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米国オバマ医療改革の動向とわが国への示唆

 

医療経済研究機構 専務理事 岡部 陽二

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岡部 陽二
(おかべ ようじ)
生年月日  昭和9年(1934年) 8月16日生
現住所 東京都三鷹市井の頭3丁目1-1
講師経歴
■ 学歴
昭和32年 3月 京都大学 法学部(法律学科) 卒業
■ 職歴
昭和32年 4月 (株)住友銀行(現三井住友銀行)入行
昭和57年 6月 同行 取締役 就任
昭和63年 4月 同行 専務取締役 (国際部門担当)
平成  5年 4月 同行 退職、明光証券(株)
(現SMBCフレンド証券(株))代表取締役会長に就任
平成10年 4月 広島国際大学 医療福祉学部 医療経営学科教授に就任、平成17年3月末、定年退職
平成13年 4月 財団法人 医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構 専務理事に就任、現在に至る

はじめに

 皆さん、こんにちは。ただいま大変丁重なご紹介をいただきました医療経済研究機構の岡部です。どうぞよろしくお願いいたします。ただ今のご紹介では、私も研究者のように受取られたのではないかと思いますが、私自身は研究には一切タッチしておりません。医療経済研究機構は、医療政策に資する基礎研究を主な目的とする医療経済の研究機関で、総勢30名のうち研究員が12~13名います。私はそこで研究者が働きやすい環境をつくるためのマネジメントをしております。理事長は元厚生省次官の幸田正孝さんで、皆さんの医療関連サービス振興会の理事長も兼ねておられますご縁で、今日の月例セミナーにお招きいただきました。

 私は40年近く銀行の国際部門でロンドンに14年駐在するという極めて偏った人生を歩んできました。そして64歳の定年を迎えた時に、たまたま新設の広島国際大学から「医療経営学科の先生を探しているがやらないか」という話がありました。「私は病院に行ったことも、経営に関与したことないからできません」と一旦はお断りしたのですが、「あなたは曲りなりにも銀行の経営をしていたのでは。医療には経営というものなどない状態なのですよ」と口説かれて、結局その大学で7年間教えることになりました。

 この大学では、国際経営論を教えてほしいと言われ、医療に国際経営は存在しないので困ったのですが、いろいろ考えて、これから医療経営に従事しようという学生に対して、各国の医療制度について自分が研究したことを紹介していくということにしました。手始めにアメリカから始めることとし、そのための教科書探しをしていたところ、ニューヨークの友人から、アメリカのハーバード大学経営大学院で教えているレジナ・E・ヘルツリンガー教授が著した『Market-Driven Health Care』という本を教えられました。この本を「医療サービス市場の勝者」という邦題で翻訳し、その後、ヘルツリンガー先生の著作を3冊訳出しました。去年初に出版したのが『米国医療崩壊の構図』です。この本の原題は『Who killed Health Care ?』で、ジャック・モーガンという合成人物が米国の医療システムの犠牲者となって、死ななくてもよかったのに死んでしまった経緯が詳しく分析されています。そこで副題を「ジャック・モーガンを殺したのは誰か?」としましたが、この本は小説もどきの大変おもしろい本です。その後、最初に翻訳した本の内容を講演したご縁で医療経済研究機構からお誘いがあり、9年間専務理事を務めています。

 このような次第で、アメリカの医療には興味もあり、学生に教えるために多少勉強してきたという経緯もあります。今回のオバマ改革についても少し研究はしましたが、専門家というわけではありませんので、そのあたりはお含み置きください。とはいえ、本日お配りした資料や表はきっちり検証したものですので、これはご信用いただけます。

 アメリカの医療改革をずっと主導してきたのは、民主党のエドワード・ケネディ上院議員です。この人は、お子さんのガンで苦労されたこともあり、社会保障についてはアメリカの政治家の中でももっとも献身的な努力をしていました。しかし、去年の6月に亡くなったため、つい最近の1月19日に、マサチューセッツ州の補欠選挙が行われました。その結果、僅差ではありましたが、民主党が推すマーサ・コークリーという女性議員ではなく、今まで無名であった共和党のスコット・ブラウンという人が当選しました。マサチューセッツ州は、知事は共和党からも出ていますが、上院議員・下院議員とも、40数年間ずっと民主党が独占してきた州です。そういう意味で、この勝利は共和党にとっては大きなものであり、民主党にとっては予想外の壊滅的な結果となりました。一議席くらいどちらに転んでも変わらないのではないかと思われるかもしれませんが、アメリカの上院というのは、今回私も勉強して驚いたのですが、常識では考えられないルールのあるところです。過半数とは関係の無い60対40を境に、一人増えるか減るかで、法案が通るか通らないかが左右されるのです。どうしてその境目が60対40なのかは分かりません。下院は50対50の過半数です。当然のこととして、上院も51票を取ったら通るかのではないかと思いがちですが、そうではありません。表向きのルールは単純多数決には変わりがないものの、フィリバスターという非常に奇妙な慣行があって、反対党の議員が1時間でも10時間でも、全く関係ないことを喋り続けてもよいことになっています。長時間ずっと聖書を読んでいても構わないわけです。要は、議事を妨害するためだけに演説することが許されているのです。これを止めるには5分の3の多数決を必要とすると決められているので、フィリバスターをやると反対党が決めたら、それを抑えるための事前の交渉が成立しない限り、上院では重要な法案は絶対に通りません。こういう慣行がずっとあって、共和党が多数を占めていた時代には民主党がこの方法を結構頻繁に使っていました。今は民主党が、上院・下院とも多数を占めていますが、それが1月19日のマサチューセッツ州補選でひっくり返ったわけです。

