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世界の三大奇岩

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昨年ご披露した「世界の三大峡谷」に続いて、「世界の三大奇岩」をご紹介したい。選定のポイントはスケールの大きさだけではなく、ほかに類例がなく、自然の摂理というよりは神の仕業と考えざるを得ないような奇抜な外観と地質学的な希少性に重点を置いた。

   この観点からオーストラリアのウルル(水成岩の砂岩)、トルコのカッパドキア(火成岩の玄武岩と火山灰でできた凝灰岩)、英国北アイルランドのジャイアンツ・コーズウエー(火山岩の柱状節理)を三大奇岩に絞った。

   この三大奇岩は1978年から登録の始まった世界遺産として1985年から87年にかけて3件とも登録されている。ウルルに登ったのは登録の6年前であったが、他の2か所は偶々世界遺産登録が行われたその年に訪れた。 

現在、世界自然遺産となっている天然奇岩の数は10箇所以上に上る。中国南部の石林、黄山、武陵源、ベトナムのハロン湾、マダカスカルのツィンギ・ド・ベマラハ(天空をさす針山)、ロシア・極東ヤクーツクのレナ石柱公園、フランス・コルシカ島のポルト湾といった石灰岩の地層が浸食されてできたカルスト地形が多い。また、米国南西部のユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がるモニュメント・バレーではメサと言われるテーブル系の台地やさらに浸食が進んだピュートと言われる岩山が点在し、あたかも壮大な記念碑が並んでいるかのような景観を呈している。 

岩石と一口に言うが、岩と石との境界は定かではない。広辞苑では「石の大きなものが岩」と説明されており、ウキペディアでは「動かせないほど大きなものは岩、動かせるものが石」との解説も見られる。木が集まると森になるのと同様に、石が集まると「磊」という字になり、これも「もり」と読む。

   太古の人々は巨大な奇岩には精霊が宿っていると信じ、崇拝の対象として大切にした。たとえば、1980年に南ローデシアから独立を勝ち取ったジンバウエのアフリカ人政権は首都ハラレから南へ300キロ離れた「グレート・ジンバウエ遺跡」から国名を採った。原住民の言葉で「石の館」を意味するジンバウエは、天然の巨大な奇岩の周りに他所から運んできた人工の石を配したユニークなものである。この聖地は古くから信仰の対象として崇められてきたため、世界文化遺産として登録されている。

   三大奇岩選定に当たっては、神話や宗教との関連はことさら考えなかったものの、結果的にはウルルはオーストラリアの先住民アボリジーニの信仰の聖地として、カッパドキアはイスラム教徒の迫害から逃れた原始キリスト教徒の修業の場としての文化的価値が評価されて、両者ともに数少ない世界複合遺産となっている。また、ジャイアンツ・コーズウエーもケルト人が語り伝えている神話の舞台となっている。これは偶然の一致とはいえ、奇岩と宗教信仰との固い結び付きが実証された感があり、筆者自身驚いている。

確かに、これらの奇岩にはまるで人為的に創られたようなあるいは何かを啓示しているような存在感がある。人類ははるか太古の昔から巨石と関わってきたので、石を究めることはわれわれの先祖を知ることではなかろうか。

 

ウルル(Uluru

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ウルルはオーストラリア大陸のほぼ中心に位する世界最大級の一枚岩である。ノーザンテリトリー(北部準州)の「ウルル・カタジュタ国立公園」内に存在し、周囲約9キロ、海抜867米、地上からの高さ348米。オーストラリアの真ん中にあることから「地球のヘソ」とも呼ばれている。

この巨岩は1872年に英国の探検家によって発見され、当時の植民地総督名に因んで「エアーズロック(AyersRock)」と名付けられたが、1986年に至りオーストラリア政府は先住民のアナング族に土地を返還し、原住民の呼び名である「ウルル」が正式呼称と定められた。

