個別記事

米国医療システムの新しい潮流

 
 全米医療経営者協会と全米病院協会は420名の有力医療関係者からの聞取り調査を基に行なった委託研究結果の最新版を "Futurescan 2003 ~ A Forecast of Healthcare Trend 2003~2007"として公表している。この毎年更新される将来予測は、米国の有力な医療関係者が持っている見通しの最大公約数ともいえるものであって、米国医療界の動向を示唆するものと見られている。本調査報告の概略を中心に、本年9月に日米文化センター主催の「訪米研修プログラム」に参加して、全米病院協会(AHA)、メディケア・メディケイド・センター(CMS)、医療機関認定評価合同委員会(JCAHO)、ジョーズ・ホプキンス大学病院、ノースウエスターン記念病院など6機関・大手5病院を往訪した際の実地見聞を加え、米国の医療システムが直面している主要なトッピクスを①医療費の高騰と人材不足、②確定拠出型民間医療保険台頭の予測、③医療の安全性確保、④個人医療情報の保護の動向に絞って、概括的に以下にとりまとめた。

1、 医療需要の高まりと医療費の高騰、人材不足の深刻化

 1990年代を通して見られた医療サービス需要の減退傾向は完全にストップし、2000年代に入って、多くの病院は増加を続ける入院需要に追いつけない状況下に置かれている。ことに、救命救急病室や重篤な患者を受入れるICUの不足が顕在化し、大病院の多くはこれらの施設の増強・更新に大童である。

 医療サービスに対する需要増加の主因は、人口構成の高齢化、人口増加、技術進歩による新規需要の創出に求められる。年齢構成の変化が医療需要に及ぼす影響は一様ではないが、50歳台になった1945年から64年生まれのベビーブマー層に急増している生活習慣病に起因する急性疾患の増加要因が大きい。また、増加している75歳以上の高齢者は、若年層に比して、入院日数は3~4倍、外来受診頻度は2倍となっている。

 医療需要の増加は全米に亙っているが、主要都市にかなり偏在している。主要都市から車で2~3時間の準郊外地域に立地する病院は、辛うじてその恩恵に与っているのに対し、それ以外の人口希薄地域はこのブームから取り残され、新規投資も行われていないため、格差の拡大が進んでいる。

 医療サービス需要増の当然の帰結として、90年代の後半にはマネジドケアの浸透によって伸びが抑えられていた民間医療保険の保険料は、2000年代に入って、2002年10.5%増、2003年11.0%増(CMSの予測)とGDP増加率の三倍を超える二桁台の増加を続けている。これは、マネジドケアアが180度方針を転換して受診制限をしなくなったことによる反動増もあるが、これが吸収されて後も引続き増加するものと予想されている。

 総医療費の対GDP比率も、2001年の14.1%から、2003年には15.2%、2010年には17.1%に上昇するものと見込まれている(何れもCMSの発表計数)。

 その要因として大きいのは、医療界の慢性的な人材不足である。これまでから常にナース(看護師)の絶対数不足と高回転率(年平均21%のナースが転職)、高齢化(平均43歳)が指摘されてきたが、最近はレントゲン技師などテクニカルサポートや薬剤師の不足が深刻になっている。医師になる希望者も減少し、ことに心臓外科医志望者の減少が問題視されている。その結果、ドクター・フィーも上昇しているが、総医療費に占める医師の人件費は12%程度とさして大きくはない。むしろ、大多数を占めるナースなど医療関連職全体の人件費上昇が医療費の上昇圧力として働いている。さらに、高額の医療機器導入や薬剤費の高騰も医療費を押し上げている。

2、 コンシューマリズム(消費者主義)の高まりによるマネジドケアの瓦解と確定拠出型医療保険の台頭

 医療サービスの出し渋りによって医療費を抑制できると考えて設計されたマネジドケアは、消費者の支持を完全に失ってしまった。今やマネジドケアは管理を放棄して、消費者の選択を重視する方向に180度方向を切り替えている。2002年には、マネジドケア保険の中で、比較的縛りの緩いPPO(Preferred Providers Organization)とPOS(Point of Service)への加入者数が49.2百万人と管理の厳しいHMO(Healthcare Maintenance Organization)への加入者数38.5百万人社数を大きく上回った。PPOなどに逆転されたHMOもアクセス制限を大幅に緩和するなど著しく縛りの緩い組織に変質している。