 もう一つ分からないのは、代理議員の制度です。オバマ政権の医療改革は11月7日の下院案決議では、賛成220票対反対215票の僅差で可決されました。さらに、12月24日に行われた上院案決議では民主党・無所属全員が賛成、共和党全員が反対して、60対39で可決されました。それであれば、共和党でもう1人当選したら60対40になるのかと思っていたら、そうではないのです。この60の民主党の票の中には、亡くなったエドワード・ケネディの議席も入っているのです。これはどういうことかというと、上院議員は50の州からそれぞれ2人ずつ出ていますが、その州の議員が亡くなったら、2人のうち1人、あるいは2人ともいなくなるとまずいということで、州議会が選んだ代理の議員を派遣することができるという規定があり、常に各州2議席ずつあるようになっているのです。その代理議員の任期が1月末までで、2月から補選で選ばれたブラウン議員が上院のマサチューセッツ州の代表になります。60対39の残りの1は共和党議員が欠席しただけのことであったのです。ただ、その欠席した議員も民主党案には反対だということなので、来月以降に採決をすると、59対41になって、フィリバスターを阻止する60には達しなくなるというややこしいことになっているのです。また、上院議員の議長は、上院議員の中から選ぶのではなくて、副大統領が必ず議長になります。オバマの演説は、下院議長、バイデン副大統領への呼び掛けで始まりますが、バイデン副大統領は上院議長のことです。上院議長には通常は議決権がありませんが、賛否同数のときには議決権が与えられます。さらに、上院の議長をいつも副大統領が務めているのではなく、ほとんどは上院議員の中から選ばれた上院議長代理が議長をやっています。しかも、この議長代理というのは大変偉い人で、大統領にもし何かあった場合の代行順位というのが決まっていますが、副大統領の次に来るのが上院議長代理です。つまり、アメリカで3番目に偉い政治家というわけです。

 この事例でも分かるように、アメリカの上院は日本の参議院とは比較にならない強力な権能を持っています。予算についても発議権は下院にしかありませんが、拒否権が上院に与えられています。それ以外の議案については下院と全く対等に議論します。上院議員の数は下院議員の数より少ないので、全体のプレステージはより高いということです。その上院の1議席がマサチューセッツ州の補選で狂ってしまいました。今までの状況からすると、オバマ大統領の改革案は去年の暮れに上院・下院とも通っており、ほぼ90%は共通していますから、残りの10%を両院協議会ですり合わせて、1月末か2月の中頃までには成立するだろうと、1月19日までは思われていたわけです。しかも、マサチューセッツ州はずっと民主党が議席を占めていたところですから、今回も民主党が勝つと思われていました。また、その前のエドワード・ケネディ議員は改革の推進者であったのに、それがひっくり返ってしまった。それではどうなるかということは、全く分かりません。

 ロイター紙は、『Massachusetts voter referendum on health care reform』と書いています。マサチューセッツ州の選挙が、国民投票と同じ重みがあったということが述べられているのです。さらに、『You know the world is topsy-turvy』とあります。『topsy-turvy』というのは、お盆をひっくり返したような大騒ぎという意味です。また『when the best rapper is white, the best golfer is black』とあります。これは従来、黒人の音楽だったラップ・ミュージックの頂点にいるのが白人のJ・J・ジョンソン・エミネントになり、白人のスポーツだったゴルフの頂点にいるのがタイガー・ウッズになったという、それくらい大きな世の中の大変化だということを言っているわけです。ただ、オバマの改革案の90%は合意ができていて、上院共和党の1議員が寝返ってくれれば通るわけです。先ほど、下院では220対215の僅差で可決したと申しましたが、その中身は、民主党の39名が反対して、共和党の1名が賛成したということです。これもアメリカの分からないところです。上院でも、共和党の中から1人賛成する議員が出てくるのではないかという予想がずっとされていましたが、結果的には全員反対で1人欠席でした。しかし、アメリカの議会には党議拘束というのが全くなく、個人の思うままに投票してよいということですから、何も共和党を全部ひっくり返す必要はありません。共和党の中から誰か1人、民主党に賛成するよう説得できれば、ひっくり返すことができるのです。

 熊本県立大学の天野拓准教授が『現代アメリカの医療政策と専門家集団』という立派な本を先日出版されました。表1はこの本から借用したものですが、何か奇策を講じない限りはかなりスケール・ダウンした内容になろうと天野先生は予測しておられます。中間選挙も近付いており、いずれにせよオバマ大統領は苦しい立場にあることは間違いありません。そのポイントは、民主党内がバラバラで意見の集約ができないことです。上院で可決した案そのままを下院で可決するというのであれば、上院・下院間でのすり合わせは必要ありません。下院の民主党全員が賛成すれば、それは可能です。ただ、実際にはそれはなかなか難しく、このあたりのアメリカの政治の実態は全く分かりません。

