いているドイツ式の伝統で、研究することに価値があり、偉い人のすることであるというような実学軽視のミスマッチが起きていると考えられます。

岡部 黒川先生のご提案のメディカルスクール構想では、専門職大学院で臨床の実践教育を行うに当たって、多くの4年制大学の卒業生を「混ぜる」という点を重視しておられますね。

黒川 いま、様々な大学から新設の申請がでている実務のできるリーガル・マインドを持っている法曹人を養成しようという日本版ロースクールでも同様の問題があります。たとえば、わが国の価値観では東大が一番よいと考えられています。では、東大のロースクールにおいて、東大の学部を卒業した人ばかり入学させたらどうなるのか。相変わらず、評価が外から見えないままで、自分たちが一番優秀であると思い込んでいるでしょう。東大ロースクールの責任として、「定員の三割までしか東大を出た人は入れないよ」ということが重要です。米国ではこのような「混ぜる」ということを積極的に行っているので、大学の学部教育の出口における評価が可能です。つまり、大学教育というプロダクトの質を評価するシステムが米国にはあります。

岡部 日本版ロースクールでは、その「混ぜる」という議論はいまのところ行われていませんね。

黒川 その理由を説明しますと、メディカルスクール、ロースクール、ビジネススクールというシステムは、米国のシステムです。このシステムでは「混ぜる」ということを必ず大学院が自発的にルール化しているわけです。しかも、上位の大学が率先して行っています。このように、米国の専門職大学院にはシステムを運用するプリンシプルがあるのです。ところが、わが国ではその原理原則を全く理解しないで、形だけ真似をして、運用面では自分たちの価値観を当てはめているのでうまくいかないのです。
 米国のすごいところは、その最初の学部の4年間は、プロフェッショナル・スクールではないので、たとえば、MITとかハーバードのような一流大学では、将来法律をやろうが、ビジネスをやろうが、官僚になろうが、これからはバイオロジーを知らないといけないということでバイオロジーを1年間、必修科目として学習させています。そういう常識人を育てているのです。わが国の現状を見ますと、医師や弁護士、法曹の裁判官などは、よく社会の常識がないとか教養がないと批判されます。なぜこんな問題がでてきたのか。それは大学でそのような勉強をしていないからです。例えば、日本の歴史を知っているかというと、入試に必要な歴史以外は知らないのです。それが今までの「高等教育」だったのです。

岡部 いまの6年制医学部のカリキュラムでは、わが国では逆に教養科目の教育をおろそかにしていますね。新制大学発足当初は教養課程が2年間きっちりあったはずですが、今では、ほとんどなくなっているようですね。

黒川 50%という高い大学進学率となった現在、4年制大学教育の目的は何かというと、一般教養を身につけさせることと、専門職教育に進むために必要な基礎的な学問を教育することが大事です。したがって、専門職大学院の入口のところで必ず混ぜないと競争が起こりません。「混ぜる」ことをしなければ、学生は皆、18歳の学力で十分だと思い、「頑張るぞ」というモチベーションはそこで無くなってしまいます。わが国の高等教育システムには、そこに問題があると思われます。

岡部 メディカルスクール創設に当たっては、「混ぜる」方式を前提に構想しなければならないというご主張の意味がよく理解できました。メディカルスクールで留意すべきその他のポイントはありますでしょうか。

黒川 日本ではメディカルスクールをつくると同時に、メディカルスクールの卒業生は、「博士(ドクター・オブ・メディスン)」にするという制度にしなければなりません。現在、東海大学医学部では、四年制の大学を卒業した学士入学者を年間15人~20人採っていますが、4年間、医学教育を行ったあと、さらに「博士号」を取らなければならないのが現状です。「メディカルスクール」を卒業した後に、臨床とは関係のない研究で「医学博士号」をとらなければならないのでは、専門職大学院の意味がありません。

〇 新医師臨床研修制度に関して

岡部 来年度から新たに導入されます医師の臨床研修制度が、先生ご主張の「混ぜる」という方向には向かっているように思われますがいかがでしょうか。いわゆる「マッチング・システム」に近いものができつつありますね。

