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大学教授奮戦記

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 昨年三月に第二の定年で辞めるまで満七年間、教授稼業で東京から広島まで通い続けました。六四歳まで没頭してきました国際金融や証券業務一筋の銀行での営業経験とはまったく異分野の「医療経営の教育」を大学で経験できましたのは、私にとってはまさに人生を二倍に生きることが出来たような幸せでした。銀泉誌より投稿依頼を奇貨として、この間のプライベートな事情などを報告させて頂きます。

 平成九年、明光証券(現SMBCフレンド証券)退職の直前にフルタイムの大学教授職のオファーが突如舞いこんできたのです。ところが、そもそも大学の先生を志していたのは、私ではなく、私が本店営業部で商社担当をしていた時から親しくしていた伊藤忠商事のI さんでした。彼は財務部長などの激務をこなす傍ら国際金融や企業ガバナンスの問題について日経新聞や東洋経済にもよく寄稿していた学者肌の勉強家でした。自らも大学に直接当たって売り込んでいましたが、なかなかうまくいかないとI さんが愚痴っていました。これを聞いて、彼に私学の学長をしていた知人を紹介したところ、阪南大学の教授公募の話が持ち込まれ、運よくこの大学の先生に決まりました。その直後に、蒔いておいた種が実って、広島に新設される「広島国際大学」からも彼は教授に招聘されたのです。この大学は大阪の大阪工大摂南大学が開設母体ですが、教授の選考は当時の広島大学学長原田康夫先生に一任されていました。I さんは彼の母校の原田先生からのオファーをやむなくお断りするだけではなく、事前の相談もなく身代わりに私を推薦してくれたのです。

 私としては、国際金融や資本市場の講義であれば、非常勤講師くらいは引き受けても面白いかなといった程度の気持ちは動きましたが、よく聞いてみると、医療経営専門の新しい分野の学科を立ち上げるので、フルタイムの教授として働いてほしいという条件でした。そういう授業内容であれば、これまで病院経営や医療経済には何の関心もなく、人間ドック以外では病院を訪ねたこともない私に勤まるはずがありません。ただ、折角のお話でしたので、原田学長の許にお断りに参上しました。ところが、ご挨拶するなり「よいところに来てくれました。日本の病院に経営は存在しません。あなたは曲がりなりにも銀行を経営していたのですから、病院経営もこなせるはずです」と畳み掛けられて、その場で承諾させられた次第です。

 新設大学の教授資格は文部科学省が直接審査し、単行本や論文を何編書いたかといった業績が重視されるということでしたが、幸い銀行時代に私の名前で出版しました「為替リスクとは」といった本や金利スワップ取引、ユーロ通貨などについての論文をかき集めて何とかパスしました。

 大学での仕事は講義のほかにゼミ、実習の統括から就職の世話まで全部一人でこなさねばならず、体力勝負でした。担当の講義は「国際経営論」と大学設立前から決まっていましたが、病院は優れてドメスティックな存在で、外資が入って来たり海外へ進出したりするケースはごく稀であって、そのようなことを論じた書物もありません。そこで、欧米の医療制度や政策をわが国と対比して研究し、その成果を学生に教えることにしました。それにしても、適当な教科書が見当たらなくて困っていた矢先に、米国に永く住んでいる銀行時代の同僚の神谷君がハーバード大学経営大学院のレジナ・ヘルツリンガー教授が著した「Market‐Driven Health Care」という本を贈ってくれました。

 この本のテーマは、米国最大のサービス産業である医療分野で、「誰が勝者となり敗者となるのか」を豊富なケース・スタディーに基づいて分析した病院経営論で、米国ではビジネス書のベストセラーにもなっていました。これを教科書として使うべく、自ら翻訳して『医療サービス市場の勝者』と名付けました。今でもインターネット検索で「医療サービス市場」と打ち込みますと、検索結果にはこの本しか表示されません。「医療サービス市場」という言葉は、私の造語ではないのですが、わが国では医療は「サービス産業」ではなく、「市場競争」も存在しないと考えられている証左といえましょう。その続編として一昨年に翻訳出版しましたのが、同じ著者による消費者の選択肢重視と医療保険システム改革を主に論じた『消費者が動かす医療サービス市場』です。両書に寄せられた書評などは、大学での他での活動記録とともに私のホームページhttp://www.y-okabe.orgに収録してあります。

 ゼミでは私の専門には拘泥せず、学生が「自ら問題を発掘し、自らそれを解決する」ことをモットーとしました。研究テーマの選択や論旨は学生の自由に委ね、私は一切口を挟まないこととした訳です。この結果、四年間に卒業したゼミ生二四人が各自の好みで自由に選んだテーマが、わが国の医療・福祉界が直面している極めてホットな課題を網羅する多岐・多彩なものとなっていることに驚きました。テーマは病院の経営分析やマクロの医療政策論だけではなく、混合診療や株式会社化をめぐる問題をはじめ医療過誤訴訟、インフォームド・コンセント、電子カルテ、臓器移植、高齢者介護、ジェネリック薬などの専門分野突っ込んだものから子どもの権利条約や児童虐待まで、関心の幅が広く、探究心豊かでした。しかも、すべての論文が改革へ向けての政策を提言しており、私も貴重な刺激を得ることができましたので、「医療・福祉の諸問題」と題した論文集を退職記念に刊行しました。

 この論文集の序文で、これから実社会で力強く活躍する卒業生に高浜虚子の句

     春風や闘志いだきて丘に立つ  虚子

を餞として贈りました。この私の好きな一句は大学の仕事を終えてさらなる人生に立ち向かおうとしている私を奮い立たせるものでもあります。

     古希といふ春風にをる齢かな   風生

といった達観した境地に到るにはあと十年くらいは掛かりそうです。

(2006年1月、銀泉(株)社内報編集室発行「銀泉」131号p82~83所収)

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