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一橋大学 教授 井伊 雅子氏とのIHEP有識者インタビュー
「医療保険制度・診療報酬と医療の質の適切な関係について」

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話し手: 一橋大学 国際・公共政策大学院 アジア公共政策プログラム
教授 井伊雅子氏
聞き手: 医療経済研究機構 専務理事 岡部陽二

 井伊雅子先生はウィスコンシン大学マディソン校大学院で経済学博士号を取得するとともに、1990年から五年間世界銀行調査局研究員として開発途上国での医療サービスの実態調査に従事されました。帰国後は、医療サービスを需要面から分析するなどユニークな視点からの医療経済・医療政策論を展開、横浜国立大学助教授を経て、昨年現職に就かれております。
 また、2001年からは厚生労働省の「独立行政法人(国立病院)評価委員会」委員、2003年からは「社会保障審議会医療保険部会」委員を務めておられます。
 著書には「医療サービス需要の経済分析」(共著、2002年日本経済新聞社)などがあります。

〇 医療サービスの需要面に着目した経済分析に取り組まれた契機

岡部 日本の大学を出て博士号を米国で取得され、世銀に五年ほどお勤めになったものと伺っております。世銀と医療経済の結びつきは分かりにくいところですが、医療経済の分野に興味をお持ちになったきっかけは。

井伊 もともと学生時代から開発経済というか、発展途上国の貧困の問題に関心があったのですが、たまたま世界銀行の調査局で中南米担当になってボリビアを担当しました。ボリビアは80年代にかなり深刻な経済危機に陥って、最もひどい時には、インフレ率が年間2万%を超え、小売業者は1日3回値札を変えるような状況でした。このような状況はボリビアだけではなく、メキシコ、アルゼンチンなど中南米諸国に共通していました。

岡部 80年代はブラジルなどどの国も、ハイパー・インフレに見舞われましたね。

井伊 銀行におられた岡部さんは、よくご存じだと思いますが、80年代の半ばから後半にかけて、多額の債務を抱えた途上国に対して、IMFや世銀はStructural Adjustment Policy(構造調整政策)という厳しい財政緊縮政策を強いていました。
 財政赤字を減らすためには、教育や医療といった分野の支出削減が手っ取り早いのですが、それで財政のつじつま合わせはできても、失業者が激増したり疾病や健康が悪化するなど「実際に国民のウェルフェアはどうなっているのか」という批判が噴出しました。IMFや世銀の中でも、「資金援助をするにしても、援助資金が実際には金持ちに流れていることもあり、本当に貧しい人たちに必要な教育なり医療が届いているのか、きちっとデータに基づいた分析をすべきである」という議論が出てきたのです。

岡部 当時、IMFの構造調整政策を揶揄して、IMFは「I am fired」(解雇された)の略だとか言われて、評判が悪かったですね。

井伊 当時のボリビアは中南米でもいちばん貧しくて、とりわけ乳幼児死亡率が非常に高い国でした。地勢もアマゾン流域から4000米の高地まであって、医療へのアクセスの問題が大きな政策的な関心事になっていました。
 その時に世銀のエコノミストの中で、「貧しい人たちでも、よい医療を受けるためには、そんなに高い自己負担は払えないにしても、ある程度お金を払っても、よい医療を受けたい」という気持ちが強い事実を指摘する研究者がいました。それは、現地調査をしている人たちの感覚的な発見であったのですね。それを、もっときちっとデータで示していくべきではないかということになり、私はずっと個票の家計調査のデータを担当していたので、ボリビアの医療サービスに関しての調査を手掛けることになったのです。
 ボリビアでは乳幼児死亡率や感染症罹患率が高いのですが、これはプライマリーケアの充実で解消します。このような軽医療サービスの価格弾力性はどうなのか調べると、多少のお金はかかっても医療サービスを受けたいという希望が強いことが分かりました。最貧国といっても、意外にみんなタバコを吸ったり、お酒を飲んだり、コーラを飲んだりと、お金を使っていることが家計調査で分かったのです。

岡部 そうですか。不可欠な生活費以外にもお金を使っているのであれば、医療サービスに対する需要が強いのは理解できます。

井伊 自分の子供のためによい医療を受けられるのであれば、年に数回のことですからお金を払ってもよいというWillingness to Pay(支払い意欲)がありました。

岡部 医療や介護といった公共サービスを自由に受けられるような社会システムが大事なのでしょうね。

井伊 そうですね。ボリビアへ私が行ったのは90年代初めでしたが、日本経済が一番調子がよい時であったので、「戦争に負けた当時には自分たちと同じような貧しい国民がどうしてここまで豊かになったのか」とか「その当時から日本の医療制度はどう発達したのか」といったことをボリビアの厚生省の人たちから聞かれて、困惑しました。
 私は、日本の大学を卒業してすぐアメリカの大学院に行ってしまったので、保険証を持っていれば、どこでも、いつでも安く医療サービスが受けられるくらいのことしか知らなかったのですから。