黒川 コンピュータによるマッチングがよいのかどうかは別として、「混ぜる」ということの方法の一つとして、「マッチング・システム」があると考えています。また、「混ぜる」ために情報がどんどん交換されることは望ましいことですから、研修を希望する学生や研修医が、ネット上などの共通の場でいろいろな情報を交換できる場を作る必要性を訴えています。
 そうすると、さまざまな人が様々なことを知ることができ・研修病院にもそれがフィードバックされて、受入体制強化に向けてのプレッシャーにもなってくるでしょう。それにより、研修システム全体がだんだんよくなってくると考えています。3~4年かけて徐々によいものに仕上げていけばよいと思います。

岡部 新医師臨床研修制度は、メディカルスクールが創設されれば、そこで行われることとなる臨床教育カリキュラムである「クリニカル・クラークシップ」と合体することはできないのでしょうか。

黒川 可能だと思います。一番の問題は、国家試験に合格したばかりの医師が医師免許を持っているのにもかかわらず、臨床の経験なしで実際には何ができるのかという点です。医学教育にクリニカル・クラークシップを入れるという方向での議論は進んでおりますが、それが根づき、効果がでるまでにはかなりの時間がかかるでしょう。
 現在は、このクリニカル・クラークシップが根づき、メディカルスクールが創設されるまでの移行期だと私は思っております。そうすれば、卒後研修は外科なら外科医という専門医トレーニング・プログラムをつくることになるでしょう。

岡部 米国のインターンやレジデントは、専門医としての教育を受けています。プライマリーケアの教育については、原則としてメディカルスクールで行われているということですね。次に、臨床研修の費用負担についてのお考えをお聞かせください。

黒川 米国では、一人の研修医に対して年10万ドルを国が支給する仕組みになっています。うち約4万ドルは研修医に支払われ、残りが受入研修施設に支払われています。まず、米国ではなぜ、一人の研修医に年10万ドルの資金が国から出るのかという根本を考えなければなりません。米国では、日本人であろうが中国人であろうが、内科の研修は3年終わったら、あるレベルの技術水準になるという「質」を保証しているのです。「質」を保証することで、国民は国がお金を出すことについて納得をしています。
 たとえば、脳外科専門医の場合、1年間に70人しか養成しません。研修期間の7年間で、どの疾患を何例手術しなければならないなどすべて決まっています。つまり、出口の「質」を保証しているので、国民は税金を投入することを納得しているのです。
 わが国においても、国費の投入は必要ですが、出口の「質」を保証する仕組みが整っていない現状では、難しいでしょう。私は、臨床研修においても「混ぜる」ことが重要であると考えています。研修医を自分の大学出身者で囲い込むと、内部しか見えないので、「混ぜる」ことが重要です。
 さらに、混ぜた研修医の2年目は、3ヵ月は無医村へ行くことにすることにより、日本の無医村の問題も解決することになります。このような誰にでも分かりやすいプログラムを出すことで、国民にもお金出すことについて納得してもらえるのではないでしょうか。

〇 クリニカル・クラークシップについて

岡部 さきにお話の出ました「クリニカル・クラークシップ」について、もう少しご説明ください。黒川先生が、東海大学に行かれてから、このクリニカル・クラークシップを導入されたのでしょうか。

黒川 そうです。米国から日本に帰ってきて東大に12年間いましたが、わが国の医学教育には変わる兆しもありませんでした。その中で、外から見ていて、東海大学は医学教育の改革を本気でやる気になっていて、いろいろな新しいものをどんどん取り入れようとする風土がありました。たまたま東海大学から医学部長を引受けて欲しいとの話が来たのでお受けしましたが、もともとクリニカル・クラークシップをやろうかという雰囲気はありました。

