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海の向こうのニッポン経営 ~住友ファイナンス・インターナショナル(住友銀行=スイス)、銀行・証券相互乗り入れの欧州先兵に

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■欧州では.日本の銀行,証券の相互乗り入れが活発化している。日本国内の「垣根」論争は,国際金融資本市場で生きていく上でなんの役にもたたない。

■相互乗り入れの先兵たちは,国際市場でひとりたちしていくために,現実の,そして将来の商売に身体を張っている。

■シチーのバイオニアをめざす住友ファイナンス・インターナショナルも,そのひとつである。

FRCD発行で英金融史に新ページ

 1977年4月22日~ひとりの日本人パンカーが,この日シチー(ロンドンの国際金融街)の歴史に新しいページをつけ加えた。岡部陽二住友ファイナンス・インターナショナル(SFI)社長。
 その半年前、東京の羽田空港から赴任する際、胸に秘めていた野心が実現したのだ。FRCD(変動利付譲渡可能定期預金証書)というユーロ市場では全く新しい資金調達方法を開発、「スレッドニードル街の貴婦人」イングランド銀行をやっと説き伏せて、SFIはこの日1,500万ドルのFRCD第1号を発行した。週明け25日のザ・タイムズ、ファイナンシャル・タイムズなど英有力新聞には一斉にSUMITOMOの活字が踊り、各国の銀行が相次いでそれに続いた。半年後には10億ドルを突破、いまでは100億ドル(残高ベース)前後もの大きな市場に成長している。

 1977年と言えば、国際金融界はカントリーリスクに懸念を強め、短期借り・長期貸しの資金操作を安定化するため、長期安定資金の確保が大きな焦点になっていた。長期のユーロ預金か、社債発行かだが、邦銀系マーチャントバンクとしてのSFIにとっては、日本国内での長信銀との垣根問題から社債は不可侵の聖域、それならば、変動利付社債にかわる変動利付CDを、と岡部氏は考えた。
 しかし、相談をもちかけた英金融界の面々は全く興味を示さず、金融専門の弁護士は「法的には可能だが、有価証券としての市場性がどこまであるか?」と灰色の判断を示した。「市場は自分で掘り起こすものだ」。住友マンの根性が、岡部氏らSFIのスタッフをFRCD実現に駆りたてていった。

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 その成功は、外資から独り立ちし住友独力のマーチャントバンク、SFIをシチーに印象づける面でも大きな効果があった。SFIの前身は1973年5月に住友銀行がホワイトウエルドと折半出資で設立した住友ホワイトウエルド。この年、マーチャントパンク分野に進出した日本の都銀4行が,いずれも合弁方式をとったことでも明らかなように.未踏の分野への進出に政策当局も,銀行も大事をとったわけだ。

迅速が生命のマーチャントばンク業務に合弁は無理

 しかし、1年後には住友は迅速な意思決定こそ生命線ともいうべきマーチャントバンク業務に合弁は無理と判断し、自主経営にいち早く動き出す。1976年11月、住友側の出資比率を60%に引き上げ、現在の社名に変更、住友銀行に昭和32年入行以来、ほとんど外国畑を歩いていたエース、岡部氏がSFIの社長に座り、名実ともに経営権が住友に移った。

 「住友の信用と人材の上に、SFIはシチーでここまで伸びてこれた」と岡部氏は強調しつつも、住友銀行や住友グループの単なる別働隊とみられることには抵抗もあるようだ。SFIの債券売買業務でも、住友銀行の比率は数%にすぎないし、双方ともに相手の損をひっかぶる関係にはない。住友グループ企業が外債を発行する際、黙っていてもSFIに幹事役が回ってくるほど甘い時代でもない。国内、海外の証券、マーチャントバンクとしのぎをけずって独力で生きていかなければならない。銀行というのは、資金というストックが必然的に生み出すマージンで食べていく世界だが、マーチャントバンクというのは、資金の流れの中からコミッションをはじき出し、次々と商売のタネをみつけ出さねば生きてゆけないフローの世界である。

 今年6月、イタリア電電公社が公募債を発行する際、SFIが邦銀系ナーチャントバンクとして初めて公募債主幹事をつとめた。創立以来7年間に「○○で初めて」という記録が多いのは、住友マンの生活力が、フローの世界に飛び込んでより顕著に発揮された結果といえそうだ。

 SFIは昨年秋、ペーパーカンパニーだったスイス本社でも営業を始め、融資か社債引受けか、どちらでも顧客のニーズにこたえる体制ができた。ロンドンにある邦銀系マーチャントバンク8社の中で、SFIを特徴づけるもうひとつの活動は、流通市場における証券のディーリングだ。

 日系外債は種類を問わず80銘柄を、ユーロ債・円建て外債・国債は20銘柄を対象に連日「売った、買った」の実にしんどい商売。しかし、幹事業務だけでは安定しにくい収益基盤を固めるために、SFIはあえてこのリスキーな商売に6人の精鋭を投入、独自のコンピューターシステムでリスク管理には万全の態勢で臨んでいる。「販売力と流通市場での売買力がついてこそ、引受幹事となる競争にも強くなるし、顧客に適切なアドバイスもできる。総合力をつけていく上でも、ディーリングは貢献している」と岡部氏。

「脱ニッポン戦略」で新時代に備える

 SFIはいま引受幹事業務、証券ディーリングの両面で、「脱ニッポン戦略」を展開している。それは、欧州の政府、企業や途上国の資金調達、いわゆる非日系の債券発行の引受幹事として食い込むことであり、エア・フランス、EIB(欧州投資銀行)、イタリア電電公社などその戦果が上がりつつある。ディーリングの面では、日本の債券売買だけでなく、英、独、仏などの国内債を日本企業に売ったり買い戻したりという外国債がらみの比重を高めていくことだ。「いずれは日本も本格的な資本輸出国の時代に入る。その時に備えていまから勉強をしなければ...」と岡部氏は意欲満々である。

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(田尻 嗣夫=ロンドン)

(日経ビジネス1980年9月22日号「海の向こうのニッポン経営195」所収)

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