   巨岩の規模という点では、西オーストラリア州にあるマウント・オーガスタスがやはり一枚岩で、岩の大きさはウルルの約2.5(地上からの高さ858米)もある。ただ、マウント・オーガスタスは山塊の中にあって目立たず、世界遺産にも登録されていない。

   ウルルを訪ねたのは198111月、四季が日本とは反対になるので、晩春のよい時候であった。シドニーからカンタス航空でアリス・スプリングスまで3時間半、そこからウルル観光の起点となるコネラン空港までローカル航空に乗り換えて30分ほど掛かった。外国人旅行者はシドニーとシンガポール間の便でストップオーバーできるが、オーストラリア人にとっては、ここを訪ねるだけで最低二日を要し、国内便の航空運賃が高いので、ウルルには行ったことがないという人の方が多い。

ウルルの全景が観られるリゾート・ホテルに一泊、翌朝、この巨岩に登った。ウルルへの登山口は西側の一箇所のみ。この巨岩への登攀は往復で3時間ほどの行程ながら、日射を遮るものが何もなく、ひどく暑かった。3分の1ほど登ったところにある休憩場所までは急傾斜で、岩壁に埋め込まれた鎖に縋って攀じ登った。

登りつめると平坦な道となるが、一部では片方が崖になっている。頂上からの眺めは見渡す限りの赤茶けた土漠で、遠くにはカタジュタの奇岩群が見える。帰りの下り坂も鎖を頼りに降りなければならず、最後の十分間ほどはかなりきつかった。

ウルルは、今から約6億年以上前に海底に堆積した花崗岩質の砂岩層が造山運動などにより隆起、その後、長い年月をかけてゆっくり浸食と風化を繰り返し、さらに地殻変動などにより、特に硬い部分だけが残った一枚岩である。お碗を伏せたような左右対称の美しい姿になったのは自然の妙というほかない。地表に出ている部分は巨大な岩の一部で、全体の1割ほどといわれている。

巨岩の表面には地層が表われており、地表からほぼ垂直に無数の縦じまが見える。ウルルを形成する砂岩は鉄分を多く含んでおり、この鉄分が酸化して外観は赤色を呈している。太陽の当たり具合で色が変わって見え、朝夕は赤色がより鮮明な真紅に輝く。

この巨岩の周辺地域には約1万年前からアボリジニのアナング族が住み始めた。その先住民の言葉でウルルは「日陰のところ」を意味し、ここが生活の場であり信仰の聖地でもあった。彼らは風蝕による窪みには精霊が宿っていると信じており、周囲にはたくさんの壁画も残されている。

ウルルは地質学的に貴重な存在であることに加え、先住民アボリジニが聖地として長年崇めてきたことが評価されて、1987年に自然と文化の複合世界遺産に登録された。

観光の対象となったのは1950年代からで、現在世界各地から年間約50万人の観光客が訪れている。オーストラリア政府はアボリジニが目指している聖地への立入禁止の意向を踏まえて、2010年に登攀に代わる魅力ある観光施設を開発し、数年後には登攀禁止を目指す方針を決めた。足が滑りやすい岩山のため、過去半世紀ほどに30人以上が登攀中に死亡していることから安全確保も登攀禁止の理由となっている。しかしながら、その後5年経った現在も登攀人気は衰えず、訪問客の3割弱が登っているそうである。

   アウトバックと呼ばれる乾いた褐色の大地が広がる平原にこつ然と真紅の巨岩が表れる光景は神秘的で、ほかでは見られない光景である。天地創造の昔から繰り返されてきた自然の営みを、ずっと見守り続けてきたウルル。この巨大な一枚岩は、何を伝えようとしているのであろうか。

 

カッパドキア( Cappadocia

 

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   トルコのカッパドキアを訪れたのは1985年晩秋の一泊旅行であった。首都のアンカラから南東へ310キロ、車で3時間余りのドライブでギョレメの町に泊まった。

