個別記事

ユーロ誕生後に円の進むべき道 ~為替安定への外交努力支える理論構築を

 欧州の念願であった通貨統合が本年1月1日に実現した。新通貨「ユーロ」の為替相場は、誕生後2ヵ月を経たところでは、金利の先行き低下予想からやや弱含みながら、極めて安定している。ユーロの誕生により、一夜にして米国に匹敵する巨大な単一通貨市場が欧州に出現したのは画期的な出来事であり、今後の世界経済にも計り知れない影響がある。

鳴りを潜めた投機筋

 「ユーロ」が順調に滑り出した要因として指摘されているのは、通貨問題をより高次元の戦争か平和の選択の政治問題と位置づけて、国民の理解を求めた独仏首脳の卓越した構想力と決断であった。また、ドロール報告に基づいた周到緻密な導入計画が奏効したのも事実である。しかしながら、これに加えてジョージ・ソロスが主宰するヘッジ・ファンドに代表される通貨投機筋が、昨年央来のロシア債投資による喫損で鳴りを潜めた点も見逃せない。LTCM破綻に象徴されるハイ・レバレッジの債券裁定オペレーションの失敗も重なって、投機筋が1992年に英ポンドを売り浴びせてEMS離脱に追い込み、1997にはアジア通貨危機の端緒となったタイ・バーツ売りに殺到したようなエネルギーを失っていたという僥倖にも恵まれたのである。

 本稿では、「ユーロ」実現に至るEU(欧州連合)の構想とその実現への足跡を振り返り、さらにはニクソン・ショックによる固定相場離脱後の欧州、米国、日本の三極の対応の違いが招来した現実を踏まえて、今後円相場安定へ向けて我が国がとるべき方策について考察したい。 

 「ユーロ」の構想を1957年ローマ条約によるEEC発足に遡って、長い欧州政治統合の流れの一こまと位置付ける見方にも一理はある。しかし、1971年8月のニクソン・ショック以前には、全通貨が金の価値に裏付けられた米国ドルに固定されるブレトン・ウッズ体制が維持されており、為替相場の変動は限定的、例外的にしかあり得なかった。したがって、通貨統合への動きはニクソン・ショックと俗称されている、ドルの金兌換停止により移行した変動相場制への対応に始まると見るのが、実際的であろう。

欧州が決断した選択 

 
その第一段階は、スミソニアン合意で参加国通貨の対ドル変動幅を2.25%と定めた中で、当時のルクセンブルク首相がまとめた「ウェルナー報告」に基づいて、欧州通貨はスミソニアン合意の二分の一の変動幅を維持するという一種の通貨同盟であった。
 相場が常に対ドル変動幅を上下限として、その内側を半分の幅で変動するところから「トンネルの中のスネーク(蛇)」と呼ばれた。ところが、このスネークには、①対ドル相場がベースで、欧州通貨間の中心レートが存在しなかった、②各国に金融政策上の協調義務を課さなかった、③市場介入の原資となる基金が設けられていなかった、などの欠点があった。

 そこで、ジスカール・デスタン仏大統領とヘルムート・シュミット西独首相の話し合いで1979年3月に発足したのが、EMS(European Monetary System,欧州通貨制度)と呼ばれる通貨同盟である。この制度では、参加国は相互に為替相場変動幅を上下一定の範囲に維持するために必要な政策手段を講ずることで合意するとともに、ECU(European Currency Unit、欧州通貨単位の略で、参加国の経済規模に応じてウエイトがつけられた通貨バスケット)を共通通貨単位として導入した。このEMSは幾多の試練に直面しながらも実効を挙げ、英ポンドを除く域内通貨間の調整は最大10%小幅に留まり、ことに最近10年間は安定性をとみに高めてきた。

 このように欧州では国際通貨情勢の混乱、為替相場の乱高下から欧州を護るためには、EU内での相場安定を至上命題と位置づけた。そして、ドルを排除して欧州通貨間だけでも相場変動を出来る限り抑制するシステムを考案・改善し、最終的には通貨統合によって変動そのものを無くす方向への努力が積み重ねられて来たのである。

米国が選んだ投機化への道

 一方、ニクソン・ショック後に米国で起こった大きな変化は、変動相場制に突入した世界中の通貨を投機の対象とした大手銀行やヘッジ・ファンドのオペレーション強化・拡充であった。1972年5月にシカゴのマーカンタイル取引所で開始された通貨先物取引は、通貨の価格変動というリスク取引を活発化し、通貨投機という火に油をそそぐ役割を果たした。それまでにも、為替リスク回避の手段として為替先物予約取引は存在したが、通常先物予約は実需をベースとして期日に履行されるのが原則であったため、コストもかかり、投機には不向きであった。これに対し、シカゴでの通貨先物(フューチャー)・オプションは証拠金率も低く、その利用者は主目的が投機であるから期日に差金を決済するだけで、巨額の投機売買が可能となった。