岡部 なるほど。外国でわが国の医療制度に着目して研究を始められたのですか。

井伊 ええ。途上国の人たちに、日本がここまで経済成長した背景には、しっかりとした国民皆保険の医療保険制度があることを伝えたいと思い調べ始めました。ちょうどアメリカでもクリントン政権の時で、ヒラリー夫人が皆保険実現に大変努力されましたけれど、結局議会を通らなかった。そういう中で、わが国は皆保険をかなり以前から導入をしていましたが、それがどういう仕組みで、どういう問題があるのかに関心が向いていったのです。

岡部 そうすると、医療経済や医療政策の分野の研究に本格的に取り組まれたのは、世銀から帰ってこられてからのことですか。

井伊 そうです。世銀にいた時に途上国の医療をテーマにした背景には、ウィスコンシン大学は医療経済の研究がとても盛んなところでしたので、周りの同級生たちの影響も大きかったです。それで、学生時代から関心はあったのですが、本格的に始めたのは、日本に戻ってきてからです。

岡部 そうですか。深いご洞察の論文を沢山書いておられるので、そうとは知りませんでした。

井伊 そう言っていただけるのはありがたいですが、やはりまだ医療の世界の現実には知らないことが沢山あります。最近は、医師との勉強会などにも参加させていただいて、経済学者が無責任に理想主義的なことを主張することの問題点も分かってきました。

〇 わが国の医療費の水準とその財源

岡部 そういう観点から見られて、医療の質とか効率性とかあらゆることを勘案したうえでのわが国の医療費の水準をどう見ておられるのでしょうか。

井伊 よくWHOやOECDの指標でも、日本はGDPに占める医療費の割合が低い割には平均寿命が長いし、効率性の高い医療システムであるといわれているのですが、不十分な費用で質の高いサービスを確保できるというのは、経済学の観点からはあり得ないことではないかと思うのです。

岡部 システムのどこかに無理があるということでしょうか。

井伊 どこかに歪みがあるのではないかと思っています。具体的には、急性期の病院がかなりその歪みを抱えているのではないかと危惧をしています。急性期に特化した病院は全国9,000病院のうち、半分か1/3程度で、一応3,000とすると、その内の1,500ぐらいの病院が国公立の病院です。その運営費は、医療費からだけではなくて、補助金など違うところから出ているのも、一つの歪みでしょう。
 もう一つは、勤務医としての医師、看護師をはじめ、急性期病院のスタッフは非常に疲れているというのを現場で聞いています。これも、何とかしなければならない歪みです。

岡部 やはりそうすると、総医療費は上がらざるを得ないということでしょうか。

井伊 そうです。わが国の医療制度を国際比較でみると、病院数や病院病床が多いにしても、特に急性期病院の一ベッド当たりの医師や看護師の数は韓国や台湾よりも少ない水準にあります。医療安全のことを考えても、医療費はとにかく抑えればよいという性格のものではありません。必要なところには、医療の質を確保するためには、ある程度の医療費増加は必要だと思っています。

〇 医療サービスの需要面から考察した自己負担のあり方

岡部 家計調査の観点から、医療サービスというものを需要面から着目されているというのは、非常にユニークな発想です。これまでは、供給面からの議論が中心でしたから。需要面から見た医療サービスについての価格弾力性というような概念はなかったのではと思いますが。

井伊 診療報酬は公的に決められていますしね。

岡部 結論からいうと、医療全体としては、価格弾力性はほとんどないということですね。軽医療は別にして。

井伊 そうですね。保険があると価格に関するコスト意識が低下して、価格弾力性は低くなります。ただ、医療をひと括りにするのは、やはり無理があります。

岡部 医療サービスには価格弾力性があまりないとすると、先生がおっしゃっているように、保険があるということ自体がモラルハザードになっている懸念があるということでしょうか。

井伊 そうですね。わが国の皆保険制度というのは素晴らしい制度なので、維持していくべきだと思うのですが、とても良すぎる面が多々あります。よく外国の人たちやわが国の医療制度をよく知っている外国の機器メーカーの人達と話していると、日本の医療保険制度は「too generous」(寛大)であるというような言い方をされます。一橋大学に来ている途上国からの留学生もそう言っています。
 また、事前的なモラルハザードがあって、保険があるので予防をしなくなってしまうという、予防のインセンティブがわが国の医療保険制度には欠けているのは確かでしょう。したがって、たとえば喫煙者の保険料を引き上げるといった形でのリスクマネジメントを保険にもある程度入れる必要があるのではないかと思っています。

