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国債30%大暴落、 英国の金融大混乱は対岸の火事か?

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 昨年9月23日、英国で英国債・ポンド為替・株価のトリプル安が発生した。

 きっかけはトラス前政権による 430億ポンド(約7兆円)もの大型減税策の発表である。

 経済の活性化の意図したものであったが金融市場はこれを嫌気したのである。

 事態をさらに悪化させたのは投機筋からの売り浴びせに加え、、「英年金基金」による資産投げ売りである。

 英国年金基金では約20年前から債務連動型運用戦略(LDI; Liability Driven Investment)を採用し始めていた。2000年代前半に、英米において会計基準が変更され、年金資産と年金債務の差額をバランスシートに反映させるよう義務付けられたことを契機に、従来よりも負債を意識した資産運用が求められるようになったためである。「負債対応投資」とも邦訳されている。

 退職給与債務の評価額は金利変動の影響を大きく受けるため、長期固定調達を増やして金利変動リスクをヘッジしたいとの発想である。

 この運用戦略が国債暴落に見舞われた。デリバティブ(金融派生商品)の評価損が膨らみ、追加担保が必要となって英国債を大量に売却せざるを得ない事態に陥ったのでる。その結果、長期金利がさらに上昇、国債価格は30%もの大暴落となった。

 英国債の利回りは急騰、10年国債利回りが一時4.53%台まで上昇したほか、30年国債利回りも一時5%台に乗せ、2002年以来の高水準に達した。ポンドはユーロからアルゼンチンペソまで幅広い通貨に対して急落して37年ぶりの安値をつけた。さらに英国株も下げて世界同時株安につながり、市場は金融危機を警戒した。

 こうした市場の混乱を収拾すべく、英国のイングランド銀行(中央銀行)のベイリー総裁は臨時の声明を出し、残存期間20年超の国債の無条件買入れと10月3日から始める予定であった国債売却の中止を発表する。トラス前政権も減税案をほぼすべて撤回し、10月20日には在任44日という超短命で総辞職した。

 金融市場はようやく落ち着きを取り戻し、国債価格もポンド為替相場も10月中には旧に復した。株価も10月12日を底に上昇に転じた。

 このできごとから日本が学ぶことは2つある。

① 金利の急騰(債券価格の暴落)時には、それに伴う想定外のリスク顕在化が不可避である。

② インフレ進行下で金融引締めをおこなうと金利が上昇するので、財政支援に依存した成長戦略には大きな制約がかかる。
 「LDIによるリスクの顕在化」と「インフレ下での積極財政」の問題は、日本へのインプリケーションが異なるので別々に考察してみたい。



英国年金のLDI戦略の蹉跌は問題の本質ではない

 今回の金利急騰で、英国年金基金が蒙ったデリバティブの評価損は1,500億ポンド(約25兆円)に上ると推計され、年金資産残高の約1割が消滅したとの解説も見られる。

 この騒動を、多くの日本のメディアは「危険な」LDI戦略によって英国年金基金が破綻の瀬戸際に追い込まれたと書き立てている。

 ところが、欧米の年金運用関係者からの反論は少なくない。

 筆者も、英国年金のLDI戦略の蹉跌は問題の本質ではまったくないと考えている。

 英国では1990年代から確定給付型年金(DB)の積立不足への懸念が高まっていた。

 そこで考案されたのがLDI戦略である。リターンを増幅させるために元本の2~4倍の借入れを行ない、運用規模を拡大して収益増を実現する方策である。その結果、短期的な変動は最低限に抑えられるとともに、長期的な利回りが期待できる。なかには、借入ポジションを最大で元本の7倍にまで増やしていたファンド・マネジャーも見られた。

 収益確保の手法は、たとえば、「変動金利での長期借り入れを固定金利を受け取る債務にスワップ」して固定金利での資産を増やすなど、金利変動リスクを回避すると同時に収益を確保するといったものである。要するに、金利リスクのヘッジと要求利回りの達成、この2つの視点を両立させる資産運用手法である。 このLDI戦略はおおいに功を奏して、2021年末のLDIの運用規模(想定元本ベース)は、1.6兆ポンド(約260兆円)と、10年間で4倍に増えた。 

 昨年9月の英国年金による国債投げ売りは、金利があまりにも早く上昇したため窮余の策であったが、それ以前の話としてLDI戦略によって英国の年金全般の運用実績は大幅に向上している。今回の流動性危機で打撃は受けても、基本的にはLDI戦略を放棄する気は毛頭ない。年金の母体企業にとっても、LDI戦略を放棄すれば、資金を追加して注ぎ込む必要があるからである。

 政府やBOEもデリバティブ乱用には警鐘を鳴らすが、LDIの規制強化論は出ていない。

 見方によっては、トラス政権の大型減税政策挫折による最大の被害者は英国年金基金であった。冷静に考えれば、この見方が正鵠を得ているのではなかろうか。 

日本はむしろ英国年金基金のLDI戦略に学ぶべきではないか。

 年金基金の推定資産規模(2021年末現在)は、全世界で約56.6兆ドル(約7,000兆円)。その61.8%は米国が占めており、英国3.9兆ドル、日本3.7兆ドルとつづく。

 ところが両国の年金資産規模をGDP比で比較すると、英国は124.1%、日本は72.2%となる。

 日本と英国では1人当たりGDPが大差ないのにかかわらず、である。

 そして人口1人当たりの平均資産額で見ると、英国は5.5万ドル、日本は2.9万ドルと、日本は英国の1/2程度に留まっているのである。直近10年間の伸びも英国の方が大きい。(図1)