 高齢者向けの公的医療保険メディケアが、医療費のコントロールを強化するために民間保険のマネジドケアと組んで、第三の選択肢として進めた「メディケア・プラス・チョイス」も行き詰まっている。「メディケア・プラス・チョイス」は、一時は処方薬一部負担の魅力もあって、加入者を増やしたが、マネジドケアによる管理が嫌われて、メディケア全体に占める比率をピーク時の15%から8%程度にまで落としている。高齢者の関心も、給付の方針は固まっているものの、給付範囲とその方式を巡って議会での調整が難航している"Senior Drug Benefit"と通称される全加入者への処方薬給付に移っており、これが実現すれば「メディケア・プラス・チョイス」の魅力はさらに薄れる。

 これは、マネジドケアの仕組みそのものが市場原理に合わなかったことにも因るが、医療の世界においてもテレビを通じてのDTC(処方薬の消費者への直接広告)やインターネットの影響で医学的に『賢い消費者』が増加し、保険会社側も消費者の主導権を受入れざるを得なくなってきた結果である。

 一方、医療保険料の大部分を負担している雇用主企業にとっての医療費抑制の必要性は、これまた一段と高まっている。現在のところ、大多数の大企業は受診時の自己負担額引上げや免責額限度の引上げなどの保険条件変更など、加入者へ負担の一部を転嫁する方策で凌いでいるものの、これは早晩限界にぶつかる。

 それでは、消費者の主導権と選択権を尊重すると同時に、雇用主企業の保険料負担を抑制できる仕組みが可能であろうか。Futurescanによれば、将来の方向として、ハーバード大学経営大学院のヘルツリンガー教授は、大企業は雪崩を打って現行の「確定給付型」から「確定拠出型」の医療保険(年金制度における401kと同様に、企業の負担額を一定水準に抑え、給付額の変動リスクは従業員が負担する仕組み)へ移行するものと、大胆に予測している。この「確定拠出型」医療保険は、現在では主に中小の保険会社が手掛けており、2001年の市場シェアは8%程度に過ぎないが、この予測が当たれば、「確定拠出型」が民間医療保険の主流となる。大手の医療保険会社も現在の企業向け卸業務から、消費者の選択肢を豊富に取り入れた小売業務へと舵を切り替えざるを得なくなる訳である。

 このような確定拠出型への移行が顕在化した場合の懸念は、現在すでに43百万人を超えている無保険者数が、今後は毎年150万から200万人ずつ増加するものと予想されることである。企業が提供する医療保険の魅力が薄れれば、従業員は医療保険以外の他のフリンジ・ベネフィットを選択して、医療保険に加入しなくなるケースが増えるからである。

 このような新事態に対応すべく、国民皆保険の導入が再び議論されようが、現在の共和党政権下ではもとより、皆保険導入を政策綱領に掲げる民主党政権が実現しても、全国一律の皆保険法案が数年内に議会を通過する可能性は極めて低いものと看られている。無保険者対策は、当面は州単位での対応しかなく、たとえばカリフォルニア州では中小企業にも従業員への医療保険給付を義務付ける法律を2003年9月に制定している。

3、 医療の安全性確保に向けての公民挙げての取り組み

 医療における患者の安全性確保と医療過誤への関心は一段と高まっている。Institute of Medicine(IOM,米国医学研究所)は医療の安全性向上のための技術開発投資に年間10億ドルの投資を要求し、フォーチューン500に属する大手民間企業の最高責任者連盟である「ビジネス・ラウンドテーブル」がスポンサーとなって設立したリープフロッグ・グループは安全性向上のための病院のコンピューター投資などに年間1000万ドルの支援を行なっている。

 医師は医療過誤保険の保険料値上げに悩まされており、これが医療費高騰の一因ともなっている。医療過誤訴訟を怖れて,救命救急勤務を拒否する事態も多発しており、病院にとっても安全性の確保が最大の関心事となっている。

 議会も医療過誤の報告を義務化する法案を検討中であるが、連邦ベースでの法制化は当面見込まれていない。

 米国最大の医療機能評価機構であるJCAHOは、その規定するPatient Safety Standardに沿って2003年から始まるNational Patient Safety Goals(全国患者安全目標)についての具体的な施策を進めている。Sentinel Event(監視事象)として、塩化カリウム投与、自殺、異型輸血、輸液ポンプ、針刺し、危険な省略語、治療開始の遅れ、院内感染など28項目が具体的に示されており、その報告項目数の増加が注目されている。  

 2003年は、このNational Patient Safety Goalsの初年度にあたるが、JCAHOは①患者確認、②医療提供者間でのコミュニケーション、③医薬品に対する強い警戒、④手術すべきでない部位の手術、⑤輸液ポンプ、⑥臨床での警報システムの6項目をゴールとして掲げている。