岡部 保険料に格差をつける方式ですね。

井伊 そうですね。 でも実際には保険料に格差をつけるのは難しいので、お酒やタバコの値段を高くするのも一つの方法だと思います。また、英国では、高齢者になってからの人工透析の導入は自己負担になっているといった話も聞いたことがあります。

岡部 確かに英国の制限医療は厳しいですね。ただ、糖尿病患者がすべて悪い生活習慣の結果病気になったのであれば自己責任かも知れませんが、遺伝子の異常や、他の病気や薬剤の作用によるものなど、さまざまなタイプがあるわけですよね。

井伊 それが難しいところです。でも、何らかの形でリスクマネジメントの考え方を入れることは必要でしょう。現行の制度ように消費者の行動が考慮されていない保険制度というのは、無駄が多いのではないかなと感じています。生活習慣などに起因する医療保険の基本的な部分は積立式というか、自分で責任を持って支払った保険料の範囲内でカバーし、カタストロフィック(重篤で危機的な)な部分は賦課方式の公的保険でカバーするというのも一つの考え方です。

岡部 わが国の医療費が比較的少ないことが、急性期・亜急期の病院部門に歪みを生じているとみておられる訳ですが、これの解消にはどのような政策が望ましいのでしょうか。

井伊 ひとつは、保険と関連した部分では、病気に罹った場合に、大きな病院や大学病院に集中してしまうフリーアクセスの問題があります。プライマリー・ケアでのかかりつけ医に関しては、二次医療圏の診療所を中心に完結するようにすべきでしょう。その際に、かかりつけ医に関しても情報公開を促進し、患者さんが選べるようにすることが重要です。
 それと、大病院も外来に頼らなくても経営が成り立っていくような診療報酬にすべきだと思っています。その際に、どんな病院でも一律に引き上げるのではなく、ある程度患者に選ばれた病院というか、質の高い医療を提供している病院が生き残るような制度に改めていくべきでしょう。

〇 医療費についてのコスト意識と医療の質向上へ向けてのインセンティブのあり方

岡部 診療報酬と医療の質の関連では、医療機関にコスト意識を持たせることが必要との指摘がありますが。

井伊 将来的にはドクター・フィーとホスピタル・チャージを峻別して、ドクター・フィーに関しては、やはり専門医制度の確立と、医師の技量と診療報酬とを関連づけることは必要と思っています。
 ホスピタル・チャージというか、DPCは当初予想していたよりは、よくできた制度であると評価しております。在院日数や医療費の伸び率はかなり確実に減ってきているようです。わが国の医療は標準化されていなかったため、米国のように診断群別に定額払いにするには無理があるので、診断群別一日定額変動制であるDPCの導入によって、標準化やデータの透明化が急速に進んでいるのは、素晴らしいことだと思います。

岡部 DPCを導入しようと思ったら、否が応でもIT化しなければならない訳ですからね。

井伊 医師が診断名を明確につけるようになったというのも、DPCのひとつの大きな貢献だと思います。将来、調整係数というものはなくしていくべきだとは思いますが。
 今後の課題としていちばん心配されるのは、アップ・コーディングの問題ではないかと思っています。米国では疾病区分をより重症にすることによって、高い医療費を請求するケースとか、重症の患者さんは診ないようにするなどがDRG/PPSの弊害として出ています。これを防止するには、定額払い制を導入する際には、必ず第三者のアウトカム評価を導入することが不可欠であると考えられます。

岡部 そういう努力はこれからも行なわれるでしょうし、導入のやり方としては非常によかったという評価ですね。

井伊 はい。やはり標準化や医療データ・情報の透明化がこれからも進んでいくと思いますし、アウトカム評価もできると思います。アウトカム評価をどうやって進めていくかという時に、複数の医療機関がデータを出さないと比較検討できませんので、クオリティ・インディケーターを示すことが必要です。IT化は診療に忙しい医師や看護師が業務の間にやれることではありません。
 したがって、診療情報管理士のような診療情報をきちっと管理するスタッフを揃える体制を整えて行っているところには、それなりのインセンティブをつけるということを制度的に整備していかないと、「医療情報を標準化しましょう」とか「透明化しましょう」と言っているだけでは進みません。

岡部 診療情報管理士を置いているところには、1回につき30点とか点数は付いてはいるのですが、まだまだそういうインセンティブを増やしていく必要はあるでしょうね。

井伊 その1回30点はあまりにも低い評価だとは思いますが、きっかけにはなりました。東京都病院協会が「医療情報の標準化とデータベース化」というテーマで、アウトカム評価をこの数年来行っていて、24疾病に関して20病院ぐらいでやっているのですが、今度、全日病の協力も得て約60病院に増やすということです。
 米国にはメリーランド病院協会という全米2,000病院のアウトカム評価を比較している病院協会があって、国際的な活躍もしています。シンガポールや台湾の病院、日本では亀田総合病院も評価を受けたことがあると聞いていますが、そういう国際的にもアウトカム評価をしているところと協力をして、国際比較できるようなデータベースを作り始めているようです。東京都病院協会で行われている試みは、注目されるところです。