カッパドキアはアナトリア高原にある東西400キロ、南北240キロに及ぶ標高約1,200米の広大な台地である。カッパドキアはトルコの現地語で「美しい馬の地」を意味し、ギョレメは「見てはいけない」という意味だそうである。この台地一面にどこか別の惑星を思わせるような奇岩が無数に屹立している。カッパドキアの魅力は何と言っても、そのスケールの大きさにある。カッパドキアほど壮大な規模で多様な奇岩が蝟集している地はほかに見当たらない。

カッパドキアの特異な地形は、7千万年前から1万年前に起きた三つの大きな火山の大噴火で噴出した火山灰が堆積し、風雨による浸蝕で形成されたものである。溶岩は火山の間にできた湖の底に沈み、その上に火山灰でできた凝灰岩が堆積している2層構造は珍しい。

火山活動は断続的に継続し、より小規模で穏やかな噴火が繰り返される間に、絶え間なくその姿を変えたものと推測されている火山灰が固まった凝灰岩の中には硬質の玄武岩が混じっており、この玄武岩は風雨では浸食されない。奇岩の多くはその固い玄武岩の下の凝灰岩が柱状や茸状にそそり立った形で残ったものである。石柱は、地域によって異なった形をしているのも興味深い。このような奇岩が見渡す限り一面に広がってそびえ立っている。

凝灰岩は本来は真っ白ながら、鉄分を多く含んでいるため若干ピンク色を呈している。日没時には夕日に映えた岩肌がさらに薔薇色を濃くし、ロマンチックな光景となるところからローズバレーと称されている。幸い、日没前にギョレメに着き、眼前に開けたローズバレーの幻想的で異様な夕焼けに言葉を失うほどに感動した記憶が鮮明に残っている。

   ギョレメの町の近くにはデブレントという様々な形をした奇岩の集まる谷があった。
円錐型、尖頭型、円柱型、キノコ型、帽子型などが混在している。自然の気まぐれが作った奇妙な岩には名前が付けられているものも多い。ふたこぶラクダにそっくりな高さ10米の「ラクダ岩」とか、キノコ岩の中に妖精が住んでいるといわれる幽霊の出そうな「妖精の煙突」とか、「ナポレオンの帽子」とか、「三本キノコ岩」(図示)など多彩である。奇岩の高さは10米くらいのものが多いが、中には40米を超える巨峰もある。

   また、この地にはギョレメ国立公園を中心に原始キリスト教徒がイスラム教徒からの迫害を逃れて、凝灰岩をくり抜いて建設した地下都市や岩窟内に住んでいた歴史的な遺産が多く残されている。ギョレメ渓谷にはおよそ100の岩窟教会や修道院があり、博物館や旅館として現在も使われている洞窟もある。岩窟の壁面には、1213世紀に描かれた「キリスト誕生」や「最後の晩餐」などが鮮やかな色彩のフレスコ画が残されている。このように自然の妙と人工の匠を兼ね備えた奇岩群として1985年に世界複合遺産に登録された。

   最近ではギョレメ村の郊外の熱気球ツアーに人気が集まっているようである。筆者は小高い丘から遠望しただけであったが、空からカッパドキアの奇観を楽しむのは圧巻であろう。ニューヨーク・タイムズ紙の記亊はカッパドキアを“
A Moonscape Carved by Nature and Man”と評し、ここが死ぬまでに訪れたい世界の観光地のナンバーワンで、それも熱気球に乗って観ることであると報じている。

 

ジャイアンツ・コーズウエー(Giant’s Causeway、巨人の石道)

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ジャイアンツ・コーズウエーへは1986年と1990年に訪れた。北アイルランドの首都・ベルファストから北西へ約80キロ、2時間ほどのドライブであった。1276年創業の世界最古とされるウイスキー醸造所があるブッシュミルを過ぎると、その町の北東部に広がるアイリッシュ海に面した緑豊かな丘陵の先に黒々とした玄武岩の石柱群が連なる海岸が目に飛び込んできた。