岡部 クリニカル・クラークシップの期間はどのくらいでしょうか。

黒川 一年半くらいです。

岡部 在学中に一年半も臨床現場での経験を積むのは素晴らしいことですが、わが国の普通の医科大学で考えている本来の授業に差し支えばないのでしょうか。

黒川 わが国の大学で考えている本来の授業というのは座学です。座学が終わり、卒業したとたんに医師免許をもらっても、現場の医師としては何もできないという現実の方がおかしいと思います。米国や英国へも学生を行かせていますが、あちらでは、患者を診ながら教員が学生に対して「なぜこうなるの?」とどんどん質問をします。紙に書いてあることではなく、患者さんを診て考えさせているので、その場で教わったことが即、身につきます。
 国家試験に関しても、座学ではなく、クリニカル・クラークシップをしっかりやっていれば受かるような国家試験でなければなりません。重箱の隅をつつくのではなく、医師として必要なメディカル・ナレッジを問うような問題になってくればよいと思います。
 つまり、臨床をやっていないと答えられないような問題がよい問題です。最近になって、徐々にそのような出題が増え始めているので、よい傾向にはなっています。

〇 医学教育に関して

岡部 現在の医学教育についての問題点を、もう少し突っ込んでお話頂けますでしょうか。

黒川 医学教育の目的の一つとして、知識、心がまえ、技能などの医学の基本知識を授けることは確かに大事ですが、新しい患者さんを診たときに、医師になってからも問題解決の糸口を見つけることができるような能力が重要です。それには、米国やカナダの大学のような新しいカリキュラムに変えていく必要があると思います。医師の養成は、現状では18歳の偏差値をもって十分とされ、出口での「質」の保証がないことが問題です。基本的には、医師としての社会的なミッションがあり、常に勉強をしていく人をどうやって選んで、育てていくかという点が重要です。このような資質は今の入試では分からないと思います。
 この点では、私はメディカルスクールの方にはるかにアドバンテージはあると思っています。大学で四年間たっぷりと勉強させて、面接で時間をかげながら学生を選んでいけばよいのです。そうすれば、四年制の大学を卒業し、上のメディカルスクールへ行く段階では、時問をかけて選んでいくため、試験をする必要はなくなります。もし中途で医師としての適性がないと判断されれば、4年制大学は卒業しているので、方向転換させることができます。
 しかし、いまのシステムでは、たとえば最終的に医学部を卒業しないと、国家試験を受けられません。つまり、6年間勉強しても卒業できないということになってしまう人が出てきてしまいます。ところが、4年間で1回学士を授与すれば、メディカルスクールの門戸は広くしょうが狭くしょうが、定員とは関係なしに適性がない人をスクリーニングすることができます。逆に「やっぱりこんなしんどい仕事は嫌だよ」という学生がいくらでてきてもよいと思います。

岡部 先生の医学教育に関するお考えは、米国に14年間いらっしゃり、教育と臨床現場を四つもの病院で経験されたことから得られたところが大きいのでしょうか。

黒川 日本のシステムや人事と関係なく、米国に14年間もいますと、日本のよいところも悪いところとが全部見えてきます。なぜ悪いのかという点も、よく見えてきます。日本の中にいたのでは、それが常識と思っているので、気付かないでしょう。しかも、日本は1990年まではサクセス・ストーリーの国でした。その結果、外から日本を眺めることができず、どこが悪いのか分からない状況になってしまっています。両方のシステムを知った上で、わが国の劣っている点を直していくことは大事だと思います。

岡部 米国から日本に帰ってこられた時の印象はいかがでしたか。

黒川 子供の教育もあり、46歳で日本に帰ってきました。日本に帰ってきた時の第一印象は、やはり学生が優秀なことです。しかし、卒業して医師になって10年くらいするとだいたい半分ぐらいダメになっていきます。要するに、システムが悪いのです。東大に入ったら東大にずっといて廻りが見えなくなってしまうケースが多くありました。
 わが国の医療をよくするには、これはもう医学教育しかない、日本にいないとまずいと思いました。私のプライオリティは、どんな仕事していても常に教育にあります。とりわけ、人材の育成が非常に重要と考えています。また、私のような経験をした人は少ないので、将来のある若い人達に、いろいろな考え方を発信することが重要だと思っています。

岡部 ありがとうございました。

(取材/編集:山下)

(2003年7月医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.112 p2~8 所収)

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