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6 受難の引揚げ──一年半ぶりの帰国


 待ちに待った日本への帰国が決まったのは、一九四六年(昭和二十一年)九月に入ってからであった。

 引揚団の帰国は朝鮮半島を経由する近道でもなく、遼東半島の大連・旅順経由でもなかった。奉天(現・瀋陽)を経由して錦州方面へ満州沿岸を迂回して葫蘆島(こ ろ とう)(現・遼寧省葫芦島市)に集結、そこから博多までは米軍が用意してくれたLST改造船で輸送される遠回りのルートであった。

18081632引揚げの経路旧満州路線図 (1).jpg

 国際赤十字の働き掛けで、安東を支配していた八路軍と奉天を占拠していた国府軍との間で、日本人の本国送還に関する協定が締結され、私たちはようやく九月下旬に安東を出発することができた。

 しかし、安東・奉天間二百八十キロメートルは、八路軍と国府軍が戦闘を続けており、鉄路は破壊され、徒歩で進む以外の手段はなかった。戦闘は散発的であったものの、十二月には国府軍が安東を再び占拠し、翌年には最終的に撤収するなど不安定な状況が続いていた。

 引揚隊は老若男女百人余りが一団となって黙々と歩き続け、夜は野宿した。盗賊に襲われ、疫病に苦しむこともたびたびで、奉天まで一カ月近くの時日を要した。奉天からは旅客列車で、葫蘆島まで運ばれた。その地で米軍の輸送船に乗り換え、十月下旬に博多港に上陸、やっと日本の土を踏むことができた。一年半ぶりの帰国である。

 筆舌に尽くしがたい年月だったが、博多へ着くまでの船内でも受難が待ち構えていた。母が貨物船の梯子から転落して骨折したうえに、上の妹の瑛子が長旅の疲れも重なって栄養失調に陥った。この混乱のせいで上陸時の登録から漏れてしまったのか、私たち家族五人の引揚記録は厚生労働省に存在していない。上陸時の記憶として、いまだに脳裏に焼き付いているのが、虱などの防疫対策として有機塩素系の殺虫剤・DDTの白い粉を頭から大量に浴びせられたことである。息苦しくて窒息しそうになったことを覚えている。

 終戦時の満州在住日本人は、およそ百五十五万人を数え、そのうち約百五万人が米国の調達した貨物船などでほぼ一年間に集中して帰国している。いずれも、私たち家族同様、壮絶な脱出行であったに違いない。

「引揚げ」とか「引揚者」というお役所言葉は、敗戦時に満州、台湾、樺太など外地に住んでいた民間日本人の帰国や帰国者のことを指しているが、この言葉には強い違和感を覚える。

 私たち「引揚者」は、意気揚々と外地へ赴いた時とは裏腹に、終戦後は帰還の意思があって自ら帰ってきたわけではなく、身も心もボロボロに傷ついて、ほうほうの体でやむなく帰ってきた人がほとんどであり、その実態は難民であった。

 当時十一歳に過ぎない少年であった私にとって、難民生活は強烈な記憶として残っている。それ以上に三人の幼い子供を抱えた母や祖母の労苦を思うと、その悲惨さは想像を絶する思いだ。

 博多に上陸した後、私たち家族は父の郷里の兵庫県・諸寄(もろ よせ)に向かった。諸寄では、父の叔父にあたる岡部禎次郎が酒屋を営み、漁船を所有するなど、それなりの村の名士であった。

 満州での私の学校生活といえば五年生の一学期を学んだだけで、その後の一年四カ月は混乱のなかで学業どころではなかった。そんな私だったが、諸寄小学校では六年に編入させてくれた。本来なら五年生から再スタートせざるを得ないところだが、郷土の秀才と評されてきた父親のおかげで進級を認めてくれたようである。私も同級生に早く追いつくよう努力した。

 難民として満州をさまよった一年余りの出来事を、今思い返してみると「言われてみれば苦労だったなー」という程度の感慨である。むしろ、「満州へ行ったことはいろいろな経験ができて面白かった」という思いもないわけではない。

 父は、応召で不在。私以外の家族は母と祖母、妹二人。十一歳から十二歳の子供ながら、「家族の支柱にならなければ」という自立の気持ちも少しは芽生えてきた。母は気丈であったが、一人ではどうにもならないことも多かったので、頼りにされた面もある。

 満州に行くまでは自主的には何もやらなかった私も、自然と何でも自分一人でやらざるを得ない状況に追い込まれた。粗食に慣れて食べ物の好き嫌いも大いに改善された。満州での体験は私のその後の人生に大きな影響を与えたのかもしれない。

 銀行員時代には、まだ日本には馴染みの薄かった国際部門を担当したが、この時期に身に付いた自分で何でもやるという意識が大いに役立ったのではなかろうか。

 私たちの帰国から半年遅れて、父・利良も一九四七年(昭和二十二年)五月二十七日に、舞鶴港に帰還した。終戦時にハルピンにいた父はソ連軍の管轄の下、シベリアに送られ、「自分の命も明日が計り知れないように思えた」日々を捕虜収容所で過ごしたという。






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