個別記事

誤ったヘッジファンド批判を憂ふ

 昨年8月に始まった米国でのヘッジファンド騒動ほど、我が国マスコミの受止め方と欧米金融界での理解との間に大きな懸隔があった事態は珍しいのではなかろうか。当のヘッジファンドを運用しているストラテジスト氏も、昨年末に来日した際にロングターム・キャピタル・マネーギメント社(LTCM)破綻についての質問攻めに逢い、米国ではLTCMが引き金となってあたかも金融クランチが起きているかのように日本で受取られている彼我の認識ギャップに驚いていた。
 LTCM破綻問題が大ニュースに発展したことで、我が国ではヘッジファンドが国際金融界での諸悪の根源であるかのように決め付けられているが、冷静に眺めてみると、ヘッジファンドだけが悪者で、世界市場を危機に陥れたとは到底考えられない。マスコミの論調が、ヘッジファンドに馴染みの薄い我が国の投資家に、ヘッジファンドを罪悪視する誤った先入観を与えているのは問題であろう。そこで、今回の騒動の根本にある問題点を私なりに探ってみたい。

 米国には大きく分けて二種類の投資ファンドがある。一つは公募形式でSECの規制も厳しい「ミューチュアル・ファンド」と呼ばれる一般投資家向けのものである。もう一つが投資家層と人数を限定する代わりに、運用規制を受けないプライベートの私募形式のもので、これが「ヘッジファンド」と総称されている。終始自己責任で行動し、国家の保護も期待しないし、干渉もされたくないというのが、プライベート重視の米国人投資家が好む哲学であり、個人資産の運用にヘッジファンドが重用されている所以でもある。
 それぞれのヘッジファンドは、独自の投資理論によって運用されており、投資対象も債券・株式だけではなく、通貨やデリバティブと実に多彩であるが、米国外の証券や通貨に投資するファンドもしくはデリバティブ専門といったファンドはごく少数派である。規模の面でも、約3,000と言われるヘッジファンドの内、運用資産残高が5億弗を超えるものは総ファンド数の1%以下で、10億弗を超える運用資産残高を持つヘッジファンドは17本に過ぎない。

  LTCM破綻の原因の一つは、過度のレバレッジ(銀行借入)にあった。デリバティブでの債務を除いた借入額が資本金の30倍とも50倍とも伝えられている。ヘッジファンドの中には、このようにレバレッジを極めて高くする投資哲学を採るところもあるが、30倍超と言うのは極端な部類に属する。株式に投資するファンドのレバレッジは通常2倍にも届かない。ヘッジファンドに限らず、投融資の原資を借入に依存する過度のレバレッジが常に問題を起こすのは当然のことである。
 それにしても、LTCMの蹉跌で非常識としか思えないのは、このようにハイ・レバレッジでの運用を業とする会社に実質無担保で貸付を行った大銀行が数多く存在した点である。銀行がLTCMのバランス・シートを綿密に分析しておれば、純資産四八億弗の会社に2,000億弗もの貸付が出来る筈がない。

 LTCMのようなヘッジファンドは、ポートフォリオの価格変動リスクを回避しつつ、利益の極大化を狙って、常套のヘッジ手段である「ロングとショートの組み合わせ」をしていた。これは、「値段の低いものを保有(ロング)する時、値段の高いものを空売り(ショート)する」行為で、その理論的な背景は、通常市場全体が下落する時は、値段の高いものの方が低いものより、より大幅に値を下げることによる。
 したがって空売りしたものを買い戻すことにより生まれる利益でもって、保有しているものの値下がり損をカバーできる、と考える手法である。従来はこのオペレーションで順調に稼いできたが、昨年8月に市場で大規模に起こった現象は「質への逃避」と呼ばれる逆転現象で、値段の高いものはより高くなり、値段の低いものはより低くなった。彼らは慌ててこのポジションを手仕舞い始めたが、そのプロセスで、米国国債など値の高い証券はより大きく買い上げられ、値の安いジャンク・ボンドや発展途上国の債券が売り浴びせられた結果、売買が成立しなくなった。
 ところが、英エコノミスト誌によれば、LTCMがとっていたこのようなポジション残高は約800億弗であったのに対し、世界中の銀行がとっていた同様のポジションは全体で3兆弗に上った由である。ヘッジファンドは正に氷山の一角に過ぎなかった。FRBがLTCM救済に乗り出したのは、同様のポジションに苦しんでいた大手銀行を助けることに主眼があったのは明かである。

 ヘッジファンドは投資運用に通常コンピューターで作った投資モデルを使っている。インデックスに投資し、判断をコンピューターにセットされたモデルに任せて、自己の主観的投資判断をしないことをパッシブ・インベストメントと呼ぶが、LTCMはその最たるものであった。彼らは自分で作ったモデルを過信し、一日中コンピューターのスクリーンを見ていた結果、世間から離れてしまった。
 市場が計算通りに動かなくなった時にも、自分のモデルは正しく、世の中が間違っている、といった反応を示すようになった。ところが、ノーベル経済学賞受賞の学者が作ったコンピューター・モデルは合理性の追求には向いていても、非合理性への対処には向いていないので、非合理性が市場を支配すると今回のようなパニックに陥ったのである。

 投機は本来、二つの投資対象の価格形成に非合理性がある時には裁定が働き、その非合理性がやがて解消されるという考えからなされる。ヘッジファンドも市場に存在する非合理的な相場を鵜の目鷹の目で探し、これを正すことによって自らも利益を得ようとする投資主体であって、その限りにおいては市場の効率化、相場の適正化を促す重要な機能を果たしている。
 この裁定取引が存在しないと、市場は活性化しない。非合理的な価格形成を生む原因は通常情報の公開不備とか、政府の規制や介入にある。したがって、市場を正常に機能させる第一歩は、企業の財務状況や銀行の取引実態についてのディスクロージャーを徹底することにあり、ヘッジファンドだけを悪者扱いにして規制しても何の意味もない。
 今回のような事態を回避するには、このような金融取引に関与している金融機関、殊に大手欧米銀行に迅速なディスクロージャーを義務付けて、金利・為替などのポジションを常時ウォッチする監視機関が必要となってきたということであろう。
 改めるべきは大手銀行や投資銀行の行過ぎた金融行為である。さらには、過度のレバレッジを自ら起こすのも、過度のレバレッジをする主体に不用意な貸し付けをするのも、常にその主役は銀行であることを今回の事態で再認識すべきであろう。 

(岡部 陽二 明光証券元会長)

 (1999年2月10日発行、(社)日本証券経済倶楽部「しょうけんくらぶ」第65号10-11頁所収)

 

コメント

※コメントは表示されません。

コメント:

ページトップへ戻る