 この問題は、どういう改革が行われるかというアウトカムではなく、その過程で、アメリカにどういう問題があり、どういう議論がされてきたかということが大事ではないかと思います。(資料1、表1)

資料1、  

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オバマ医療計画の動向

オバマ人気低下の理由

 オバマ大統領の人気は、どうして急に下がったのでしょうか。大統領当選直後には、歴代3位で62%の支持があったのに、去年の暮れには53%にまで下がりました。マイナス9%というのは、過去10人の大統領の中でもっとも大きな下がり方です。そうなった最大の原因は、失業率が2桁に上昇したことにあると言われています。また、ノーベル平和賞の受賞に関しても、アメリカ人の半数以上が不適切だと判断しています。それと民主党内部でのリベラル派と穏健派の極端な対立に嫌気が差して、無党派層が民主党離れを起こしているということが報じられています。さらに、オバマ大統領の話術は確かに巧みですが、どちらかというとチアリーダー的と見られるようになってきました。議論が収斂してきたところでぱっと判断して決めるというタイプであって、自らの力で世の中を変えていこうという指導力はないのではないかという見方が増えてきたものです。こういう状況が、アメリカ社会の根源的な問題を炙り出しているのではないかと思います。

 国民皆保険というのは、よいことのように聞こえますが、選択の自由が失われるのは困るという声もあります。どんな治療を受けるか、どれだけお金を支払うかは自分が決めることであり、それを政治家や官僚などが決めるのは困るという国民感情です。サラ・ペイリンという前のアラスカ州知事が、ネット上で、「今度の医療改革は、デス・パネル(死の委員会)設置の企みである」と批判しています。いい加減なブログの落書ではなく、知事を務めた人がそうことを書いているのです。また、オバマ大統領の演説の途中でも、新しい保険組織を作って、それを監視するための委員会を設けるというくだりで、「You lie」や「liar」などといった野次が飛んでいます。その委員会が『デス・パネル』であると揶揄しているのです。人の生死を自分ではない第三者に委ねることに対する反発が強いのです。それと、もう一つは、大きな政府になることへの反発です。皆保険となると、どうしてもそうならざるを得ませんが、そのために10年間で9,000億とか1兆ドルとかを使うのはとんでもない話だという反対論です。さらに、アメリカではタブーということで、余り活字にならないのですが、根深い不法移民の問題や、黒人とかマイノリティーを救うということに対するえも言われぬ反発もあるという気がします。そういったことを念頭において、この資料でご説明したいと思います。

 アメリカの医療改革というのは、医療の問題でもなければ経済の問題でもなく、優れて政治的な問題です。したがって、まずアメリカの医療制度は皆様ご存知という前提で、オバマの医療改革をめぐる医療改革、政治、社会の情勢がどうなっているかをお話しします。アメリカの医療制度と言っても、ほとんどが民間保険でカバーされていて無保険者が4,700万人いるという、それくらいの基礎知識で十分です。

 米国医療の実情と保険制度の問題点、無保険者問題などについてスライドの資料3以下に、改革案の骨子については表5にまとめました。

オバマ政権の誕生と医療改革をめぐる対立の構図

 ではまず、改革をめぐる構図からお話しします。資料1に掲げましたように、オバマ大統領は選挙戦の前から、アメリカはひとつにならなければいけないと繰り返し述べています。リベラルなアメリカと保守的なアメリカが相対立するのではなく、ひとつのアメリカ合衆国があるのだと。黒人のアメリカや白人のアメリカがあるのではないということを強調していました。ひとつのアメリカというのを理想として掲げ、国民の大多数の支持を得て、大統領に当選したわけですが、ただ現実は逆に対立だらけです。その中でも、もっとも対立が激しいのが、医療改革をめぐっての問題ではないかと思います。金融問題や外交問題でも対立はありますが、医療改革のように際立って激しい政治的対立はなく、医療がやはり一番際立っているということです。

 具体的にどういう対立があるかというと、国民間の対立では、保険加入者と無保険者の対立です。今回の改革は無保険者をなくそうという試みですが、無保険者は16%しかいないわけですから、残りの84%は当然反対なのです。どうして我々の負担で、無保険者を救わなければいけないのかという主張です。富裕層と貧困層、高齢者と若年層の対立、それから団体間の対立、こういう対立もたくさんあります。それらをひっくるめたものが、政党間の対立に結びついているわけです。政党が支持基盤としている団体や階層は異なりますが、単に民主党と共和党の対立かというとそうではなく、物事を厄介にしているのは、むしろ民主党内でのリベラル派と穏健派(保守派)の対立です。穏健派は、アメリカでも普通『Moderate』と言っていますので、私は日本の新聞のように保守派ではなく、穏健派という表現で統一したいと思いますが、この穏健派とリベラル派の対立には非常に大きいものがあります。(資料1)