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 1人当たりGDPで大差のない日本と英国で企業年金基金の資産規模がこれだけ違うのは、年金基金の運用方針の積極性に起因するところも大きいのではなかろうか。日本の年金資産が伸びない主因は、給与所得の伸びが低迷していることや企業年金積立の法的強制力がないことにあるが。

 そう考える根拠の一つは、世界最大の規模を誇るGPIFは、最近では株式や外国証券への投資多様化を積極的に進めてはいるものの、LDI戦略のような借入やデリバティブを活用しての収益向上策はとっていないからである。リスクと安全性のバランスに正解は求めがたいとは言え、GPIFもさらなる運用収益増強策を考えるべきではなかろうか。

 もう一つの根拠は、日本の年金基金はGPIF以外は中小規模のものが乱立しており、その大多数は預金や国債など利回りの低い保守的な運用に固執しているという実態である。これは、運用に関する専門性を備えた人材を配置することに対する企業・基金の意識が低く、競争力のある処遇条件も出せていないことに因る。

 いっぽう英国では、大学年金基金、BT年金基金、電力供給年金基金といった比較的規模の大きい基金が職種別に設立されており、各基金がプロの運用専門家を配して、運用成績の向上に鎬を削っている。この専門性と競争環境の差は大きい。日本でも早急に運用専門家の養成・待遇改善に取り組む要がある。

 英国年金の運用にレバレッジの行き過ぎはあったものの、今回の騒動は一時的な国債の流動性不足であって本来の支払能力には問題なく、調整に時間は掛からないとBOEは見ているようである。今回の介入効果で英国年金の財務体質は一段と強化されたとの見方にも首肯できる。

 英国年金のLDI戦略投資については、これまでごく限られた専門家の間でしか知られていなかったが、日本でもこういった先進的な投資戦略についても研究を怠ってはならない。

放漫財政への金融市場の反発は必然

 トラス政権を44日で退任に追い込んだのは、英国債価格の急落と、それに伴って起こった大幅なポンド安であった。英30年国債の金利はトラス首相就任時の3.4%から9月末には5.1%まで急上昇、国債価格はわずか3週間で30%下落した。

 この原因は就任直後に打ち出された法人税などの大幅減税を盛り込んだ「ミニ予算」が放漫財政と受け止められたことにある。エネルギー危機を受けて、減税を中心とする成長支援策を打ち出すいっぽう、中長期的な財政再建方策は示さなかったからである。        

 金融市場は、この減税政策に大きく反応して、国債を売り浴びせ、年金基金の資金運用にも蹉跌を来したのである。 

 この騒動の本質は、国債増発による英国経済の行き詰まりに対する市場の懸念にある。インフレ抑制で後手に回って金融引締めに焦るBOEの利上げ政策は、政府の減税を伴う成長戦略とは相容れない。財政赤字を国債増発で賄う成長戦略は金融引締めを阻害するからである。

 その際に、債券市場がBOEの援軍となったのは、英国民にとってむしろ僥倖であった。国債価格の暴落を放置すれば、国債の借換ができなくなり、減税での景気浮揚支援を軸とする成長戦略は採れなくなる。英国の金融市場は、きわめて効果的に、放漫財政へのブレーキ機能を果たしたものと、高く評価できる。



金融大混乱、次は日本か?

 大手格付け各社の日本国債格付けは、2014年の消費増税延期を機に引下げられ、現在ムーディーズでは「A1」、S&Pグローバルでは「A+」となっている。8年間この格付けが維持されている。

 しかしながら、この8年間に政府債務は774兆円から1026兆円(2022年末見込み)まで膨張して、GDP比は264%とG7で最低、イタリアの147%を大きく上回っている。

 この間に再格下げが見送られたのは、政府が2025年度までにプライマリー・バランスを均衡させると公約し、日銀のゼロ金利政策によって政府の利払い債務が増えなかったためである。長期金利が上昇に転ずれば、再格下げリスクが顕在化するのは時間の問題である。

 日本国債の格付けは、G7ではイタリアを除いて最低、韓国やエストニアよりも低く、中国と並んでいる。(表1)

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  日本国債の格付けがもしイタリア並みのトリプルB格に引き下げられると、つれて銀行など企業債の格付けも引き下げられるので、邦銀のドル資金調達も困難となる。

 10年ものイタリア国債の利回りは現在4.3%であるから、日銀が異次元金融緩和、ことに長短金利操作(イールドカーブ・コントロール・YCC)中止の出口戦略に転換すれば、政府の利払い負担は累増し、国債価格が30%くらい下落するのは必至である。

 政府も日銀も「トラス・ショックを引き起こした英国のようにはなりたくない」と念願していようが、長期金利の急騰で国債価格が急落し、これが金融危機に繋がる可能性は高い。

どのようなきっかけで国債の借換が困難になるのか見通すことは難しいものの、投機筋は国債価格の暴落でひと儲けしようと、虎視眈々金融市場を注視している。日銀の人為的な長期金利操作(YCC)中止に伴う国債の格下げリスクが、その引き金となる可能性は高い。

 このような危機的な政府債務の状況に政治家は目を向けようとせず、プライマリー・バランスの均衡を唱えるだけで、所得税や資産課税の強化、社会保障給付への税金投入の縮減の議論は先送りされ続けている。国債依存の放漫財政崩壊の大きなリスクが潜在している状況が、国民にはまったく知らされていないのは、由々しい問題である。



(日本個人投資家協会 監事 岡部陽二)



(2023年2月1日発行、日本個人投資家協会機関紙誌「ジャイコミ」2023年2月号「投資の羅針盤」所収)









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