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ターナーとコンスタブル ~英国切手の魅力シリーズ(29)~ 

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    19752月には、ロマン主義を代表する英国最大の風景画家、ウイリアム・ターナー(William Turner1775~1851)生誕200周年の記念切手4枚がが発行されている(上掲)

   左上(41/2)Peace-Burial at Sea(平和~海上の儀式(水葬)、8787cm、油彩、1842年作)ターナーのかつての好敵手であり、数少ない良き友人であった画家のディヴィッド・ウィルキーが1841年に船旅の途中に事故で没し、ジブラルタルの沖合で水葬されたことに対する追悼的作品。同乗していたウィルキーの友人のスケッチに基づいてターナーが仕上げたと伝えられている。

   右上(51/2p);Snowstorm-Steamer off a Harbours’Mouth(雪風吹~湾口の蒸気船、91X122cm、油彩、1842年作)暴風雨に翻弄される蒸気船がロマンティックなファンタジーとして描かれている。 

左下(8p);The Arsenal,Venice(ヴェニスの運河沿いの工廠、24x31cm、水彩、1840年作)

右下(10p)St.Laurent(フランス・ツーロン近くのローラン広場、15x11cm、石墨画、1828年作)

この4枚の絵はすべてロンドンのテート・ブリテン所蔵。タナーの代表作としては「ノラム城、日の出」などもっと有名な作品がある中で、この4枚が選ばれた理由は定かではない。

ロンドンのテムズ川沿いのミルバンクにあるテート・ギャラリーは、現在、「テート・ブリテン」と呼称されている。2000年に改組されて、英国内の5つの美術館を所管する「テート」と称する非政府部門公共機関の一つとして運営されるようになったためである。この美術館にはナショナル・ギャラリーに収蔵しきれなかった1500年代以降の名品を展示しているが、中でもターナー自身から寄贈された初期から晩年までの充実した作品群の常設展示で知られている。 

ターナーの作品は印象派以上に印象的と言われている。モネが「印象~日の出」を発表して印象派を旗揚げしたのは1872年のことであるが、ターナーはそれよりも50年ほど前にモネに比肩する作品を多く描いていた。

印象派は当初パリの画壇に受け容れられなかったが、同様に先進的な画風のターナーは1800年代初めに柔軟性のある英国画壇に暖かく迎えられた。

当初は版画中心であったが、その後鮮やかな色彩を多用した抽象的・幻想的な作風へと変貌していった。

彼は1997年に弱冠24歳で王立アカデミーの準会員、1802年には正会員、32歳の時に附属美術学校で遠近法教授に就任している。さらに王立アカデミーの副会長を務めた。 

一方、ターナーと同時代に活躍した古典的な画風のジョン・コンスタブル(John Constable)の絵は、19688月に発行された‟British Painting”4枚の中で、1枚だけ記念切手に採り上げられている(下掲上段)。

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このHay Wain(乾草の車、1821年、130x185cm、油彩、ナショナル・ギャラリー蔵)は画家の地元サフォークの平凡な風景を詩情豊かに描き出したもので、彼はターナーとは対照的に終生故郷の風景を写実的に描き続けた。  

他の3枚(下段)は左から‟Queen Elizabeth”(作者不詳、1575年頃の作品、113x79cm、ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵)、‟Pinkie”Thomas Laurence作、1794年、146x100cm、油彩、米国ハンチントン・ライブラリー蔵)‟Ruins of St.Mary Le Port,Bristol”John Piper,1940年、76x64cm、テート・ブリテン蔵)である。

 

 

 

 

 

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