オバマ政権の改革~有利な政治的環境

 その対立の構図を示したのが、表1の「医療・保証制度改革をめぐる対立の構図」です。この表はさきに紹介しました天野拓氏の著作に掲載されたものからの借用です。この表の左2欄が民主党で右欄が共和党ですが、ひとことで言うと、民主党リベラルというのは、社会保障については日本の旧社会党に近い考え方の人々です。要するに、増税してでも、税金を医療や社会保障につぎ込むべき、政府がみんな面倒を見るべきで、公的な保険を普及して当然に国民皆保険であるべきだと、いう主張です。これは、それなりによく分かります。もう一方の極は共和党です。これは極めて保守主義で、医療というのは個人の問題であって、政府は余り口を出すべきではないという考え方です。だから政府が関与した皆保険は要らない、民間保険で十分だという主張です。そうは言っても、今の制度でよいというのではなく、最近では共和党もネガティブなキャンペーンではなく、積極的なアプローチも行なっています。たとえば、『Medical savings account』といった医療貯蓄口座を推進すべきだと主張しています。消費者主権の"Consumer-driven Health Care"を主張しているわけです。

 この対立は比較的よく理解できますが、民主党の穏健派はそうではありません。その中間といえば中間なのですが、民主党のリベラル派が政府の役割を重視し、共和党が個人を尊重するのに対し、穏健派は企業がもっときちんと責任を果たすべきであると主張しています。どちらかというと企業負担中心主義なのです。確かに、産業というのは雇用で持っているわけですから、雇用者がもっとしっかり責任を果たすべきだというのは分かります。穏健派は、そのために必要な制度は、むしろ市場原理を活用して合理的に動くようにすべきと言うのです。その面ではむしろ共和党の市場至上主義に近いと言えます。ただ、企業負担中心であっても皆保険は実現すべきであるという点では、リベラルに近いのです。もともと民主党はリベラルが多数だったわけですが、ここ10~20年の間に穏健派が勢力を拡大して、現在では、ほぼ半々と言われています。前のクリントン大統領は明らかに穏健派でしたが、オバマ大統領はどうかというと、これが分かりません。オバマ大統領は穏健派には違いありませんが、非常にリベラルから支持されています。リベラルに近い穏健派だと言われています。ただ、オバマ大統領の言葉を分析してみると、考え方の基本は穏健派で、少なくともリベラルではないという気がします。

 要は、これらの3派が三つ巴になって対立しているわけで、共和党を抑えてもリベラルを抑えないと、穏健派の改革案は通らないという構図になっています。今、民主党が多数を得ていますから、日本のように党議拘束でもできるのであれば、このような改革案も簡単に実現できますが、民主党の中が完全に二つに割れているのです。日本の民主党もこれに近いのではないかという気が最近してきましたが、日本には社民党というのもあります。アメリカにはそういう党はなく、民主党の中にその二つを抱え込んでいるという構図になっているわけです。

 ヨーロッパ諸国ではすべて皆保険が実現しているのに、先進国で皆保険すら実現できないアメリカは後進国だと言う方もおられますが、どうやらそうでもありません。私もアメリカには病院の見学などでいろいろな所に行き、「なぜあなた方は皆保険に反対するのか」と聞いて廻りました。我々が会った人たちは共和党や民主党の穏健派の人が多いのですが、そういう人が口を揃えて言うのは、アメリカでは衣食住すら保障されていないのに、なぜ衣食住の次に来る医療を国が保障しなければいけないのかということです。公平・平等という、日本の風土ではよいと思われていることがアメリカでは全く通用しません。

 ヨーロッパでも日本ほど公平・平等という国はありません。ドイツも80%は公的保険でカバーされていますが、残りの20%の金持ちや官僚は民間保険に入っていて、そういう人たちが病院に行くと、公的保険に入っている患者の順番を飛び越して、先に診てもらえるということです。それを当然のこととして許容しているのがドイツの社会です。お金のある人がファーストクラスに乗るのと同じではないかという考え方です。ゆりかごから墓場までという英国でも、サッチャー首相が出てくるまでは、日本的平等・公平を押し付けてきたという感じがしていましたが、サッチャー首相の時代から民間のプライベート・ホスピタルが盛んになり、一頃は12%くらいまで増えました。その後、ブレア首相になって若干落ちたようですが、それでも医療の7~10%くらいは民間の保険で行われています。しかも、英国では医療財源の90%以上は税金で賄われていますから、数%の国民は、税金を払った上で、プライベートの医療を全額自己負担で受けているのです。そういうふうに見ると、公平・平等という点で本当の社会主義国は日本だけではないかという気がします。

 資料2には、「有利な政治的環境」と書いたのですが、これは先ほどの話を踏まえると、有利なのか不利なのか分かりません。ブログを見ると、オバマ大統領の改革はこれで後退したという意見の人が多いようですが、そうではなく、これはオバマ大統領が思うような改革ができる絶好のチャンスだという論評もあり、全く分らないと言ったほうがよいのではないかと思います。(資料2)

資料2

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アメリカの医療制度の現状と課題

アメリカの医療制度の特徴

 では、アメリカ医療の現状はどうなっているのでしょうか。資料3にアメリカ医療制度の特徴をまとめました。アメリカには国民皆保険というものは存在せず、これまで何回も皆保険をトライしましたが失敗ばかりしています。メディケアとメディケイドの公的医療保障制度は限定的であって、しかもフルカバーではありません。メディケアが65歳以上の高齢者の医療をカバーしていますが、つい最近までは薬剤費代は一切保険に含まれていませんでした。最近になってやっとメディケアDというものが導入され、薬剤費の一部を看ることになったのです。全体でいうと、メディケアによる医療費のカバー率は49%と、5割を割っています。貧困層の老人にはそれだけでは不十分ですから、メディケイドという貧困層が受ける医療補助制度と併せて受けている人がかなり多くいます。ただ、この二つを併せても医療費のカバー率は67%ほどで、33%は自己負担となっているのが現状です。このように、公的医療保障といっても十分ではありません。それでもアメリカの公的医療保障に使われている金額は、日本の総国民医療費よりも大きいという、大変医療費の高い国です。