 リープフロッグ・グループは、米国医療の安全性を画期的に改善させるため、雇用者の購買力を結集させることを目標に掲げ、これまでに、①コンピューター処方エントリー・システムの導入、②集中治療室における治療への救急医の参加、③エビデンスに基づく病院紹介システムの実現を活動目標として挙げている。エビデンスに基づく病院紹介システムは、特定の待機的手術や治療の施行数が最も多く、アウトカムが良好な病院へ患者の紹介を集中するためのものである。

 リープフロッグ・グループの活動は始まったばかりであるが、安全性向上のシステム構築に要する多大の費用を誰が負担するのかという問題を提起し,病院だけに負担を強いるのではなく、経済界がこれを側面支援しようというユニークな動きとして注目されている。

4、 患者の個人情報保護

 1966年8月に連邦法として制定されたHealth Insurance Portability and Accountability Act(HIPPA、医療保険に関する携行性と説明責任に関する法律)は、もともとは労働市場の流動性確保のために転職時に医療保険を携行できることによる利便性付与と医療報酬請求事務の合理化を目的としているが、それに伴って,①医療電子情報の標準化、②そのセキュリティー確保、③患者のプライバシー保護などの広範にわたる根拠法規ともなっている。本法は医療電子情報に特化して,②と③については詳細具体的に個人のプライバシー保護と公益目的での公開の均衡を図る原則を定めたものである。

 本法の適用される範囲は広く、医師、看護師ほかの病院スタッフ、病院のための寄付集めの関係者、コンサルタント、ボランティア等医療に関係する人、接触する人のすべてを対象としている。保護されるべき医療情報は個人の人口統計学上の情報・健康に関する情報などをも含むすべての書面、電子情報に加え、口頭での会話も含まれる。違反した場合の罰則も厳しく、違反者には民事罰に加えて、懲役10年を含む刑事罰が課せられる。ただし、電子情報を扱わない個人の医師などは本法の対象外とされている。

 カルテについては、この法律により初めて公式に電子カルテ化が認められ、併せて本人への開示も義務付けられた。従来は、各州の州法に委ねられていた医療情報に関する諸規制が連邦ベースで統一されるメリットは大きく、医療の標準化のスピードアップにも寄与する。

 対応すべき問題が広範囲に及ぶため、本法は段階的に施行される。上記③の患者のプライバシー保護は本年4月から施行済みで、①の標準化は本年10月、②の電子情報伝達セキュリティーは2005年の4月からとなっている。

 患者の個人情報保護に関しては、医療情報を患者本人がコントロールできるようにするため、患者の権利として、①自分の医療情報がどのように使われるのか、誰に提供したのかを知る権利、②自分の記録が他人に提供される場合、内容を限定できる権利,③カルテ内容のチェックを要請する権利、コピーを要求する権利、病院に記載内容の変更を求め、病院が応じない場合には政府当局にクレームを出す権利などを定めている。

 具体的には、たとえば患者が入院する場合、病院は「プライバシーの実務に関する通知」を書面で行なうことを義務付けられている。この通知は、その病院がどのように患者の情報を利用し開示するかを示すものである。たとえば、患者は外部からの問合せのためなどに用いる患者名簿に名前を記載することについても諾否の選択ができる。患者は自分の診療記録を閲覧し、コピーの提供を求めることができるだけでなく、ほかに誰がその情報を見たかの「開示情報説明」を求めることもできる。

 一方、研究者からの要請に対しては、「研究倫理委員会」が原則を定め、データから個人識別情報を除去すれば、患者の同意を得ることなく、研究者が自由に利用できる原則も定めている。

 本法はこのように医療情報の収集、保存、開示にわたって患者が自らの医療情報にアクセスし、かつコントロールする権利について新たな基準を設定するものであるから、医療機関が個々に定めていた従来の方針にかなりの影響を与える。医療機関はプライバシー担当者の任命やスタッフの教育、患者への徹底などに注力しているが、患者のプライバシー保護については、独自の対応も以前から進んでおり、州法の規制の方が強い州もあって、本年4月の導入後に大きな問題は発生していない。

 問題は、今後施行される②と③の情報電子化とそのセキュリティー対策であり、これには平均して医業収入の2にも達すると予想されるハードならびにソフト投資が必要と言われている。

(医療経済研究機構専務理事 岡部陽二)

(2003年10月医療経済研究機構発行「Monthly IHEP(医療経済研究機構レター)」No.114 p24~28 所収)

コメント

※コメントは表示されません。

コメント:

ページトップへ戻る