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新通貨「ユーロ」に学ぶ ~ 円ドル相場安定へ向けて

 欧州の念願であった通貨統合が本年1月1日に実現した。統一通貨「ユーロ」の構想は、1957年のEEC成立にまで遡ることもできるが、1971年8月のニクソン・ショック以前には、世界中の通貨が金の価値に裏付けられた米ドルと固定されたブレトン・ウッズ体制が維持されており、為替相場は安定していた。したがって、域内通貨相互間の為替相場変動回避に向けての努力は1971年に始まり、1979年に発足したEMS(欧州通貨制度)とECUの導入で本格化した。

 EMSではEU内での為替相場の安定が至上命令と位置付けられていた。このEMSは幾多の試練に直面しながらも、相場の安定化に成功し、EU11ヵ国での第一段階の通貨統合に漕ぎ着けたのである。

 わが国が「ユーロ」誕生に学ぶべきは、為替相場の安定を最重要の政治課題と位置付け、通貨統合にまで発展させていった独仏首脳の構想力と外交の妙である。

 一方、ニクソン・ショック後に米国で起こった大きな変化は、変動相場制に突入した世界中の通貨を投機の対象とした大手銀行やヘッジ・ファンドのオペレーション拡充であった。1972年5月にシカゴのマーカンタイル取引所で開始された通貨先物取引は、通貨の価格変動というリスク取引を活発化し、通貨投機という火に油をそそぐ役割を果たした。

 デリバティブ取引の想定元本残高は1986末に全世界で約兆ドルであったが、その後、毎年20%を超える増加を遂げ、1998年には150兆ドルと、世界各国のGDP合計の4倍近い規模にまで膨れ上がっている。こうした投機が主体の金融取引が、ほとんど規制を受けることもなく放置されたままで、誰もチェックできないのが、現在の国際金融システムが内包する根本的な欠陥といえよう。

 翻って、わが国の状況はどうであったか。一言でいえば、全く無為無策といっても過言ではなく、ブレトン・ウッズ体制崩壊後の日本は円ドル相場の乱高下に翻弄され続け、円安・円髙に一喜一憂してきた歴史である。円ドル相場の変動を最近五年間について、「ユーロ」の前身であるECUとの対比でみると、円の乱高下振りが一目瞭然である。

 円の対ドル相場は、1995年4月の80円割れから昨年8月の147円まで、実に84%、同期間にECUの3倍以上大幅に変動している。さらに昨年8月の1ドル147円から本年1の108円に至る急激な円高はヘッジ・ファンドが低利で借りていた円資金も返済せざるを得なくなって、突如円買いに走ったのが主因と見られる。円の信認が急に高まった訳でもないのに、僅か5ヵ月の間に投機の手仕舞いに翻弄されて、円ドル相場が40円近くも円高に動いたのは、行過ぎというよりも異常である。

 ユーロ誕生によりローカル通貨化した円が、投機の対象として狙われ易くなるのは、間違いない。このような新たな状況を踏まえて、本年1月に訪欧した小渕首相が独仏伊それぞれの首脳との共同声明の中で、「ユーロ」と円との為替相場安定が重要であるとの合意を表明したのは、時宜を得た通貨外交の展開と評価できる。

 そこで、わが国がこれから採るべき政策は、具体的には、第一に為替相場安定を国民全体が関わる重大な政治課題の一つに位置付け、目標相場圏の合意,三極協調介入の強化に向けての外交交渉の積極化である。学者・エコノミスト・マスコミにも、政府が為替相場の安定へ向けての外交イニシアティブをとり始めた今こそ、変動制の下での相場安定に向けての世論形成を望みたい。

 第二には、為替相場の乱高下は、投機筋の動きをモニターして適時に適切な措置をとらなければ阻止できない。この際、市場の横暴に冒されて、国家が機能不全に陥っている現実を踏まえて、ルールのない市場原理至上主義を見直すべきであろう。銀行監督を通して行過ぎた投機的な動きをチェックし、通貨当局が協調して投機筋に得をさせないという対決姿勢を明確に打出すことが肝要である。(広島国際大学教授)

<略歴>1934年東京生まれ。57年京都大学法学部を卒業。同年住友銀行入行、国際投融資部長、ロンドン支店長などを経て、88年同行専務取締役。93年同行退職、97年まで明光証券代表取締役会長。98年広島国際大学医療福祉学部医療経営学科教授に就任。

 (1999年5月8日付け「中国新聞」7頁「中国論壇」欄所収)

 

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