 アメリカの無保険者というのはどういう人たちかというと資料4にあるように、総人口約3億人のうち民間保険に2億人が入っていますが、残りが今言ったメディケア・メディケイドでカバーされていて、これが8,000万人。無保険者が4,700万人です。これらの数字を足すと3億人を超えるのは、メディケアに入っていて民間保険にも入っているといった重複があるからです。(資料3, 4)

資料3

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資料4

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米国の無保険者問題

 米国の無保険者数は4,700万人で、人口の約16%に上ります。中小企業を中心に雇用主が提供する医療保険の減少と経済情勢の急激な悪化による失業者増のため、無保険者の数はますます増える傾向にあります。(資料5、表2~4)

資料5

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 表2に無保険者数の推移がありますが、1994年の3,640万人から一貫して増え続けています。この表に出ているのは2007年までの65歳以下の無保険者数で4,500万人となっていますが、以前は無保険者には子どもが多く、1,100万人いると言われていました。子どもが日本の医療保険のように自動的に被扶養者としてカバーされないためですが、子どもの無保険者は、表2からもわかるように徐々に減っています。2007年には810万人まで減りまで減りましたが、オバマ大統領が就任した途端に、ブッシュ前大統領が拒否していた子どものための保険制度を拡充するという法案に署名をして、300万人ほどさらに減りました。今は500万人くらいになっています。それでも、失業期間中はどの保険にも入れないために、失業率が二桁に達したことで、無保険者総数は5,000万人近くにまで増えようとしています。ただ、失業の問題が出てきたのはここ1~2年で、それまでは関係がなかったわけです。したがって、それまでの無保険者増加要因は、民間医療保険料の高騰にあります。個人で加入する民間保険の保険料は高過ぎて入れません。事実、典型的な無保険者はフルタイムで働いている低所得の若年層であるとされています。これがアメリカの無保険者の実態で、決して生活保護を受けているような人ではありません。そのような人は、本来はメディケイドでカバーされているわけですから。

 ところが、メディケイドでカバーされているはずの貧困者の中にも無保険者がいるという問題もあります。表3にあるように、貧困ライン以下で1,100万人もの無保険者がいます。このライン以下であれば、当然メディケイドが受けられるはずです。それにもかかわらず、無保険でいるということはどういうことなのでしょうか。しかも、メディケイドの受給ラインは、貧困ラインよりもかなり高いのです。州によって違いますが、おおよそ年収2万5,000ドル以下の人は、メディケイドでカバーされています。そうすると、メディケイドでカバーされているにもかかわらず、無保険者の人が2,000万人くらいいるということになります。それと、今回の議会審議でも問題になっている不法移民が1,000万人くらいはいるので、そういうものを足していくと4,700万人になるということです。無保険者が即ジョブレスということでは全くありません。

 勤務先企業が保険を提供してくれない場合には、個人で医療保険に加入しなければなりません。免責限度などいろいろな条件で違ってはきますが、通常一人年間1万ドル~1万5,000ドル、日本円でいうと100万円~150万円の保険料を支払わなければなりません。到底耐え切れない高額です。日本では、全額保険料を個人で負担する国保の場合、平均で9万円、給料の高い人からは本来は青天井で取ってもよいのではと思いますが、そうはなっておらず、最高限度が56万円となっています。アメリカの保険料は、はその2~3倍で、到底個人では支払えない金額なのです。ただこれは個人で加入する場合であって、企業が加入する場合は、この半額くらいで済みます。また、アメリカでは折半ではなく、80%くらいを企業が負担するわけですから、個人にはそれほどの負担にはなりません。企業が保険を提供していない被雇用者は、保険料が高過ぎて入れないことがお分かりいただけたと思います。

 しかしながら、無保険者は医療を全く受けていないのか、病気になったら野垂れ死にするしかないのかというと、そうではありません。そういう人も、十分ではなくても医療を受けられるというのがアメリカの社会です。その事情も日本では理解されておらず、アメリカの無保険者は悲惨だと思われています。確かに悲惨なところはありますが。マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』では、患者をどこかに捨てていくところが描かれていました。しかし、マイケル・ムーアは保険に入っている人の医療がいかにひどいかということを描いていて、この映画が問題提起しているのは無保険者の問題ではないのです。

 表4は、全米病院協会が発表しているアニュアル・レポートですが、2007年のところを見ると、病院の総収入が1兆6,000億ドルと出ています。その下にあるNet Patient Revenue(純医業収入)は、5,740億ドルとなっています。その差は約1兆ドルです。つまり、受取るべきであったのに取れなかった医療費が1兆ドルもあったということです。日本で言えば、診療報酬の未収金です。信じられないほど大きな数字ですが、それが1兆ドルあると全米病院協会が堂々と発表しているのです。実際には、純医療収入から経費を引いて、残りが利益になります。したがって、この1兆ドルというのは架空の数字です。どういう数字をここに掲げても関係はないわけですから、ある病院がうちの心臓手術代は100万円だが、実際には15万円しか取れなかったと報告すると、85万円はこのDeductionに入ってきます。それが1兆ドルになるというのはいかがなものかと思いますが、仮に3分の1としても3,000億ドルくらいはあるわけで、それくらいの医療費が慈善医療に充てられているということです。この慈善医療は、公立病院が中心に提供していますが、民間病院も結構行なっています。寄付などの原資もありますが、保険診療の収入の中からも、ある程度は慈善医療に割いて、その病院の評判を落とさないように、慈善医療をやっているわけです。アメリカの無保険者はこの慈善医療で救われているわけですが、日本で同様のことをやれば、日本の病院は全部潰れてしまうのではないかと思います。なお、この病院代には医師への支払は含まれていません。

