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セントアンドルーズへの誘い

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 英国勤務が十四年近くにもなったお蔭で、ゴルフ発祥の地、セントアンドルーズのオールド・コースで数回プレーを楽しむ機会を得た。当時、邦銀のロンドン支店長の集まりである「火曜会」では、恒例として毎年一回ここでコンペを催していた。中でも今なお鮮やかに印象に残っているのは、一九八四年のコンペで、ゴルフ下手の私が珍しく百を切って優勝者と同ネットの好成績を収めた快挙である。この時は小雨の中でのプレーであったが、ついてくれた老練なキャディーの適切なアドバイスに支えられて、サンドに一回も捕まらず、パットもよく入った。

このオールド・コースは、「神が造りたまいしコース」とまでいわれるだけのことはあって、実に巧妙に自然の佇まいを最大限に生かした心憎いばかりの設計となっている。このコースがトッププロからも賞賛されている所以は、ヒースの茂った深いラフは別としても、他所では見られないような大きなアンジュレーションと狭くて深い蛸壺型バンカー、それに北海から吹き付ける強い風といった天然ハザードの妙ではなかろうか。

 ことに四六一ヤード、パー四の十七番ホールはプロ泣かせの、世界で最も難しいホールといわれており、グリーンの少し右はオールド・コース・ホテルの壁、左はロード・バンカーと呼ばれる難物のポットバンカーに接している。これらハザードとの闘いがゲームをよりスリリングなものとし、自然への挑戦意欲をかきたてるのである。

 それにしても、英国では誰もが「セントアンドルーズ」と発音しているこの地名を、日本では「セントアンドリュース」と表記するのは、何故なのか理解に苦しむ。日本で発行されている辞書の発音記号も、すべて「アンドルーズ」となっており、エリザベス女王の次男殿下も「アンドルー王子」であって、「アンドリュー」ではない。

 たかが地名の読み間違いくらいで目くじらを立てることもあるまいが、英国でのゴルフ本来の姿が間違ったかたちで日本中にはびこっているのは、我慢出来ない。たとえば、英国のクラブは地域社会での個人の集まりであって、法人会員も会員権売買もあり得ない。いわんや、ゴルフ場が投資の対象になるはずがない。極端に高額のプレー料金、超豪華なクラブハウスも日本独特である。また、ゴルフは十八ホール通して三時間程度で廻るのがルールであって、途中で飲食を挟んで六時間もかけるのは、英国人には想像もつかない愚行であろう。

 「ゴルフは社会的な地位や上下関係などは一切忘れて、ファースト・ネームで呼び合いながら楽しむゲームである」とか「プレー中に他人に迷惑を掛けない」といった不文律のエチケットも、日本では忘れられている感がする。これも文化の違いと片付けてしまうのではなく、少しでも本来のゴルフに近づける努力だけは、惜しまないように心掛けたいものである。

 このセントアンドルーズのオールド・コースがゴルフの聖地とされる理由はいくつか挙げられる。先ず、古いという点である。一五五二年に同地の教会が出したゴルフ・プレーの許可状が現存している。当時のオールド・コースはハーフ十二ホールで、グリーンのすぐ横にティー・グラウンドがあり、グリーンはアウトとインで共有していた。これが一七六四年、このコースを管理してきたザ・ロイアル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブの勧めでワンラウンド十八ホールに縮められて、その後のスタンダードとなった。

 折り返しの九番ホールは一番奥にあって、昔の名残で今でも七つのグリーンがアウトとインの二つのカップを共有している。次に、このクラブはプライベートの集まりであるが、ゴルフの草創期からそのルールをすべて管理して来たことである。たとえば、OBがルールに採り入れられたのは一八九一年のことである。現在のオールド・コース・ホテルの敷地には、当時、鉄道の駅舎が建っていたが、大事にしていた庭の草花にボールを打ち込まれた駅長が苦情を申し立てたことから、そこを白杭で囲ってOBとしたのが始まりとされている。

 三つ目に、このコースがゴルフ史上で重要な役割を果たしてきたのは、一八七三年から輪番となったジ・オープンを二十五回も開催したことにある。英国人はこのジ・オープンだけが真に世界規模での権威ある競技会と信じている。西暦二千年記念のジ・オープンはここオールド・コースで行われることになっており、今から楽しみである。

最後に、ゴルフ・ジョークの本から訳出した小噺を一席。スコットはイングリシュをサザナック(南方に住む人の意)と呼んで軽蔑しているが、ある日、この二人がセントアンドルーズでゴルフをプレーすることになった。スタート前にがに股スタイルでウッドの素振りをしていたイングリシュに向かって、スコットは「そのフォームはまるでクリケットじゃないか。動いているボールならうまく打てるだろう」と挑発し、ボールをイングリシュの足下に転がした。ところが、イングリシュは動ぜず、「いや、俺は今、クロケットの練習をしているところだ」と言い返した。

 これだけの話である。クロケットはゲートボールに似て止まっているボールを打棒で転がすゲームであるが、英国のジョークはどこが面白いのか理解するのに骨が折れる。むしろ、このジョークで私がおや、と思ったのは、英国人がこの三つのゲームを関連付けている点である。

 「コルフ」という棒でボールを打つゲームがオランダで行われていたことから、ゴルフのオランダ起源説もあるが、どうやらオランダ人は氷の上でこの棒を振り回していたようで、これが英国へ渡ってクリケットやホッケーに進化したとする説が、今のところ有力である。クリケットの発祥はゴルフよりも古く、既に十三世紀頃から賭け競技として盛んであった。
 そこで、ここから先は、私の勝手な想像であるが、クリケットやホッケーは複数のプレーヤーを必要とするため、孤独を愛するスコットランド人は独りでも楽しめる競技として、ゴルフをクリケットから分化させたに違いない。これとクロケットを組み合わせて、共通に使う打棒「コルフ」を競技名としたゴルフが十五世紀中頃にスコットランドで誕生したのであろう。この推論は中らずといえども遠からずではなかろうか。

 セントアンドルーズのフェアーウエーに立って、スコットランド人の考案したゴルフの歴史に想いをめぐらせ、彼らがとり憑かれた魔力を実感しながら、ゴルフの原点を探る旅をゴルファーの皆様にぜひお勧めしたい。

岡部 陽二 明光証券相談役)

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(平成102月5日発行、日本証券経済倶楽部機関誌「しょうけんくらぶ」第63号所収)





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