〇 高齢者医療保険制度改革の方向性について

岡部 独立型の高齢者医療保険制度につきましては、先生も社会保障審議会の医療保険部会委員として議論をしておられるわけですが、今後の論点のポイントについてお聞かせ頂けますでしょうか。まず、財源の分担で税金投入50%は前提となっているようですが、残りはどうするのでしょうか。

井伊 高齢者というのはハイリスク・グループなので、本来保険にはそぐいません。やはり公費である程度みるべきで、負担の裾野が直接税より広いと言われる消費税でみるしかないのではと考えています。ただ、やはり現行の医療保険制度は、病気になった時や年をとった時に、すべて国が面倒を見てくれるという仕組みで、保険の本来のリスク管理にはなじみにくく、これは非常に依存心が出てきてしまい易い制度だと思います。
 昨今の財政状況を考えると、年をとっても依存心が起きないような制度にするべきで、保険料や医療費の自己負担率もこの観点から検討することが必要です。また現在の賦課方式に加えて、積み立て方式も検討する課題だと思います。
 また、一概にほかの国で行なわれていることがよいことかどうかは分かりませんが、台湾では一日の外来患者の数によって診療報酬を逓減させています。たとえば、30人までは300点、31人から50人になると、220点(台湾の場合は、1点1元(約3.4円))になるといった具合です。台湾も非常に外来が多くて、わが国と同じように年間平均で14回ぐらいです。台湾の人が書いた論文を読んでいて笑ってしまったのですが、「病院にいつも来ている人がいないと、『あの人は病気になったのかしら』」というジョークがあると。
 まさに日本と同じことが10年、20年ぐらい遅れて、起こっているようです。この対策として考え出されたのが、患者数で診療報酬に差をつける方式です。

岡部 わが国では、そういうジョークは最近流行らなくなったようですけどね(笑)。

井伊 もうひとつは、医師の役割として、その人らしい年の迎え方というか、そういうものを判断することも医師の役割として、これから求められてくるようになるのではないでしょうか。ヨーロッパでプロフェッショナルとして認められる職業は、聖職者と、裁判官と、医師ですが、こういう人たちは死の判断をできる人たちだとされています。医師には、その人らしい死の迎え方というものが判断でき、そういう説得力をもってもらうことが期待されてくると思います。
 また、負担についても、高齢者といっても多様ですので、負担能力のある人には応分の負担をしてもらうことが必要と思います。よく言われているように、高齢者の所得なり健康度のばらつきは、非常に大きいです。60歳代後半で寝たきりになってしまう人もいれば、80歳代を過ぎても現役で働いている方もいます。

岡部 新しくできる高齢者医療保険の運営主体は、やはり都道府県が望ましいのでしょうか。

井伊 私はそういった保険の仕組みづくりは国がやるべきですが、運営は民間に任せてもいいのではないかなと思っています。政管健保については一部民間委託を主張したいのですが、高齢者医療保険にはハイ・リスクでインセンティブがないので、民間委託は難しいかも知れません。

岡部 いまの介護保険にならって市町村に分けてしまう方式にも、また無理がありますね。

井伊 そうですね。そうなると都道府県しかないかも知れません。そのあたりは、ちょうど5月の末に審議会で議論をすることになっているので、いま考えているところです。

岡部 これは医療だけの問題ではなく、地方自治のあり方などとも絡む難しい問題ですね。

井伊 そうですね。高齢者医療制度は、医療だけではなくて、介護、それに年金も合わせて、社会保障一体で考えなければならない問題です。ずっと病院に入院していて、生活費の一部まで老人医療費として支払われている一方で、年金は本人ではなく家族に渡っているというケースもあります。年金は家族に支給されているのではなくて、高齢者本人に生活のための現金給付として支給されているお金ですから、生活部分の入院費は年金から支払うのが筋だと思います。
 何れにしろ、社会保障の一体化というのは、非常に重要な問題だと思います。わが国の医療保険制度を議論していてわかりにくいのは、公費で賄われている部分(所得再分配の機能)と、保険料(リスクの分配の機能)とが区別されていないことです。税金と保険料の役割が混在していることが、医療保険の役割議論を分かりにくくしていることのひとつだと思います。

岡部 ありがとうございました。今後のご活躍を期待しております。

 (2005年6月発行、医療経済研究機構レター”Monthly IHEP”No.132 p1~7 所収)

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