1人当たり所得と医療費の伸び~主要国比較

 資料6は1985年までの各国の医療費の伸びと所得との相関関係で示した表です。どの国でも所得が伸びれば医療費も伸びるという、当たり前のことですが、アメリカの医療費は資料7でも分かるように、1985年以降はほかの国の医療費がGDP+2%で伸びているのに対し、コンスタントにGDP+2.5%で伸びています。これはどうしてかというのは難しい問題ですが、ケネディ大統領によって試みられた最初の皆保険が失敗した時に、やはりアメリカは医療立国・バイオ立国で行かなくてはいけないと、NIHなどへの投資を急増させました。その結果、病院の高度医療技術や製薬会社やバイオ技術といったイノベーションが進んで、他の先進国以上に医療業界の規模が膨れ、同時に医療費も増えたということのようです。その結果、医療業界は成長したけれども、それを支える保険などの財源が伴わず、無保険者などの問題が噴出してきたのです。(資料6, 7)

資料6&7

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 では、医療費のファイナンスはどうなっているのでしょうか。日本であれば年間24万円、アメリカでは60万円という一人当たりの医療費を、主要国について公的財源と民間財源に分けると、資料8のグラフのようになります。斜線部分が民間財源で、自己負担や民間保険が該当します。そして、白抜きの部分が公的財源、保険料と税金が財源です。このグラフから読みとれるのは、公的財源の額は、各国とも極めて似通っていますが、民間財源には大きな差があるということです。よく引用されているのは、一人当り医療費ではなく、総医療費の対GDP比で公的財源は対GDP比で約7~8%というグラフです。日本は対GDPでは、総医療費では約8%、うち公的財源は7%強となっています。ところが、アメリカは、公的財源部分は日本と変わらない8%内に収まっていて、残りの7~8%を民間保険でカバーしているのです。私は、これをニュートンの法則のように「公的医療費一定の法則」と学生に教えていましたが、政府が面倒を看られる額というのは、対GDP比で7~8%というところで、それを10%、20%にするというのはできません。7~8%を超えた部分をファイナンスするのは民間資金でしかあり得ないというのが世界的な現実ではないかと思います。医療技術がそんなに進歩しなければ、公的財源だけでももつのでしょうが、技術がどんどん進歩していけば、ほかの国もアメリカと同じようになっていくのではないかと思います。(資料8)

資料8

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 「所得と医療サービス支出の日米比較」という興味深いグラフがあったので、ご紹介します。資料9は、10年ほど前の数字ですが、縦軸が個人負担の医療費で、横軸が所得です。日本は年間所得が500万円の人も2,000万円の人も、医療サービスに使っている個人支出は平均すると5~6万円で、ほとんど差がありません。一方のアメリカは、医療サービスに使っている個人支出が収入に比例して大きくなり、年間所得が2万ドルの人と8万ドルの人とでは大きな差が出ています。市場を拡大するためには、アメリカ流の傾斜がむしろ望ましいと言えるのかも知れません。反対に、平等・公平を重視するなら、やはり日本のような姿が理想ということになります。このグラフは、日本にもアメリカのような傾斜があったほうがよい、そのためには混合診療の全面解禁も必要であるということを説明するために作られたものですが、どちらがよいのかは非常に難しい問題です。(資料9)

資料9

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米国医療の課題

 これらを総括すると、米国医療の課題が浮かび上がります。資料10では、これを①大量無保険者の存在、②医療費の高騰、③医療の質に集約しました。医療の質については、1990年代以降、民間保険でマネージドケアが盛んになって、保険に入っていてもキチンとした医療が受けられない、選別されるという不満が国民の間で非常に強まっています。ただ、それをもって、アクセスが十分に保証されていない、したがって医療の質が低いといえるかどうかは、難しいところです。次に、医療事故対策として医師が過剰に防衛的医療をするようになったということが、価格をつり上げている大きな要因になっています。オバマ大統領の演説でも、この防衛的医療のことにわざわざ触れています。防衛的医療が不必要な医療費を増やしている可能性があることを知ったので、医療過誤法の改正を含め、これに対する対応も考えるということを言っています。(資料10)