 先物・オプションにスワップを加えたデリバティブ取引の想定元本残高は1986年末に全世界で約1兆ドルであったが、その後、毎年20%を超える増加を遂げ、1998年には150兆ドルと、世界各国のGDP合計の4倍近い規模にまで膨れ上がっている。このうち米銀の残高が40兆ドルで、その85%は大手7行に集中している。ドイツ銀行が買収交渉を進めているバンカーズ・トラストは、まさにデリバティブ投機に特化した銀行の典型であった。資本主義経済下では為替や金利・株価の相場は変動が不可避であるが、近年デリバティブの登場によって一段と乱高下が激しくなり、地域も米国からアジア・中南米へと急拡散している。こうした投機主体の金融取引が、ほとんど規制を受けることもなく放置されたままで、誰もチェックできないのが、現在の国際金融システムが内包する根本的な欠陥といえよう。

行過ぎた円高と相場の乱高下

 翻って、わが国の状況はどうであったか。一言でいえば、全く無為無策といっても過言ではなく、ブレトン・ウッズ体制崩壊後の日本は円ドル相場の乱高下に翻弄され続け、円安・円髙に一喜一憂してきた歴史である。昨年4月の為替管理緩和後は、円安局面において一般国民までがドル預金やドル現金を使用して、為替相場の先行きに根拠もなく賭けるだけの為替投機に走っているのは、嘆かわしい限りである。

 円ドル相場の変動を最近5年間について、「ユーロ」の前身であるECUとの対比でみると、円の乱高下振りが一目瞭然である。ECUの対ドル相場は、1995年4月のドル安ボトム時で1ドル1.34ECUから、昨年7月のドル高ピーク時で1ドル1.09ECUと23%、円相場でいえば対ドル25円程度の変動であったのに対し、円は1995年4月の80円割れから、昨年8月の147円まで、実に84%、ECUと比べると同期間に3倍以上の大幅な変動を記録している。この間の事情は次に要約するが、「ユーロ」実現後も、わが国がこれまで同様に無為無策続けると、「ユーロ」は強大となって投機の対象から外される一方、世界中のホット・マネーがローカル通貨となった円への投機に殺到する事態も憂慮される。

(1)1ドル80〇円割れ~1995年4月

 毎年1,000億ドルを超えるわが国の貿易黒字は常に円高要因となるが、1993~94年にはバブル期に累増した対米不動産投資回収などによるドル売却と株価崩落後に外人の日本株買い活発化も加わって資本取引も円高に働いた。しかし、それよりも1993年1月のクリントン政権発足後、ベンツェン財務長官が自動車・半導体などのわが国からの対米出超を牽制するため通商政策と絡めて、意図的に円高を追求したことが、円高に拍車をかけた。大統領も財務長官も当時は公然とドル安を是認する発言を繰り返した結果、市場もクリントン新政権はドル安を求めていると受取り、投機筋は安心して円買いに走った。

 円高にさせれば、通商政策を絡めての通貨外交の勝利とばかりに理不尽な圧力をかけ続けた発足早々のクリントン政権に対し、日本政府は円高阻止のための有効な措置をとれないとみた投機筋が円買いに狂奔した訳である。この最大の犠牲者は、1ドル80円では到底採算に合わないために、むりやり中国や東南アジアへの工場移転を強いられた製造業、ことに部品関連の中小企業であった。マクロ的にみても、この行き過ぎた円高が産業空洞化を加速した結果として、今日の米国をも上回る高失業率を招来したのは、明らかである。

(2)強いドル~147円、1998年8月

 1995年5月以降、ドル安に歯止めが掛かったのは、米国も行過ぎを悟って協調介入に応じた結果である。その後、ルービン財務長官は米国経済の好調を維持するためにはドル高が必要と政策を一転させた。強いドルを望むとの米国のトークアップが奏効して円安が進行し、昨年8月には一1ル147円にまで逆戻りした。

 昨年8月までの大幅な円安が、一昨年7月にタイから始まったアジア通貨危機の遠因ともなっている。ドルが比較的弱い通貨であった時には、自国通貨のドル・ペッグはアジア各国にとって、大きなメリットがあった。対米輸出の競争力は維持され、直接投資も安定的に入って来たからである。その後、状況が急変して過去3年余りの間にドル髙に逆転した後も、ドル・ペッグに拘った結果、円安の日本との関係で輸出競争力を失ったディメリットは大きい。一昨年7月以降、アセアン通貨の対ドル相場が円を遥かに超えて下落したのは、投機とパニックによる行過ぎであって、現在ではインドネシアを除く他のアセアン通貨は、すでに円の対ドル水準にまで戻しているが、その間の乱高下によって被った損失は莫大であった。

 この大幅な円安は、バブル崩壊後の景気対策と金融不安解消のために、日銀がとってきた超低金利政策とも関連している。ヘッジ・ファンドをはじめとする外資は、ルービン長官のドル高政策に呼応して、この低利の円資金を国債の品借りなどで大規模に調達、彼らはその円資金を市場で売却してドルに替えて投機の原資に使った。行過ぎた円安の主因となったこのいわゆる「円キャリー・トレード」の額は、数千億ドルに上ったとも云われている。返済時に円安が進むと、低利のメリットに加えて為替益も享受できた。