アイルランド島の北端に約8キロにわたって続く海岸線を約4万本の六角形の石柱群が覆い尽くしているこの特異な景観は自然の造形とは思われない。まるで人の手の彫刻で創られた六角柱かのように見える。

石柱の横断面は幅30センチから60センチ程度、一つ一つがちょうど両足で立てるくらいの飛び石ぐらいの大きさである。石柱の高さはまちまちながら12メートルに達するものもある。この石柱が束になってぎっしりと海岸線を敷き詰め、海に向かって伸び、海の中に消えていく。その先を見ると,隣の島がはるか向こうに見える。

海岸線には石柱が何本も整然と並ぶ「巨人のオルガン」、ブーツの形に浸食された「巨人のブーツ」など、巨人伝説に因んで名づけられた見所が点在している。ケルト人が残した数々の巨人伝説が、この広大な空間をいっそう神秘的なものにしている。

   「巨人の石道」の名は、アイルランドの伝説の巨人フィン・マックールに因んでいる。彼が対岸のスコットランドの巨人と戦いに行くために作ったとか、スコットランド北西のヘブリディーズ諸島に住む巨人の女性に恋をし、彼女をアイルランドに渡って来せるために作ったなど、
ケルト人の末裔であるアイリッシュたちがさまざまな伝説を詩情ゆたかなに語り継いできた。「アイルランドの巨人がスコットランドに渡るために作った」と言われれば,確かにそうかもしれない,と納得できる光景である。

六角形の石柱を束ねたようなこの地形は柱状節理と呼ばれ、今から約56千万年前に起きた大規模な火山活動により形成された。地球の内部から流出した玄武岩質の溶岩が冷えて固まり、縦に割れ目が生じたことにより形成されたものである。石柱のほとんどは六角形であるが、なかには四角形、五角形、十以上の多角形のものもある。節理はマグマの冷却面に対して、垂直に形成されるため、柱状になる。節理の横断面が六角形の亀甲パターンを作って集積するのは、水を抜いた田んぼにできる亀裂と同じ理屈と説明されている。

それにしても、柱状節理の割れ目がきれいな六角形になるのはどうしてであろうか。自然の営みには常に最小のエネルギーで最大の効果をあげる原理が働く。岩はひび割れを作るためにもエネルギーを使うが、そのエネルギーを最小で済ませるには、ひび割れの量を最少にすればよい。どの方向にも同じように引っ張る力がかかると、一つの点か最も安定的な角度である120度で割れ、120度の角度で割れるとたくさんの正六角形が形作られる。何とか納得できそうな説明である。 

柱状節理自体はそれほど珍しいものではなく、小規模な柱状節理は日本でも兵庫県豊岡市の玄武洞、福井県の東尋坊などでも観られる。ただ、ジャイアンツ・コーズウエーの石柱群は規模が格段に大きく、ダイナミックな地球の変貌の歴史を物語る貴重な存在である。何よりも、その石畳の上を歩いて石柱の横断面をじかに観察できるのはありがたい。

   英国の世界自然遺産は1986年に登録されたこのジャイアンツ・コーズウエーとアンモナイトの化石が蝟集しているイングランド南部ケント州に拡がる「どーセットと東デヴォンの海岸」の2か所である。さらに、ストーン・ヘンジ(環状列石)はロンドンの西方200キロに位する世界で最も有名な先史時代の巨石遺跡であり、すべて石の自然と文化を表象している。

翻って、わが国の自然遺産は白神山地や屋久島といった樹林で、文化遺産もなべて木の文化から成り立っている。わが国では木霊といった樹木の精霊を崇めてきたのに対し、英国の原始信仰は奇岩崇拝に根差している。木の文化も悪くはないが、岩石をこよなく愛する筆者が豊かな奇岩の国・英国贔屓となったのも故なしとしない。

元住友銀行専務取締役、元明光証券代表取締役会長、元広島国際大学教授)

2016526日、東証ペンクラブ発行「Pen2016p8692所収)

 

 

 

 

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