資料10

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 こうしたさまざまな課題があるにもかかわらず、改革が実現しない理由はどこにあるのでしょうか。ひとつは医療の世界でも市場競争至上主義が強調され過ぎていることです。アメリカでは市場原理の活用が必要だという考えの人が多いのですが、それが医療のように情報不足のなかでは、なかなか機能しないという問題があります。また、政府が規制に関与するには、国民からの不信感がきわめて強いのではないかと思われます。このあたりの実情は私が去年の初めに出版しました『米国医療崩壊の構図』に縷々詳述されています。小説のようにおもしろいのでぜひお読みいただきたいと思います。著者のレジナ・ヘルツリンガー教授は、米国医療を崩壊に導いた元凶は5人で、彼らは保険会社、非営利の大病院、雇用主企業、政府、それに専門家集団であるとしています。不思議なことに、元凶の中に医師と製薬会社は入っていません。保険会社がやり玉に挙げられているのはよく分かりますが、病院も元凶に入っています。ヘルツリンガー教授は、病院は表面上非営利と言いながら、実体は非営利ではないと決めつけています。早い話、人口10~20万の街に病院が2つ、3つあったものが、談合して合併し、市場を独占して価格をつり上げているといった実例が紹介されています。そうした事例は枚挙にいとまがないというわけです。通常の企業のM&Aと病院のM&Aとは何ら異なることはなく、しかも病院のボードメンバーは巨悪の金融界と同じように高額報酬を得てぬくぬくと暮らしていると詳述しています。また、雇用主企業も従業員のことを考えてきちんとした保険を選定していないし、政府も政府で細かいことに口を出して、政府が処方せんを書くような医療がはびこっている、それらを支える専門家集団もなっていない、と手厳しい指摘をしています。なぜ医師と製薬会社が入っていないのかは不思議ですが。(資料11)

資料11

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オバマ政権の医療改革

オバマ・バイデン・プラン

 次に、オバマ改革の骨子を表5にとりまとめました。このうちで、どれだけのものが最終的に実現するのかは現状では分かりません。オバマの改革案は政府が骨格を決めてはいますが、具体的な内容は議会の主導でまとめる方法をとっています。これは、細かいところまで何でも政府が決めて、その承認を議会に迫った結果、ぎくしゃくし過ぎて廃案となったクリントン政権の手法の反省から生まれたものですが、それがうまくいくかどうかということです。

 表5に掲げたオバマ・バイデン・プランは、非常に盛りだくさんで、これらの内容をオバマ大統領が自ら詳しく解説したのが、9月9日の上下両院合同会議での1時間を超える演説でした。このプランに挙げられている大項目だけでも20~30項目あり、多岐多彩です。合同会議の中では、皆保険化は必ずしも今回の改革案の最優先課題ではないとオバマ大統領は言っています。「総論」に要約したように、①ヘルスケア費用の高騰抑制、②多数の無保険者の存在を無くすこと、③予防と公衆衛生への投資不足を改善するのが主な目的であると、しているのです。そして、改革案のめざす姿としては、医療の質を確保しつつ、医療コストを削減するとあります。今まで民間保険やメディケア、メディケイドで保護されている人は、そのまま利用でき、質はキープすると宣言しています。無駄を省いて医療コストを削減するという方向です。これに対し、サービスの質を確保しながらコストを削減することが本当にできるのかということが、大きな議論になっています。

 オバマ改革のポイントは、医療の質の確保とコスト削減を実現するには、現在の医療保険のあり方を改善するのがもっとも大事なことであると強調している点です。そのためには、チェーリー・ピッキング(被保険者選別)という、保険会社にとってあまりありがたくない、すでに病気になっている人の保険加入を断るのを一切認めないという規制案も入っています。既往歴の如何にかかわらず、平等に医療保険は提供されなければいけない、それを法律で定めるということです。また、平均的なサラリーマンが支払うことのできる保険料で、アクセスしやすい医療をすべての米国民に提供するとあります。これはまさに無保険者の根絶ということです。そして、予防の促進、公衆衛生の強化を謳っています。今一番問題になっているのは、医療保険をどういう組織が提供するのかということの議論です。(資料12、表5)

資料12

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下院民主党案と上院民主党案の共通点と相違点

 資料13に、下院民主党案と上院民主党案の共通点と相違点をまとめました。共通点を挙げると、保険加入を段階的に拡大し、最終的に国民皆保険を実現すること。そして、保険加入を全国民に義務づけること。さらにすでに保険に入っている人への対策として、民間保険会社のチェリー・ピッキングを禁止することです。一方、主な相違点のひとつが、企業雇用者に従業員に対する保険提供を下院は義務づけると言っています。もちろん小さな企業は除きますが、中規模以上の企業には保険を提供し、もし提供しないのであれば、その代わりに従業員の支払う保険料を填補するように義務付けるということです。これは「プレイ・オア・ペイ」と言われていますが、そのどちらかを行なうべしというものです。ちなみに、アメリカの大企業の8割方は医療保険を提供していますが、景気の悪化とともに提供しない企業が増えてきています。アメリカで一番大きなスーパーマーケットであるウォールマートは初めから医療保険を提供していませんが、今回はオバマ大統領の呼びかけに賛同しました。一番もめているのが、チェリー・ピッキングの禁止です。

