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ユーロの輝き

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岡部 陽二

  ユーロ現金通貨への切替えが完了したばかりの欧州を三月に訪れた。ユーロ導入は一九九九年に遡るが、現金通貨への切替えは今年の一月と二月で、さしたる混乱も見ずにほぼ一〇〇%完了したというのは、驚きである。
今年の元旦から欧州十二カ国で流通し始めた八種のユーロ・コインは、すべてが新品のせいもあろうが、心なしか輝いて見えた。五ユーロから五〇〇ユーロに至る七種の紙幣も赤、青、オレンジ、緑、紫など暖色系で明るく、極めてカラフルで、眩いばかりに輝いていた。

各紙幣の表には「門」と「窓」が、裏側には「橋」と欧州の地図が描かれている。この図案は「希望の門、和平の橋」を意図し、未来への発展と世界との共生の願いを象徴しているものと受取りたい。建造物はいずれも実在のものではなく、ローマ時代から現代に至る欧州建築様式の変遷を示す架空のヴァーチャル作品である。オーストリア中央銀行に勤めるデザイナーのロベルト・カリーナ氏の創作が、コンテストで選ばれたものという。旧来の人物像などと違ってすっきりと垢抜けしている感じで清々しい。縦・横の長さが少しずつ違うので、識別も容易に出来る。

各紙幣の表面左上には十二カ国で使われているBCE、ECB、EZB、EKT、EKPという欧州中央銀行の五つの略称が記されている。また、通貨単位はラテン語とギリシャ語でそれぞれEUROとEYPOと上下に表記されている。ギリシャ文字での表記は、ギリシャに加えて、将来EU加盟が予定されているブルガリアやバルカン諸国などをも念頭に置いているのであろうか。通貨は統一されても言語などはばらばらである欧州の多様性が如実に示されていて面白い。
八種のコインの片面には欧州の地図をベースにした共通のデザインが描かれ、もう一方の面には各国それぞれが自らのシンボルとも言える図柄を配している。たとえば、アイルランドはケルトの竪琴、ドイツはブランデンブルグ門、オランダはベアトリクス女王といった具合である。コインは欧州中央銀行の管理下にはなく、各国政府の発行に委ねられているからでもあろう。

ユーロ現金通貨の金種は紙幣七種、コイン八種、併せて十五種で、わが国で流通している通貨の十種に比べてかなり幅広い。ことに、わが国の約五万円と二万円に相当する五〇〇ユーロと二〇〇ユーロ紙幣があるのは、大金の持ち運びが容易で合理的である。
ユーロ現金通貨の偽造防止には、ことのほか周到な対策が施されている。紙幣については、木綿用紙の手触り、インクの盛り上がりや透かしといった旧来の技法だけでなく、表面のホログラムに加えて、裏面には光の当たり方によって色や見え方が変わるという特殊技術が用いられている。

ところが、小説の世界では一足先に昨年、「メルカトルの陰謀(邦訳名:ユーロ-偽札に隠された陰謀)」という物騒なミステリーが大評判になった。欧州統合に反対する過激派政治グループが五〇〇ユーロの偽造紙幣をオランダでのユーロへの切替え式典に持ち込んで混乱を起こさせるというストーリーである。
このような事件が実際には起こらなかったのは幸いであったが、この小説の主人公はユーロ紙幣デザインのヴァーチャルな建造物にもけちをつけて、お金にはモーツアルトとかガリレイのような文化史に残る顔が必須であると主張している。フランス大統領選で超右派のルペン候補が二位につけたのと同様、フランやマルクへのノスタルジックな統合反対が根強いのも、個性を重んずる欧州ならではと頷ける。

EUが条約によって通貨に限らず経済面では国家としての機能を分担するようになったとはいえ、国境を超えた単一通貨は歴史上前例のない実験だけに、これほどうまく行くと予想する向きは学者でも少数であった。したがって、ロンドンに駐在していた八〇年代の初め頃、九〇年代早々には欧州に単一市場が誕生し、二〇世紀中に通貨統合が実現するといった話を日本に帰った都度熱っぽく説いても、夢物語くらいにしか聞いて貰えなかったのは当然であった。

それにしても、政治的には国家でないEU(欧州連合)がどうして共通の単一通貨を発行し、強制的に通用させることが出来るのか。マーストリヒト条約が基盤となり、欧州中央銀行法などによって通用性が保証されているユーロの仕組みをきちんと理解するのは難しい。それはさておき、EU十二カ国を廻って各国で両替をすると、以前は手数料をとられるだけで旅行の当初に持っていたお金が半分以下になると言われていた。理屈は抜きにして、このコストが要らなくなっただけでも素晴らしいことである。

一方では、ユーロ現金通貨の流通開始でユーロ圏内十二カ国の物価格差が白日の下に曝されることとなった。その経済効果として、価格の透明性が向上し、同一価格への収斂が進んでいる。自動車や家電製品などの価格は急速に圏内同一価格に統一されつつあるが、各国それぞれの社会保障制度の下で公定されている薬の値段などは大きく乖離している。フランスの病院が同国製の薬剤を薬価の低いギリシャから購入するといった矛盾も起こっているとか。通貨統合が契機となって、いずれは社会システムまでも統一の方向に進むのであろうか。

ところで、ユーロ紙幣の流通量は本年三月末で二五四〇億ユーロ、邦貨換算約三〇兆円弱となっている。ユーロ圏十二カ国の人口は三・〇三億人であるから一人当たり一〇万円弱の保有となる。一方、同時点での日銀券発行高は六八兆円で、人口一人当たりでは五三万円と欧州十二カ国平均の五倍強になる。しかも、日銀券発行高は不況続きのこの十年間で一・七倍に膨れ上がっている。
因みに、同時点での米ドル紙幣の発行高は六四二五億ドル、約八二兆円であるが、米ドル紙幣は過半が国外で流通しているので、米国民の保有額はやはり一人当たり一〇万円程度である。
米・欧いずれと比較してもわが国の現金通貨発行高が異常に大きいのは、現金決済が便利な裏取引の存在もあろうが、それだけでは説明がつかない。やはり、貯蓄や投資に代わる最も安全な資産保有手段として、膨大な量の一万円札が取引の決済には使われることのない退蔵目的で眠っているからであろう。そう思って一万円札を眺め直すと、いかにも灰色にくすんで、輝きを失っている。

(個人会員、広島国際大学教授)

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(平成14年7月22日日本証券経済倶楽部機関誌「しょうけんくらぶ」第72号4-6頁所収)

 

 

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