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14 懸賞論文──最高位の特賞に



 わずか四カ月のシカゴ勤務から一九六八年(昭和四十三年)十一月に帰国、大阪の本店営業部外国為替課、次いで取引先課に配属された。総合商社や関西電力、大阪ガスなどの大手企業を担当した。肩書は課長代理。住まいは阪急西宮北口駅に近い住友銀行丸橋寮に移った。

 そんな折、一八九五年(明治二十八年)に創立された住友銀行の創業七十五周年記念論文の公募を知った。国際化と事務機械化の二分野に分けての論文募集であった。私は、もちろん国際化の分野を選んだ。

 米国勤務での経験を基に想を練り、取引先へ出掛ける外回りのついでにバンク・オブ・アメリカなどの外国銀行の支店に立ち寄って、銀行の年次報告書や調査レポートなどの資料を集めた。

 夏休みの三日間、草稿と外銀から集めた資料などを持って銀行の保養施設、安芸の宮島寮(広島県)にこもった。一気に論文を仕上げ、応募した。

 論文のタイトルは「七〇年代における住友銀行の進路~当行業務の国際化を中心として」。

 次の書き出しで始まる。

「一九七〇年代において当行が直面する最大の課題は、業務国際化の趨勢に先駆けて国際化路線の多角的展開を進め、国際競争場裡においても他行優位の体勢を固めることにある」

 主要な論点をまとめておくと、以下のような内容である。

「日本の銀行も米国の銀行も、国内業務ががんじがらめの規制のなかに置かれている点は同じである。そんななかで、米銀は海外展開で三〇~四〇%もの大きな利益を上げている。日本の銀行も米銀同様に、国際部門に力点を置くことで、収益の大幅な向上を目指すべきである。

 また、日本の電機産業など大メーカーは労働生産性を大幅に向上させ、国際市場で他国を圧倒する存在になりつつあるにもかかわらず、日本の銀行は、国内の預金獲得競争を繰り広げているだけで、生産性も低く、人的資源の無駄使いになっている。

 具体的には、国内での預金獲得に血眼になるのを止め、世界規模での資金調達と運用を行い、さらには海外での証券業務展開に注力すべきである」

 論文の審査は調査部長が委員長を務め、公平を期すため、審査の時点では応募者氏名は匿名扱いとされた。

 その結果、私の論文は、最高位の特賞に選ばれた。一九七一年(昭和四十六年)一月のことであった。賞金は三十万円。当時の月給は十万円ほどであった。現在なら百万円は優に超える金額である。大金を手にしたものの、営業部の仲間たちとの飲み会でほとんど使い切ってしまった。

 銀行は、当初、優秀作品を論文集として製本し、外部向けにも発行する予定であった。ところが、「外部の目に触れるようになれば、ライバル行を利することになる」との声が強まり、発行は見送られてしまった。

 自慢ではないが、日本の銀行の国際化の道は、その後、私が論文で指摘した通りに進んできたと自負している。

 私の銀行員生活を振り返ってみるに、規制に対する挑戦をずっと続けてきたように思えてならない。この論文の論旨も、私の「規制撤廃に向けての挑戦の気構え」で貫かれていると言っても過言ではない。

 論文の表彰は、一九七一年(昭和四十六年)三月三十一日。当時の頭取は、堀田庄三氏。一九五二年(昭和二十七年)以来頭取の座にあり、「情実になじまず、因縁にとらわれず、合理性に立脚する」などの堀田イズムで住友銀行を率い、この年の六月に会長に就任された。

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 この堀田さんが私の論文を読んで、「そう言うなら自分でやってみろ」とばかりに、受賞の決定直後の二月に東京へ本拠を移したばかりの外国部への転勤が決まった。

 外国部の移転統合は、本店機能を国際金融の拠点として成長著しい東京へ移して一段と強化するのが狙いであった。国際部門にドップリ浸かる私の銀行員人生が、再びスタートした。

 思えば、国内銀行業務経験は、二支店と東西本店営業部合わせても六年ほどに過ぎず、残りの三十年間は全て国際関連部門で彩られている。

 裏返すと、国内業務にはまったく詳しくないとも言えるわけだが、その後のバブル時代の異常さを考えると、国内業務から遠ざかっていたことは幸運であったのかもしれない。

 ロンドン、ニューヨークなど海外でもバブル的な動きはあったが、異常だとの思いが強く、住友銀行の海外部門では担保重視の融資には手を出さないようにした。しかしながら、一九七九年(昭和五十四年)から総本部制を採ってきたため、不動産融資の基準は国内と国外のダブル・スタンダードになっており、国内では大量の不良貸付にのめり込んでいた。

 もっとも、国内外の基準を一本化して、海外でも国内基準で貸し込んだ日本長期信用銀行などは、世界中でバブルにまみれ、後に経営破綻に追い込まれてしまった。まかり間違えば、住友銀行も同じ道を歩んだ可能性があったかもしれないと考えると、ゾッとする思いである。






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