 資料13には、「下院は公的保険プラン(パブリック・オプション)を創設し、上院はこれを断念、同プランの選択を州政府に委ねる」とあります。これは、要するに無保険者のための保険制度を新しく作るに当って、その保険会社をどういう形のものにするのか。従来の民間保険会社にやらせたのではこれまでの保険制度とあまり変わらず、無保険者が高い保険料を払えるはずがありません。理想はメディケアと同じように政府100%出資で政府主導の保険公社として運用することです。オバマ大統領も当初はこの下院案に賛成していました。ところが、その案に対する反発が強く、一旦政府100%の保険ができると、民間保険は競争できず、将来的にはカナダと同じように保険者は一人しかいない「シングル・ペイヤー」の国になってしまうのではないかという批判が強いため、方針を転換しました。それで、民間の保険会社に政府の支援も入れて、協同組合方式の保険機構を作ろうという案が浮上しました。そこでは、基本的には市場原理での運営に任せるが、政府もタックス・ベネフィットをつけたり、支援金を一部出したりするなど、何らかの形で支援するという案です。さらに、上院案は連邦ベースではなく、州別にばらして、それぞれの州の選択で保険機構を作ろうということになっています。改革法案が成立するとしても、公的オプションの部分に関してはかなり後退したものになるのは間違いないところです。さきほどから申しているように、9月9日のスピーチから判断しても、オバマ大統領はどちらかといえば市場主義者ですから、大統領自身はリベラルが主唱しているガチガチの公的保険を望んでいるわけではなさそうです。市場の自主性に任せた協同組合的な保険会社ができて、それが多少とも民間保険会社への抑止力になれば十分であるというのが、オバマ大統領の真意ではないかと思います。新たな保険組織創設のための財源として財政赤字を増やすことは1ドルたりとも認めないと言っています。無保険者を救うための財源として、高額所得者からは新しい税金をとる、ないしは高額な民間保険に加入している人の保険料に税金を賦課するとしています。(資料13)

資料13

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わが国への示唆

 こうした新しい制度がオバマ大統領の思惑とおりにできるかどうかはまったく混沌としていますが、これまでのアメリカの議論は日本の制度とはどういう関係があるでしょうか。オバマ改革は10年間で約1兆ドル、年に1,000億ドルですから、日本の規模に引直すと5兆円くらいのお金が余分に投入されるわけです。それに対して、国民皆保険化に要する費用は富裕層からの増税や関連業界からの拠出、既存制度の節減からの捻出で賄い、財政赤字は増やさないことを鮮明に打ち出しています。1ドルなりとも財政赤字は増やさないという姿勢を貫いています。このオバマ大統領の姿勢をどうみるか。わが国の議論は、財政赤字容認、公共事業に使うお金があれば医療保険に使うべしとの主張も多いようですが、アメリカの議論に鑑みると、それはどうかと思います。

 日本の保険料率はアメリカに比べると半分か3分の1程度の低いものです。欧州の主要国と比べても、ドイツは14.6%、フランスは13.9%ですが、日本は協会けんぽで8.2%(本年4月以降は9.34%)、組合健保平均で7.3%と、格段に低くなっています。自己負担も高額医療費制度があるため、平均では22%程度に留まっています。アメリカではメディケアとメディケイドを両方受けている高齢者であっても、そのカバー率はせいぜい67%で、33%は自己負担となっています。先ほど申したイギリスのように、富裕層は税金で医療費を支払った上で、プライベート医療を希望するのであれば、全額自己負担で受けなさいという国もあるわけです。それをどう見るかは難しいところです。いずれにしても、米国の民主党穏健派ではありませんが、企業の責任がもっと日本でも重視され、企業の医療保険給付を義務化してもよいのではないかと思います。アメリカでもこれまで企業の保険提供は義務化されていませんでしたが、今回の改革が通れば義務化されることになり、ウォールマートのような大企業もそれに賛同しています。弱小企業は別途救うとして、被雇用者が一人でもいる企業は保険料を負担することの原則化がアメリカで施行されようとしているのです。企業だけではなく、個人にも義務化され、保険に加入しなければ毎年900ドルの罰金が課されるようになります。一方、日本の皆保険は、組合健保、協会けんぽに入れない人にはすべて国保が医療保険を提供するということで成り立っています。日本には個人の加入義務も企業の保険提供の義務もありません。現に、組合健保の解散が相次いでいますが、これを放置して、残った健保や国保に全部押しつけるのはいかがなものかという気がします。少なくとも、企業に医療保険の提供を法律上義務づける点は、日本でも考えるべき問題ではないかと思います。

 もうひとつは、予防の促進、公衆衛生の強化です。今回の医療改革の柱としても大きく打ち出されています。予防が進めば医療費が下がるという実証研究はあまりありませんが、アメリカは予防も医療保険でカバーしていこうという方向にあります。日本は予防や人間ドックなどの検査は原則として保険不適用ということでやってきています。最近、高齢者はインフルエンザから肺炎にかかる確率が高いため、肺炎球菌ワクチン接種の必要性がようやく言われるようになってきましたが、日本での接種率はまだ3%くらいです。一方、アメリカの高齢者は50%以上が肺炎球菌ワクチンの予防接種を受けています。

 個人の自己負担についてもアメリカの自己負担率は結構高く、欧米の皆保険国でも結構高い国があります。日本も高齢者すべてが低所得者で弱者だと捉えるのはいかがなものでしょうか。負担できる高齢者は高齢者の間で負担し合うアメリカのメディケア的な考え方が必要なのではないかと思います。(資料14)

 非常に雑ぱくな話でしたが、ご静聴ありがとうございました。

資料14

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(2010年4月20日、(財)医療関連サービス振興会発行「振興会通信Vol.104」p24~43所収)

 

 

 

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