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蜷川先生の講義~とくに「批判ということ」の教えについて~  岡部利良

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 私は、昭和4年から7年にかけて3年間本学(京大)の経済学部に学んだが、当時聴講した講義でその中身の記憶に残っているものは、申訳ないながら、ほとんどない。もうすでに約60年前のことではあるが、記憶というものは案外当てにならないものらしい。そうしたなかにあって、幾らかにもせよ比較的記憶に残っている講義の一つは蜷川先生のである。(若い諸君のために、ここで先生について多少注釈を付しておくと、先生は敗戦を契機に戦時中学問の自由を守る努力が足りなかったというご反省から京大をやめられ、その後戦後は中小企業庁長官、全国革新の灯台として知られてきた京都府知事を七期二十八年間されてきた方である。なお京都府知事をやめられた三年後の昭和56年2月、84歳で逝去された。)

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 先生は学者としては一般に統計学の研究者として知られているが(ただし先生の研究領域は会計学、水産経済学などにも及んでいた)、私が先生の講義として聴いたのは右のうちの統計学の講義であった。それは年度からいえば昭和6年度(私の最終学年のとき)のものであったが、当時先生はまだ30歳台で、まさに新進気鋭の学者といった観を呈しておられ、その講義も清新というにふさわしいものであった。

 このような先生の講義について私がいまここでとくにふれさせてもらっておこうと思うのは、先生が講義のなかで強調されていた(正確にいえばこのことにかかわるものといえる)物事に対する批判ということである。あるいは批判的精神ということである。

 先生はこの批判ということ(あるいは批判的精榊ということ)を講義ではとくに統計批判という形で説かれていたが、その要旨は大体つぎのようなものであった(といってよいと思う)。

 統計(ちなみにこの続計というのはすべて一種の数字である)は、それによってとらえるべき事実をもちろん正しくとらえていることを要する。またそれには、たとえば失業統計とか賃金統計を例にとっていえば、前者では失業という概念が、後者では賃金という概念がまず理論的に正しく規定され、そしてそれらの規定されたものが、さらに実際に調査を行う過程において当然それぞれまた正しくとらえられていなければならない。しかし実際にはかかるこの前・後のことはすべて必ずしもこの記述のようには行われない。むしろそうでない場合がしばしば存在する。しかもこのようなことはおよそ統計とよばれるものについて広く一般にいいうることであり、またそのため、われわれに統計として与えられているものには、それによってとらえられるべき事実がそのまま正しくとらえられていないようなものが現に少なくない。むしろその種々のものにわたってみられるところである。またこのような状況から、われわれが統計(=統計という数字)を利用する場合には、その正否を批判的に吟味・検討したうえで行うこと、すなわち統計批判という手続がぜひ必要である。ことにこの統計批判という手続は、統計の利用という点からいえばまさに不可欠なことである。(なお上述のような統計批判ということに関する先生の見解はのちに先生の著書『統計利用に於ける基本問題』昭和7年、岩波書店、 同書(現代語版)、 昭和63年、産業統計研究社、の第二章においてかなりくわしく述べられている。)

 大体先生の統計学というのは、他の統計学者の所説の批判のうえに築かれているもので、そこには「統計学」批判という観点が一貫して貫かれているといえるが、先生が講義でされていた以上にみるような統計批判というのはその主な一環としてされていたものといいうるものである。

 じつは私は(旧制)高等学校の当時からマルクス主義について多少勉強していたことから、社会のいろんな事実に関して問題となる批判ということの重要なことについてある程度学んできていたので、この批判ということのもつ意義について先生からはじめて教えられたというわけではない。しかし大学の講義で直接批判ということに関して耳を傾けさせられてきたことは、それなりにまた心に残ることであった。ことにこの批判ということにかかわる批判的精神ということは、私にとってはのちに携わるようになった学問の研究におけるきわめて重要な指針となってきたものということができる。しかし批判ということは、もちろん単に学問の世界のなでなく、広く社会(一般)においてむしろ種々問題となるものである。かかるこの批判ということを欠いては、およそ社会の進歩。発展は期せられない。またかかる社会の進歩・発展にかかわる批判ということにまさに至要な契機をなしているのは、われわれが堅持しているべき批判的精神である。そして私としては、蛙川先生が講義でされていた統計批判というのは、じつはまさにこのことに通ずるものであったというようにいってよいだろうと思っている。

 さらにいま少し付言していえば、私が先生の講義を聴いた前記の昭和6年というのは、わが国の場合、すでに大正末年から行われていた異常な思想弾圧のもとにあって、批判というようなことはいわばタブー視されるようにさえなっていた時期である。しかし先生はこのような時期に抗議で統計批判という形においてであれ、批判ということを強調されてきていたのである。またこのような意味において、こうした当時先生によってなされていた批判――ということは、多分に評価されてしかるべき、他方同時にまたわれわれに与えられた貴重な教訓とすべきものであったといってよいだろうと思う。

(昭和7年3月卒業、京都大学名誉教授)

(1989年5月、京都大学経済学部創立70周年記念事業実行員会刊行「人が語る経済学部の70年~京都大学経済学部創立70周年記念文集」p19~23所収)

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