(3)再び円高へ、108円,1999年1月

 このように巨額の低利円資金を売却してドルに替える円キャリー・トレードで稼いできた投機筋も、昨年8月にはロシア債の急落や金利裁定取引に失敗したLTCMの破綻を端緒として、ヘッジ・ファンドを中心にハイ・レバレッジの運用資金量圧縮を余儀なくされた。彼らは、低利で借りていた円資金も返済せざるを得なくなって、突如円買いに走った。これが、昨年10月には1日で10円近くも円高に振れるという今回の急激な円高の主因と見られる。これに日米双方からの円高容認発言も加わって、本年1月初に、一気に110円割れの円高となった。今回のこの急激な円高も、当局の介入によって、2月には一ドル120円にまで戻している。

 円ドル相場は一120円前後が適正な水準かどうかは別として、経済情勢に格別の変化もなく、円の信認が急に高まった訳でもないのに、僅か5ヵ月の間に投機の手仕舞いを主因に、円ドル相場が40円近くも円高に動いたのは、行過ぎというよりも異常である。ヘッジ・ファンドをはじめとする投機筋の動きを的確に掴んで、適時に警告を発したり、対抗手段としての協調介入を行ったりするのが、通貨当局の責務であろうが、この5ヵ月間の急激な為替変動からは、逆に彼らに翻弄されている通貨当局の姿が浮き彫りにされている。

ルールなき市場主義見直しを

 ドルと「ユーロ」の二基軸通貨体制となった場合、1兆ドル規模の資金シフトが起こるかどうかは別として、両通貨ともに相手を無視して関係が希薄となる可能性は高い。一方、ローカル通貨と化した円が、投機の対象として狙われ易くなるのは、間違いなかろう。このような新たな状況を踏まえて、本年1月に訪欧した小渕首相が独仏伊それぞれの首脳との共同声明の中で、「ユーロ」と円との為替相場安定が重要であるとの合意を表明した。同時に、6月のケルン・サミットに向けて、米国をも含めた三極間で過度の変動を抑制する一方で、柔軟性を維持する「目標相場圏」ないしは「参考相場圏」といった新たな枠組みを検討することで、意見の一致をみた。

 これに対し、このような試みは不必要、不可能で意味がない、市場だけが為替相場を決めるのであって、政府が介入すべきではないとの消極論が、学者や中央銀行関係者の間では根強い。わが国マスコミの反応も総じて冷淡で、このような構想を打ち上げる前に、国内の金融不安を解消し、日本経済の信認を取り戻すことが先決といった焦点がぼけた論評も見られた。上述のように、円・ドル相場の乱高下が日本経済を苦境に陥れた要因の一つであったのは間違いない。したがって、為替相場の安定と日本経済の信認回復は同時に併行して追求すべき課題である。

 また、為替相場の乱高下は、投機筋の動きをモニターして適時に適切な措置をとらなければ阻止できない。今や、国家の機能が市場の横暴に冒されて、国際金融システムが重症に陥っている現実を踏まえて、ルールのない市場原理至上主義を見直す時期にさしかかっているとの認識が必要である。

 ここで「ユーロ」誕生に至る長い道のりから学ぶべきは、為替相場の安定を最重要の政治課題と位置付け、通貨統合にまで発展させていった独仏首脳の構想力と外交の妙である。EUはすでに「ユーロ」・ドル間の目標相場圏構想を用意しており、米国以外の国との協調介入をも含めた相場安定協定にもオープンな姿勢をとっている。

政治課題として位置付けよ

 片や、これまではドルに対抗し得る通貨は存在しなかった米国でも、「ユーロ」の出現によりドルの崩落懸念も出てきたので、為替相場の安定は米国の国益にも合致するとの考え方が台頭しつつある。現に1月19日の大統領一般教書演説では「金融・資本市場の大きな変動を抑制する新たな制度作りで主導的な役割を果たすのが米国の義務であり、6月のケルン・サミットでも話合いたい」と協議には前向きの姿勢を表明している。ルービン財務長官は、G7蔵相会議でも目標相場圏には反対する姿勢を崩していないものの、日欧が一致協力すれば、ことは米国の主張通りには運ばない気運も醸成されよう。

 わが国がこの絶好の機を捉えて、為替安定という重要な国益実現のための外交努力をトップ・レベルで開始したのは極めて正しい選択である。この際、為替安定を関係業界だけの損得問題といった意識ではなく、欧州に倣って国民全体が関わる重大な政治課題の一つに位置付ける発想の転換が必要である。学者・エコノミスト・マスコミも、政府が為替相場の安定へ向けての外交イニシアティブをとり始めた今こそ、この外交努力を支える理論構築と世論形成に力を合わせるべきである。

(広島国際大学教授  岡部陽二)
 

 (1999年3月4日発行、時事通信社「金融財政」第9137号12-15ページ所収) 

 

コメント

※コメントは表示されません。

コメント:

ページトップへ戻る