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世界の三大美味

   世界の三大珍味といえば、キャビア、フォアグラ、トリュフと相場が決まっている。だが、人には好き嫌いがあって、いかに珍味といわれても嫌いなものは仕方がないし、多くの人が納得する形で食べ物のおいしさの順位を決めるのは難しい。おいしいというのは、単に味だけでなく、食べた時の状況、雰囲気、気候、体調、さらには一緒に食べる相手、話題などでも大きく変わるからである。それでも、食べた後に、もう一度食べたいと印象に残る食べ物がある。これが私にとっての「美味」であり、これまで世界を旅して何回か食べたものの中から、まったくの独断で選んだのがアンギュラス、ムール貝、上海蟹の三大美味である。

 それにしても、味について論ずることは難しい。おそらく、あまりにも捕えどころがなく、主観的、一方的にならざるを得ないからであろう。卓越した文芸批評家の小林秀雄は大変な美食家で学生時代から老舗の鮨屋にしか行かなかったが、「食欲というものは最も低級な欲望である」とけなして、食について書くことを拒否したそうである。

 味の議論は難しいには違いないが、食についての評論もあれば、ミッシェランなどの評価も存在する。しかしながら、私のように好き嫌いの多い人間も多数存在するので、万人の好みに合わせた選択は不可能であろう。ことに、日本人は自然のままとか天然物への思い入れが強い。食の世界でも、中国料理やフランス料理では自然にない味を作り出すのが料理であるのに対し、日本料理のよしあしは材料で決まる。その代表が刺身である。

 フランス料理も嫌いではないが、素材の折角の持ち味を捨ててから、別のソースで味付けをする料理法には違和感を覚える。食べ物は食材そのものの味を尊重すべきと考えるからである。私の三大美味はまさにこの基準で判断したものである。

 珍味といえば、日本にも世界に冠たる珍しい食べ物がある。先日、石川県美川町(現在は合併して白山市)に不登校児の教育特区校として開設されたアットマーク・インターナショナル高校の式典に参列した。何とこの町の特産品が、食の権威小泉武夫先生によって「食の世界遺産・日本編」で日本の珍味六八選のナンバーワンに選ばれた「フグの卵巣の糠みそ漬け」であった。これは猛毒のフグの卵巣を糠みそに三年間あまり漬けて発酵させ、その有害物質を微生物の作用で無毒化したもので、江戸時代から現在まで続いている日本だけの珍奇な食べ物である。たしかに、これを炊き立てのご飯にぶっ掛けてお茶漬けにすると、卵巣の山吹色が浮き出て美しく、乙な味がして、食が進む。まさに食は文化であり、これこそ世界遺産の一つであるという小泉先生のご卓見に敬意を表したい。

 日本の三大珍味の一つとされる「カラスミ」もボラの卵の干物であり、外国でも「カラスミ」のまま通用する。ほかにも、ナマコの卵巣を干した「クチコ」という珍味は一グラム千円もする驚くべきもので、これは世界の三大珍味よりも高い世界最高の値段である。この珍味を四〇〇グラム作るのに、二~三トンのナマコを必要とするからである。

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 まず、最初はスペインで年末から四月ごろにかけて食べられるアンギュラスと呼ばれる鰻の稚魚(シラス)。体長四~五センチまでで、体重は〇・一五から〇・二グラム程度。鰻を稚魚のまま消費することを禁止している国が多いが、スペインでは自由らしい。フランスではかつては家畜の飼料にするくらい大量に捕獲されたが、現在は中国や日本に輸出されている。日本で消費される鰻の八割は中国産であるが、その六割はフランス生まれで、ロワール川で獲られている由である。

 アンギュラスとは恐竜の名前のようであるが、ギリシャ語の「白く輝く」という意味から来ているとか。鉄板の上で炒めることもあるが、本来は土鍋焼が正統。サフランの香りの染み付いたオリーブオイルの煮えたぎった土鍋の中に躍っているシラスとニンニク、唐辛子一個ずつを放り込む。半煮えのところを、熱々なので、木製のフォークとスプーンで掬って食べる。シコシコとおいしいが、これを酢醤油で味付けすればもっといけるのではと食べるたびに思ったものである。

 次はベルギーのムール貝。貝の身が太るシーズンは春から秋にかけてであるが、年中食べられる。食べ物がうまいという理由で多くの国際会議が開かれるブリュッセルのグラン・プラスという大広場の周りにはムール貝だけを専門に食べさせてくれるレストランが蝟集している。

 これらの店のメニューは、バケツ一杯のムール貝だけである。一人前で五〇から六〇個は入っている。牛乳にバターを溶かし、数種のハーブと塩で味を整えたスープには貝から出た塩味がスープに浸み込んで、香りが鼻をつく。人参、パセリ、生姜、玉葱、白ワイン、匂い消しにセロリなどが入っていることもある。まず、最初のムール貝一個をフォークで食べ、その貝殻を利用して、次のムールを挟みながら食べていく。パンとチーズに白ワインを傾けながら、採りたての貝の触感を楽しむ。

 最後は九月から十一月頃蘇州近郊の陽澄湖や無錫太湖で獲れる上海蟹。挟みの根元のあたりに黒い毛の密生した「シナモズク蟹」で、海の蟹とは異なる。わが国でも、あちこちにいる沢蟹の一種で、中国沿岸部ではどこでも獲れるが、陽澄湖などで養殖されている蟹は「中華金糸絨蟄蟹」と呼ばれ、特に珍重されている。メスで二〇〇グラム、雄で二五〇グラムくらいのものが標準。生きたまま蒸すので、鮮度が重要なポイントとされる。

 上海蟹は一般の蟹とは異なる四つの特徴を持つといわれている。一つ目は青灰色の甲羅で、平らかで滑らか、かつ光沢を放っている。陽澄湖の湖水が澄んでいるために、泥の色に染まっていない。二つ目は白い腹で、白く透き通った甲殻には黒い斑点が無い。三つ目は黄色い毛。四つ目は爪が黄金色をしており、力強い。

 レストランでは、十匹、二十匹と稲の藁で梯子型に繋ぎ合わせて売られており、好みに合わせた調理法を注文するのが本来の食べ方である。千変万化の調理法があるが、「蒸蟹」が一般的で有名。生きた蟹をタコ糸でしっかりと結び、シソの葉を敷いたセイロで一気に蒸し上げる。青黒い甲羅は蒸し上がりとともにその色を琥珀色に変える。そのアツアツの蟹を生姜のキザミと鎮江産の黒酢で頂く。このような単純な調理法で奥深い味を出す中華料理は少ない。生姜のキザミには蟹の生臭さを消す作用がある。

 もう一つの典型的な調理法は、刻み葱や生姜、胡椒、酢などを細かいオガクズと混ぜ合わせ、その中に蟹を幽閉して、粘土で包みこんで丹念に焼く蒸し焼き。好みの醤油をつけて食べる。

(個人会員、医療経済研究機構 専務理事)

(2005年7月15日、(社)日本証券経済倶楽部発行「しょうけんくらぶ」第78号 p6~7所収)

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