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<映画評> 「シッコ」

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岡部 陽二

 八月下旬に日本で公開された米国で筋金入りの反対体制派映画監督マイケル・ムーアの最新作「シッコ(原題;Sicko)」を観ました。題名の「シッコ」は、sickから派生した米語のスラングで、「狂った」とか「病的な人や物事」を指すようです。米国の医療制度は狂っているということを一語で端的に示したものです。
 この映画は米国では六月に公開され、ドキュメンタリー映画としては史上二位の興行成績を収めた話題作になりました。
 ニューヨーク・タイムズ紙も8月12日付けの社説で "World's Best Medical Care?"と題して「シッコ」を大々的に採りあげ、この映画の描写には偏りがあるものの、世界一富める米国において、医療サービスが必要とされる人に適時に効率よく提供されていないのは紛れもない事実であると、この問題提起を高く評価しています。
 さらに、数年前にWHOが始めて試みた「医療システムの世界ランキング」では、フランスが一位、イタリアが二位で、一人当たり医療費では最高の米国は37位に甘んじていることを指摘して、米国民の英知が医療システム欠陥を正せないはずはないと結んでいます。因みに、このランキングで日本は10位、英国は18位でした。
 米国での医療保険の論議は、人気上昇中のヒラリー・クリントンが民主党の候補に選ばれれば、来年の大統領選での最大のテーマになりそうです。

 先進国では唯一の国民皆保険が実現していない米国の医療システムの問題点といえば、わが国では誰しも、4千万人を超える無保険者の存在を挙げますが、「シッコ」の問題提起は無保険者の悲劇ではありません。
 手厚いはずの民間保険に入っていたにもかかわらず見捨てられた膨大な人々や、公的保険でカバーされているのに必要な治療が受けられない高齢者と低所得者の真実のドラマです。問題の根源は、「米国では医療保険も医療サービスの多くが民間の営利本位の企業に任されており、保険会社と病院、それに政府や製薬会社が癒着している点にある」とムーア監督は主張しています。
 この映画のトップ・シーンでは、中指と薬指を事故で切断した大工が病院に駆け込みます。ところが、医師から中指は6万ドル、薬指は1.2万ドルと言われ、保険会社が全額の支払を承認しないので、泣く泣く薬指だけを縫合してもらいます。ところが、フランスでは、5本の指を切断した男が全部縫合してもらい、それを医師が当然のことをしたまでと言うシーンが映し出されます。このような実話が次から次へと目まぐるしく映し出されて、息をつく暇もありません。
 ムーア監督によると、昨年の二月にこのように理不尽で狂った医療保険の実例をインターネットで募集したところ、なんと最初の一週間だけで2万5,000通のメールが寄せられたということです。この反響のすごさにはムーア氏自身も驚いたそうです。そのなかから、「保険に入っているのに、保険金支払いを拒否され、人生をめちゃくちゃにさせられた人々」に焦点を絞り、全米を駆け巡って現場の取材をしたのです。

 「シッコ」の後半では、カナダ・英国・フランス・キューバへ飛んで各国の人々から医療システムの満足度をインタビューします。後半のハイライトは9・11で華々しく活躍し、大統領から英雄と称えられた消防士たちが数人登場する実況撮影です。灰じんの後遺症に苦しんでいる彼らが十分な医療サービスを受けていない実情を知ったムーア監督が、彼らを高速ボートに乗せてグァンタタナモ海軍基地へ向かうのです。基地では、テロの罪で収容されているアラブ人並みの治療を消防士にも要求しますが、反応はありませんでした。
 そこで、何と彼らをキューバに連れて行き、それぞれの症状に合った施設、病院、薬局を見つけ、無償の治療や安価な薬を入手します。米国が非難している共産主義国キューバでこんな治療が受けられるのに、米国の政府や病院は手を拱いて何もしようとしない狂った米国を正面から批判するためです。まさに突撃型取材で、この映画極めつきの感動シーンです。さきのWHOの医療システム・ランキングでは、キューバは49位で、米国とほぼ同じランク付けです。一人当たり所得が米国の1/20であることを考慮すれば、大変優れたパーフォーマンスと言えましょう。
 この映画の採りあげ方は極端で、米国のよい面はまったく無視されているという批判はあるでしょうが、多くの事例に直接当たって真実に迫り、問題を浮き彫りにしている点は高く評価できます。エンターテイメント性も抜群です。それよりも、このように大きな制度的課題に、保険会社や政府からの圧力にも屈せずに、果敢に取組んでいる姿勢に感服します。このドキュメンタリーによって、国民の意識を高め、議論を活発化させることができるという言論の自由が保障されているのも、素晴らしいことです。この映画が大統領選の帰趨をも左右する一つの力になることは間違いありません。

 翻って、わが国では、公的保険者が病院と結託して治療範囲や内容を制限するといった事態は起こっていません。しかしながら、医療サービスの高度化に伴って医療費用は嵩む一方であるのに対し、保険料の引上げや税金の投入は抑制されています。そこで、医療費を抑制するか、増加分の財源は自己負担増や公的保険外の医療サービスを増やすしか解決策がないのが現状です。
 その結果として、わが国でも脳卒中などの後遺症を治すリハビリへの医療保険適用が六ヶ月に制限される、長期療養を必要とする患者が三ヶ月ごとに転院を強制されるといった「シッコ」の実話を他人亊と思えないような現実に直面しています。現に、「がん難民」とか「実質無保険者」といった表現がマスコミに氾濫しています。国民皆保険を持続可能な形で国民の共有財産として育てるには、どうすればよいのか、医療改革の進め方を考えるに当たって、この映画は必見でありましょう。  

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  (2007年9月19日付けプチファーマシストHP,M3.com。Pharmacist掲出)

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